第6話

 さみしくて、素晴らしい秋はあっという間に過ぎて、冬になった。僕は、都心に越してきたにもかかわらず、季節の移り変わりに敏感になっていた。それは土手がそばにあるからだと思う。

 こんなことを言ったら、まぜっかえしになってしまうけど、土手に冬はよく似合う。木枯らしが通り抜けるイメージがある。ほっぺたをなでる風がなんとなく冷たくなって、ああ冬がきたんだなと思った。正直、僕は冬の気配を捉えてやろうと意気込んでいたので、これはあくまで個人的なものなのだけれど、はっきりと最初の冬を感じられて嬉しかった。こういう感覚は、考えすぎてしまう自分の数少ない良いところだと思う。そしてその感覚を助けてくれる土手を、あらためて好きになった。

 郊外に住んでいた時にも、それなりに自然があったけれど、季節の移り変わりにほとんど注意が行かなかった。なぜだろう。畑や大きな公園、小さな森もあったのに。僕は疑い深い。東京の郊外。昔は原野だったのだと父に聞かされた。なんだか整っている自然の景色を見て、人が作ったものというイメージを持っていた。もしくは住宅地が無遠慮に、自然のなかに雑全と立ち並んでいるイメージだけがあった。

 土手は違う。東京も都心は違う。人が表面を完全に人工物で覆って、きれいな街並みがある。ところどころ自然が地面の下から顔を出していて、ついついひきつけられる。土手はその象徴だ。土手は治水のような歴史もあって、人と自然が面白い形で融合した結果だ。それがいまの時代ではみごとな空中庭園になっている。たぶん僕のような人間が一番自然を素直に受け入れられる形がここにある。

 というように、素晴らしいセリフをいろいろ用意した。秋の話題を別所さんと散々したから、次は冬の土手を楽しみにしていた。


 剣道部の冬は、夏にもましてきびしい。素足で冷たい板の間に立って動き回る。汗をかいて暑くなったかと思えば、すぐに手足の先から凍えてくる。その繰り返し。一連の動作で礼儀作法もあるので、正座でじっとしていることもある。僕はいよいよ精神が集中できてよかったけれど、部員のみんなは悲鳴をあげていた。

 別所さんは部活に入ってもいないのに、だれよりも寒さを感じていたと思う。なぜなら彼女は土手の精だから。あいかわらず別所さんは土手を徘徊していた。冬のさなか風の吹きすさぶ中、制服の上に何も着ないで。

 部活の帰り道に別所さんに会った。耳を真っ赤にしながら、しかし寒さをなんの苦にしていない別所さんを見て僕は感動した。同時に馬鹿だと思った。

「寒くない?と聞くことさえ愚問に感じられるご様子なんですけど」

「うーん。寒いよ。でもほら、わたし、土手の精だから」

 いえ、人間です。でも僕は別所さんの言うことがよく分かってしまう。冷たくて、土手と同じ冷たさを感じて、この人は喜んでいる。間違いない。僕でなくても分かる。彼女は笑顔だった。

「僕が制服だけなのは、部活の後だからなわけで。これでも、もう後悔するほど寒いんだけど」

「ねー。寒いね?いきなり来たよね。寒さ。今年も来ましたね、お帰りなさいって感じ」

「別所さんはハートが熱いからね」

 馬鹿なことを言ったけれど、今日は冬が秋に別れを告げた日だった。別所さんはそれを体全体で受け止めたかったのだと思う。その気持ちはよく分かった。

 土手のちょっと高いところの道、芝生の上で別所さんは僕の横を弾むように歩く。長い髪がばらばらと乱れてちょっと凄い感じがした。精霊の踊りのようだった。

「別所さん風邪を引くよ。というか、風邪を引くね。これは注意じゃなくて予言だよ」

 踊りを止めてピタッと僕の目を別所さんが見据えた。満面の笑み。これだから人間はと、精霊に見下されているような気がした。

 いつものように橋のたもとでお別れする。このまま家に帰って熱いシャワーを浴びるか、コタツに入って温まって欲しい。僕は無駄だと思ったけれど、別所さんに目で強く訴えた。彼女は大きく手を振って、自分の家の反対の方向へ、また踊るように歩いていった。

 別所さんは人間である。もし僕らの精神が宇宙に近いとしても、やっぱり人間だ。精霊と宇宙の関係はよく分からないけれど、予想通り別所さんは風邪を引いた。ただそれだけならいいけれど、彼女の場合スケールが大きかった。

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