第10話 災い転じて副ギルド長
他に客がひとりもいない、夜の寂れた酒場にて。
腕組みをする店主を前にして、完全無欠の異口同音が冴え冴えと響き渡った。
「「この人がお金を持っていると思ってました」」
もちろんそれは、俺たち二人の声だ。
レミュの指先は俺を示し、俺の指先はレミュへと向けられている。
刹那ののち、俺達は互いに向ける指先を視線に変えて、同時に息を吸い込む。
遠いどこかでカァンとゴングが鳴った気がした。
「おまえが俺をここに連れてきたんだろうが! だったらおまえがここの代金を払うのが筋だろうが。何で俺に払ってもらおうとか思えるんだよ! 何? それどういう思考回路? おまえの脳内で何がどういう経路をたどってそういう結論に行きついてんの? さっき俺に『惚れさせてみせる』とか抜かしておいてそれってワケわかんないんですけど~? ってことだから、支払いはおまえが持てやァ!」
「何を言われるんですか旦那様! わたしは妻です。嫁です。つまり一家の柱である旦那様が侍る側で、わたしは侍られる側です。妻の分の支払いを持つのが一家の柱としての筋じゃないですか! それにここに来たのだって旦那様がおなかが減ったって言ったからですよ? 旦那様のために美味しいお店に案内したわたしの甲斐甲斐しさは評価されるべきだと思います! なので支払いはお任せしました!」
「押しかけ嫁のクセにその態度は図々しいを通り越して傲慢、いや、傲岸不遜すぎて大帝国の皇帝も真っ青だよ! おまえの面の皮の厚さどうなってんの? プレートメイルどころか城塞都市の城壁より分厚いんじゃないの? 大体、金ないんなら最初に俺に言っておけよ! それを言わなかったおまえの落ち度だろ! つまりこうなった原因はおまえ! レミュ巻き込まれて俺は今、この場にいる! これが結論! 俺は被害者! 何てこった、俺ってヤツには情状酌量の余地しかないぜぇ~!」
「えええええええええ! 何ですかそれ! そんなこと言うんでしたら、旦那様だってわたしにお金持ってないこと言わなかったじゃないですか! 自分だけ棚上げしてそんなこと言うなんてひどいですよ! 奥さんを何だと思ってるんですか! もっといたわってください! 甘やかしてください! 優しくしてください! お姫様扱いしてください! あとここのお金も払ってください! ありがとうございます!」
「その『ありがとう』はさすがに邪悪が過ぎるだろ! おまえ、魔王か!?」
「いえ、わたしは鍛冶師クレイドの唯一無二にして最愛最強の妻、レミュです!」
「高らかに自称すんな! 下手な吟遊詩人でもそんなベタベタな口上は使わんわ!」
「エヘヘ……、そんな、最愛なんて……」
「そして自分で言ったことに照れてんじゃねぇよ!」
ガンガン、ガンガン。マシンガン。
腕組みをする酒場の店主の前で、俺とレミュは互いに全力で口喧嘩を敢行する。
その激しさ、その必死さ、周りからはどう見えていただろうか。
ここで、口論真っ最中に聞こえたカジーナのつぶやきを例にあげよう。
『わぁ、醜悪』
手心皆無。ただただ、辛辣。
醜い、じゃなくて醜悪、っていうワードの選択が何より心を抉ってくる。痛い!
しかし、この痛みを胸の内に抱えながら、それでも俺は退けない。
何故なら、結局は俺もレミュと同じで無一文だからだ。
支払いを押しつけられたところで、そんなことは物理的に無理。不可能。
もちろん、レミュもそれは同じだろうが、だったらせめて『こうなった責任』くらいはあっちのポンになすりつけてみせる。だって俺、悪くねぇし!
「おまえが悪い! このバカ、バ~カ! ポン!」
「いいえ、旦那様が悪いです! この、えっと、え~っと、悪い子~!」
「一秒弱悩んだ結果、語彙が死んでる俺より語彙が死んでるのすげぇな!?」
などと、俺とレミュが喧々諤々やっていたところに、第三の声が割り込んでくる。
「お客さん、ちょいと静かにしてもらえませんかね?」
俺達を見下ろす、槍の穂先よりも鋭い視線。
岩よりも重く海底よりも低い声が、有無を言わさぬ圧で俺とレミュを黙らせる。
声の主は、これまでずっと黙っていた酒場の店主だ。
その見た目たるや、デカい、ゴツい、高くて分厚くて、腕が丸太で顔が熊。
右手に握っている包丁が、やたらと小さく見える。
明らかにカタギじゃない容貌をしている店主は、俺達をジッと見下ろしている。
彼が息を吸い込むのを見て、俺は怒鳴り声で酒場が消し飛ぶ未来を幻視した。
ヤバい、巻き込まれる。
そう判断した俺は、とっさにレミュを抱えて飛び退こうと足に力を込めた。
「ッッはぁ~~~~!」
だが、そこで俺の耳に届いたのは、怒号ではなく盛大なため息だった。
「……あれ?」
今まさに全身の筋肉をバネと化して跳躍せんとした俺は、それで呆気にとられる。
見上げてみると、腕組みをしたままの店主がゆるく首を振っていた。
「いいかげんにしてくれよ、レミュちゃんさぁ~」
「あぅぅ、ごめんなさい。ガィゼンさん……」
露骨に困った顔をする店主ガィゼンと、極限まで縮こまってうつむくレミュ。
二人の様子を見て、俺は思った。
え、何、おまえら知り合いなの?
それからすぐに思いだした。そういえばここ、レミュの行きつけの店だったっけ。
「一週間ぶりに来たと思ったら、また無一文かよ。前に来たとき『今度こそ、お金持ちになれるかもしれません!』とか言って、やる気になってたクセによ~」
「えう~……」
限界まで圧縮されているはずのレミュが、一声鳴いてさらに小さくなる。
ガィゼンが言ってるのは、魔王城地下の地図のことだろう。
きっとそのときのレミュと書いてアホと読むアホは、意気揚々だったに違いない。
自分が、ニセの地図つかまされた最上位のカモネギとも知らずに。
「言っておくが、見逃さないぜ? 何せ今年に入ってから十三回目の無銭飲食だ」
おい。
「待って、二桁は予想外なんですけど!?」
しかも通算じゃなく『今年に入って』?
じゃあ、通算でどんだけよ? まさか夢の三桁台が見えてくるとか言うなよ!?
「ああ、大丈夫だぜ、お連れさん」
ガィゼンは呆れ顔のまま、視線を俺に向けてくる。
「無銭飲食と言いはしたがね、金の代わりにこっちも色々とレミュちゃんに仕事を頼んだりしてるからな。別に今だって衛兵を呼ぶつもりはねぇよ」
「はぁ、仕事っすか……」
なるほど、それなら納得できなくもない。
レミュという女は、人に騙されるために生を受けたような世界のバグとも呼ぶべき摩訶不思議生命体ではあるが、剣士としては最上級。任せられる仕事も多いだろう。
「わたしとしては、曲がりなりにも冒険者ですから、そのわたしにお仕事を依頼するということでしたら報酬もそれなりの金額が欲しいのです。つまり、今まで頼んだお食事の代金分に加えてこれからのお食事の代金もタダにしてほしいです!」
この状況で堂々とそのでかい胸を張って『永劫無銭飲食』を要求するレミュ。
そのあまりのツラの皮の厚さに、俺は防御力を確かめるべく全力デコピンをした。
「おりゃ」
「痛ァい!?」
信じられないことに、返ってきた反応は至極普通だった。
「バカな、最低でも金属音はすると思ってたのに!」
『マイスター様も相当失礼なこと言ってますよ? 気づいてますか?』
何故かカジーナにたしなめられてしまった。
ガィゼンにも通じる呆れ顔と冷めたまなざしが、俺の臓腑をまたも抉ってくる。
「とはいえなぁ……」
組んでいた腕を解いて、ガィゼンが左手で軽く短い髪をかく。
「今ンところ、レミュちゃんに頼みたい仕事が何もなくてなァ~」
あら。
それじゃあここの支払い、どうするのさ?
「ってワケでだ、お二人さん」
ガィゼンがチラリと意味ありげに厨房の方を見る。
俺とレミュがその視線を追うと、そこにあったのは積み上げられた食器だった。
「ま、こういうときの定番だわな。洗い場は裏にあるからよ、頼むぜ」
そう言って、ガィゼンは快活に笑うのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
一時間後。酒場の裏にて。
「あいよ~、お二人さん、こっちも頼むぜぇ~」
ガィゼンが、汚れた皿でいっぱいになったカゴを二つ、新たに置いていく。
戻り際、洗い終えた皿が入ったカゴを持ってくが、あれもまた汚れるんだろうな。
酒場の方からは、やたら陽気な声がいくつも聞こえてくる。
俺達が食事した時間は客もまばらだったが、それはピーク前だったかららしい。
「くっそぉ~、洗っても洗っても終わりゃしねぇ」
洗った先からガィゼンが持っていくから、終わるワケがないのだ。
絶望的な気分になりつつ、俺は手にした皿洗い用の布切れに液体洗剤を垂らす。
剣と魔法の世界なのに現代日本ばりに油汚れの落ちがいい液体洗剤って何よ。
いや、改めて考えれば今の時代、魔王討伐してから六百年経ってんだよなぁ……。
そりゃあ文明だって発展するし、技術だって革新が起きるか。
景色はあんまり変わってないように思うが、中身はそうでもないのかもしれない。
この皿洗い場だって、よくよく観察すれば存外に面白い。
皿を洗うための水は井戸ではなく水道から。蛇口をひねれば水が出てくる。
皿を運ぶためのカゴも、木製ではなくプラスチックっぽい素材でできている。
レミュにきいたところ百年ほど前に登場したポリマテリアなる錬金素材とのこと。
世界は違っても人の技術が行きつく先は同じってことなのかねぇ。
別に人類学とかには興味ないが、この奇妙な符号には少しばかり考えさせられた。
「フンフンフフフ~ン♪ お皿、お皿、きれいに洗いましょ~♪」
俺が思索を巡らせていたところに、調子っぱずれな能天気ソングが聞こえてくる。
レミュは、随分と楽しそうに皿を洗っている。
こいつ、この皿洗いマラソンを楽しめるとか、ある意味羨ましいな。
そう思っていたところ、開きっぱなしの裏口の向こうにガィゼンの姿が見える。
ガィゼンは客と談笑してるらしく、いかつい顔に人懐っこい笑みを浮かべている。
右手に握られた包丁が大きな魚をザクッ、ザクッ、と切っていく。
「へぇ……」
「あれ~、どうかしましたか、旦那様?」
俺が漏らした感心の声に、レミュが気づいて顔を上げる。ほっぺに泡ついてんぞ。
「なぁ、レミュよ」
「はい~?」
「ガィゼンの大将が使ってる包丁、ありゃあ、誰が作ったモンだ?」
「包丁、ですか……?」
「ああ」
きょとんとするレミュに、俺はうなずく。
実は最初から気になっていた。ガィゼンがずっと握りっぱなしの、あの包丁。
市販品にしては刃部分の輝きが違う。どう見ても研ぎ澄まされている。
今も肉の塊を切ろうとしているが――、
「……骨ごといくかよ」
ただの一度で肉だけじゃなく、中の骨までサックリと断っている。
尋常ではないその切れ味。そんなものを見て、俄然、鍛冶師として興味が湧く。
「すごいですよね~、あの包丁」
皿を洗いながら、今度は鼻先に泡をつけたレミュがのほほんと応じる。
だが、
「あの包丁、ガィゼンさんの自作らしいですよ~?」
「あン?」
包丁を自作だ?
デカい・ゴツい・いかついの三拍子揃った熊ヅラの親父が、あの包丁を作った?
「さすがは鍛冶師ギルドの副ギルド長さんですよね~」
続くレミュののんきな声は、さすがに見過ごせるものではなかった。
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