お迎えバス
ふさふさしっぽ
第1話 バスの噂
「お迎えバスに乗ると死んでしまう」
(眠いなあ)
春日は自分の机に頬杖をついてぼんやりとしていた。
始業時間までまだ五分ほどある。教室内は児童たちのおしゃべりでざわついていた。
おしゃべりの内容は「お迎えバスの噂」だ。
春日はそのざわつきを、透明な壁の向こう側の出来事のように感じとっていた。いつものように。
「ねえ、春日はどう思う?」
透明な壁の向こうから友達……
全然静かじゃないけどね、と春日はいつも思う。
「ね、春日、お迎えバスのこと、どう思う? 本当にそんなバス、あると思う? もう何人もバスに乗って行方不明になってるらしいよ? それと、五年生の女の子がそのバスを見たんだって。雰囲気変なバスで、すぐ逃げたって言ってたけど、どうしよう~そんなバスがわたしの目の前に止まったら」
「ええ~? それ本当、静音ちゃん。たしか朝だろうと夜だろうと、突然目の前に現れてドアが開くんだよね。逃げたら助かるのかな」
「追いかけてきたらどうしよう。普通に怖い。春日今日は一緒に帰ろうね」
「もちろんだよ」
春日はいつも通り静音に調子を合わせる。
もう条件反射で出来てしまう。
心はどんなに冷めていても、超一流俳優並みの演技を披露できる。
こうやって演技していないと、わたしはきっと周りから異物のように扱われるだろう。
それは面倒だ。
面倒ごとは避けたい。
春日はそんな思いで、小学校生活を送っている。
何に対しても興味が持てない。何にも心が揺さぶられない。喜びも悲しみも怒りも、嫉妬や妬みも、すべて透明な壁の向こう側。
それが春日の毎日で、11年間の人生だった。
……ただ一人を除いては。
「これだけバスのことで盛り上がってんのに、まーたあの子、澄まして本読んでるよ、
静音がつまらなそうにささやく。
春日は胸に電流が走るのを感じたが、もちろん顔には出さない。
「ちょっと美人だからってツンとしちゃってさ、そう思わない、春日」
「うーん、でも、そんなに悪い人じゃないんじゃない」
「ああ、春日は去年あの子に助けてもらったもんね」
窓際の席で静かに本を読む美少女を見つめながら、春日は去年のことを思い出した。
桜下小学校には五年生恒例行事の一泊キャンプがあり、春日も去年参加した。
キャンプ地まで長いバス移動なのだが、こともあろうに春日は座席で突然吐いてしまったのだ。
隣に座っていた静音をはじめ、周りに座っていたクラスメイト達は一斉に春日から距離を取った。担任教師は「気分が悪いなら悪いとちゃんと言いなさい」と春日を叱った。
そう言われても春日には吐く直前まで自分の不調が分からなかったのだからどうしようもない。
昔からそうだ。
気づいたら熱が三十九度もあり(春日は普通にテレビを観ながらおやつのドーナッツ三個目に突入していた)母親が慌てて病院に連れて行ったこともある。
春日がこの状況を何とかしなければと思っていると、楠木凛がいつの間にかやってきて、早々に退散した静音の代わりに春日の隣に座ると、
「大丈夫?」
そう言って、ゆっくりと背中をさすってくれた。
春日を覗き込むその目からは何の感情も読み取れなかった。
ただ澄みきった目だった。
楠木凛はウエットティッシュを取り出すと、こんなこと全く大したことではないというように、淡々と春日の嘔吐したものを拭きとってくれたのだった。
春日は演技モードで「ご、ごめんね楠木さん。ありがとう」と作り笑いをした。
「別に」
楠木凛は何が? とでも言いたそうにそう言った――。
「俺、昨日お迎えバスに乗ってやったぜ」
春日の回想は一人の男子の得意げな声に打ち消された。見ると男子はみんなの注目を浴びて嬉しそうに鼻の穴を膨らませていた。
「バス停でもないのに俺の前にいきなり止まって、ドアが開いたから乗ってやった。陰気くせえバスだったぜ」
「すげえ」
「生きて帰ってこられたんだな」
まるで九死に一生を得たヒーローである。程なくしてチャイムが鳴り、担任がやってきて、男子はまだ自慢したりないと、消化不良気味にしぶしぶ自分の席に着いたのだった。
その日の下校途中、彼は交通事故で帰らぬ人となった。
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