満たされない億万長者
しんたろー
プロローグ
「吉子さん。かなりやつれたわね」
暗く、じっとりと湿った留置場。吉子はその中で、囚われの身としてある女と対面していた。
その女は
吉子の数々の暴走で、周囲の人が傷ついた。そして吉子自身も、大切なものを全て失ってしまったのだ。
ため息をつき、そのままゆっくりと下を向く。立ちはだかる紛れもない事実が、吉子を更に苦しめていった。
「どうして下を向いとるん?」
瞳が落ち着いた様子で、吉子に聞いてくる。吉子は歯がゆさで引きつった目を、キッと瞳に向けた。
「何よ! 私の姿を見て、あざ笑っとるの? 生意気な! あんたなんか所詮、貧しいシングルマザーやったのに!」
吉子は大声で瞳に噛み付いた。それと同時に、目から涙が溢れてくる。アクリル板を挟んで向こう側にいる瞳が、涙で激しく歪んだ。
「そうよ。確かに貴方の言う通り、かつて私は貧しいシングルマザーやったわ。でも昔の私は、貴方のような余裕のない人間じゃなかったわよ」
瞳の落ち着いた返答に、吉子ははらわたが煮えくり返りそうになった。何か言い返してやりたい。不利な立場で言い返す言葉が制限される中、吉子は必死で考えを巡らせた。
「――所詮あんたは、貧乏からの成り上がりよ。それは変わらない事実よ。あんたの今着ている服なんかも、全然似合ってないわよ!」
言い終えた後、吉子は肩で息をした。絞り出して言い放った言葉は、瞳を蔑むものだった。だが瞳は、自分が蔑まれたにもかかわらず、全く動揺している様子はない。
「あなたの方こそ、全く似合っていないわよ」
「何ですって?」
「佐藤吉子さん。貴方が今着ている服、よく見てごらん」
瞳に旧姓で呼ばれた。そしてその瞬間、吉子は自身の着ている服を見た。服には毛玉が沢山付いている。そして左下には、大きな穴が空いていた。
「ウ、ウウウ……」
吉子の目から、再び大粒の涙が溢れた。負けた。完敗した。震える手で目元を抑え、吉子は下を向いた。
全てを手に入れていたあの頃は、幻想だった。そしてそれらは、必ずしも幸せとは直結しなかった。吉子の長年信じ込んでいた概念が、音を立てて崩壊した。
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