世界地図の正体【短編集】
さえ
世界地図の正体
よくある『季節外れの転校生』として、君は隣の席にやってきた。
これがマンガなら不思議な物語が始まるのだが、君はごく普通の高校生で、僕によく話しかけて、よく笑っていた。
西欧の血が入った鼻筋は美しく、完璧な英語の発音で度々僕を惨めな気持ちにさせて、またある時はひどく切ない気持ちにしてみせた。
「――という訳で、この人は二回の戦争をかいくぐり、生き残ったんですね。しかし周囲の人間や職を失い、差別に遭った――これは不幸でしょうか、幸福でしょうか。考えてみましょう」
教師の問いかけに、君は隣を見やった。僕は顎に手を当てて、のちに口を開く。
「あまり辛い夜は、いっそ殺してくれたほうがまし、とか思いそうなもんだけど」
「それはよっぽど病んだ時だけだね」
僕が問うと、プリントを2つ折りにしながら、君はくすくす笑った。
「生きることに不幸なんてないよ」
そう、君はよく笑うんだった。
■
「揺れてる」
教室がざわめく中、君は誰よりも早く机の下に逃げ込んだ。僕もそれに合わせて机の脚を掴み、体を縮めた。この地方で地震は少ない。揺れが収まってから一気にクラスメートが這い出てきて、ニヤニヤ笑いながら談笑する。揺れたね、感じなかったよ、なんて。いつもはひょうきん者の男子が怒鳴った。
「放送がある!静かにしろ!」
「携帯の電源は付けておいて。窓は開けたほうがいい」
神妙な顔つきで君が立ち上がる。学級委員長がカーテンと窓を開くと、冷たく焦げ付いた匂いが吹き込んで来た。やがて待機の放送が流れると、君は立ったり座り込んだりを繰り返して落ち着かないようだった。
「――今日の小テスト、範囲どこだっけ?
気を紛らわすように、いつものように僕に話しかけてくる。教科書を持つ君の手が、ぶるぶる震えているのに気付いた。
「……平気?」
「大丈夫」
――そんなに手を震わせて、何が大丈夫なもんか。傍にいたいと感じつつ、僕は言葉を飲み込んだ。僕はもとよりそんな立場ではない。
君は信じられないような顔で自分の右手を見やり、大きな目に涙を目いっぱい溜めた。そして君はそのまま、保健室に行ってしまった。
空っぽになった隣の席を見ながら、僕は何も言えなかった自分について考えていた。
しばらくして帰ってきた君は顔色が悪かった。鞄の支度をしながら、神妙な表情で言う。
「余震かもしれない」
「もっと大きな地震が来るってことか?」
「うん。もし本震が来るなら、明日か明後日」
鞄を取り去って消える背中を、僕は呆然と眺めていた。また明日、と言うこともできないまま。
ああそうだ。春と共に訪れた地震で、きみは故郷を手放して僕の隣にやって来たんだ。
復興の進む故郷を懐かしむ君が、生き残ることに不幸などないと言い切る君が、手を震わせながらも変わらずに笑うきみが、いとおしくて、器と世界が小さな自分が汚くて、ひどく切なかった。
自らの愚かさが頬を伝うのに、また気づく。しょっぱい味がした。
僕は生きる苦しみを君ほどに知らず、生き残る美しさを知らない。苦しみと美しさこそが、世界地図の正体なのだろう。君の笑みがその二つからできているように。
君のように生きられたらいいのに、そう願った今日の空の高さは死ぬまできっと忘れない。だから、君と僕を泣かせた世界の終わりが、明日来るかもしれない一生の終わりが、憎くさえ感じた。
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