第5話

 夏休みの間、土手での素振りが日課だった。だから別所さんに会えた。でも学校が始まってしまうと、そうはいかないと思っていた。このまま疎遠になるのは嫌だったから、僕からなにか行動をおこさないといけない。でもその必要は無かった。別所さんはいつでも土手にいた。

 部活が終わって、僕はいつものように土手の道を歩いていく。すると、かなりの頻度で別所さんに出会う。だから僕は、夏休みに引き続いて別所さんと話をすることができた。ということは、いままでも僕は下校の際に、別所さんとすれ違っていたのかもしれない。なぜ気がつかなかったのだろう。僕は別所さんにそう言った。

「わたしの家は対岸でしょう。だからいままでは反対側によくいたの。だから会わなかったのね。わたしも鈴木君に会えるかなと思って、夕方はこちら側を歩いたりしてるの」

 一瞬、僕は顔が真っ赤になったけれど、別所さんが平然としているので、これは意味が違うなと思った。彼女に恋愛感情は無い。別所さんは常に土手にいて、そこにやってくるものには興味を示すけれど、僕単体に対してはそんなに興味が無いように見える。

 そして僕はそんな別所さんが好きだった。この「好き」も恋というよりかは、尊敬に近いものだと思う。土手の精霊に対する、尊敬の感情。別所さんは川岸に立って別のものを見ている気がする。なにかもっと大きなものを。

 地元の出身で、しかも老人と子供に人気がある。なのに友達がいない。小さいころはそうでもなかったのだという。ちょっと不思議な子供ではあったらしいが。これは男子の級友から聞いた。小学生の高学年のころ、別所さんに変人というイメージが定着した。庭師のおじいさんが亡くなって、いつも1人で土手にいることが多くなったからだ。女の子のグループに入らず、涼しげな顔をしているので、次第に畏怖されるようになった。僕のクラスは気さくな人が多いし、雰囲気もよいけれど、別所さんは一種のタブーのような存在だった。面白いものだと思う。いじめとは違う。逆に、僕はクラスのみんなの懐の深さを感じた。

「土手で毎日何をしてるの」

 何度も聞いてしまう。

「何かしてるわけではないの。ただわたしはここにいたいのよ。ここがわたしの場所という気持ちがなぜかするの。それと、川をみていると、向こう岸になにか大切なものが見える気がする。死んだおじいちゃんとか」

 冗談だと思ったけれど、そこがあいまいなのが別所さんの恐ろしいところだ。まるきり嘘ではないらしい。かと言って真剣というわけでもない。ただ感じたままに話しているのだ。

「それでは、対岸はあの世ということになりますでしょうか」

「うーん、近いと思う。なんかみんなが戻るところというか、神聖な場所というかね。ほら、この地域って住宅が多いでしょう?庭のある家も少なくなったし。だから唯一、土手だけなのよ。ほんとうはもっと、いろんなところに入り口があったほうがいいのだけど」

「え、それは神社とか、森とか、そういうもの?」

「わたしも詳しくは分からないの。鈴木君に説明してほしいくらい」

「なんとなく言ってみただけだよ。土手にいる別所さんを見てたら、そういうイメージが湧いてくるから。僕が考えている、存在とか宇宙とかに、関係がありそうなんだけどなぁ」

「鈴木君、考えすぎて苦しくなっているでしょう」

「そうなんだ。でもやめられないんだ」

「わたしも、土手から離れられないの」

 別所さんが僕の手をそっと握った。とても嬉しかったけれど、なにかとてもやりきれない気持ちがした。誰か偉い人に説明して欲しい。こういうときのために宗教があるのだと思うけれど、僕は今、あまりにも遠い場所にいると思った。

 秋の土手はさみしい。せつない感じもする。下町の商店街や住宅街が暖かい感じがする分、だだっぴろい土手が無性にさみしく感じるのだと思う。特に、夕暮れ時は、反則といえるほどにせつない。遠くに救急車のサイレンの音や、お豆腐やさんの笛の音が聞こえると、早く家に帰りたくなる。でもその家路に着くまでの土手の風景が、僕はとても美しいと思った。

 別所さんと歩くと、秋の土手はまた格別な感じがする。自分が必要以上に感傷的になっていたことに気が付く。

「いつもは、せつないとか、さみしいとか、秋の土手を歩いてると言いたくなるけど」

「けど?」別所さんの目が輝く。

「うん。別所さんといると、土手はいつもの土手だなって思うよ。なんでか」

「それは本当に嬉しい言葉。秋の土手は特別さみしくはないの。みんながさみしいって言うから、秋の土手はさみしくなってしまうのよ」

 土手の精に苦情を言われている気がした。別所さんが珍しく、意気込んで言葉を続けた。

「放課後の教室とか、お祭りの後とか。さみしいって思うのはどうしてだと思う?」

「それは、その前がにぎやかだったからじゃないかな。つまり、教室には生徒がたくさんいたし、騒いだあとだから祭りの後はさみしい気がするんだと思う」

「その通り。だったら土手はにぎやかだったのかな。そんなにさみしいって思うほど、盛り上がった時があったのかな?」

 顔が近い。僕の血の温度が上がる。別所さんは目をまん丸にして、僕の顔を覗き込んでいる。土手のことになると別所さんはいきなりテンションがあがる。

「そうだね。花火とかもあるけど、夏の土手には特に何も無かったね。だから素振りができる」

「そうなのよ。たぶんね、夏のあとの秋のさみしさを、土手が一身に引き受けてしまうの。でもみんな夏に土手で盛り上がったわけじゃないでしょう?海とか山とか、別のところで盛り上がったのに、さみしさは土手で感じるなんて、不公平だと思わない?」

「そういわれればそうかもしれない。でもさみしいっていう気持ちは、悪いものじゃないよ」

「うん……。どちらかというと、土手はいつもさみしいの。秋だけじゃなくて、春も夏も、いつもさみしいんだよ」

 別所さんが力を込めて言った。土手はいつもさみしい。確かにそうかもしれない。だから僕は土手が好きなのかもしれない。

「どうして土手はさみしいんだろうね」

「……言葉で説明できない。でもそれが土手の役割なんだよ。さみしいのが役割というわけじゃないの。土手だから、さみしい役割になっちゃうというか。ごめんね、うまく言えない」

「なんとなく分かるよ。土手にはもっと大きな役割があるとして、その性質上さみしくなってしまうってことかもね」

「それそれ。鈴木君は頭がいいね。今のセリフは土手の精が採用します」

「ありがとうございます」

 なんだか土手が笑ったような気がした。いつもさみしい土手の笑顔は貴重だ。でもさみしいってどういうことだろう。悲しいとは違う。せつないに近いか?とても難しい。別所さんは今、僕の横を楽しそうに歩いている。

 僕が土手で癒されるのは、そうだ、なにか空っぽな感じがするからだ。それがさみしいという感じに近い気がする。

 空っぽで何も無い。よけいなことを考えなくていい。自分から逃げる為の場所。

 一方、別所さんに、逃げるためという感じは全くしない。なぜなら別所さんは土手に来ている人ではなくて、土手にいる人だからだ。そう考えたら、なんだか納得がいくけれど、また少し怖い感じがした。

「別所さん、秋にはなにもイベントないけど、こうやってたくさん話がしたいよ」

「うん。そうだね?どうしたの。わたしは逃げないよ?」

 ドキッとした。いろんな意味で。別所さんは逃げないけど、なんだか不安な気持ちがするから、つなぎとめるようなことを言ってしまう。

 恋人になってもらえないという残念な気持ちも確かにある。この近くて遠い距離のまま、付き合ったって別にいいし楽しいと思う。別所さんと付き合えるのは自分だけだ、とか恐れ多い考えもある。

 でも別所さんに会うと、男女関係なんて別にいいやと思ってしまう。一緒にいる時がとても楽しいので、付き合うとか、恋人とか、区切りをつける必要がないと思う。後で必ず後悔するけれど、いつか告白できる日は来るのだろうか。

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