第4話

 ネットワークの世界で脳が汚染されても、とりあえずネットワークの中では何の支障も無い。汚染率の極めて高い俺が、ネットワークの中では汚染源になることもない。サイカがオーバーヒートしたのは、汚染区域に入ったせいでは無くて、ただ単に興奮しすぎたせいだ。たぶん。

 汚染は現実世界の体に反映される。ダメージを受けるのは、あくまで肉体としての脳だ。ネットワークの汚染物質はリングから作られている。つまり、リングと似たような性質を持っている。汚染物質は脳に蓄積されて行くのだ。

「どうだ? 残りそうか」

 処置室のベッドに寝かされたサイカの頭に、ドクターが浄化装置を取り付けている。俺は自分の部屋からモニターで、その様子を眺めている。

「まだなんとも。3%未満なら、たぶん全部浄化できるわ。でもそれ以上なら……残るでしょうね」

 ドクターが落ち着いた口調で言った。彼女は防護服を着ているので表情が見えない。

「カジハル? 50メートルって話だったわよね?」

「……」

「あなた、妹を自分と同じような体にしたいの?」

「悪い。サイカの興奮を抑えられなかった」

「私に謝っても意味が無いわよ……意味が無い」

 ドクターが自分の感情を抑えつけるように言った。俺はため息をついた。

「サイカも覚悟は出来てるはずだよ。免疫系は前線に出なければならない。いつかは必ず汚染される」

 俺は言った。

「無駄話はやめて。あなたも早く浄化しなさい。パーセンテージ計ってる?」

「今やってる。25.5(25.5パーセント)って所か。とりあえず6時間ぐらいやるよ。たぶんまだ24近くまでは戻るだろう」

「8時間やりなさい。24まで下がらなかったら加えて8時間。いいわね」

 ドクターが命令するように言った。

「了解。じゃあおやすみ、愛してるよ」

 俺の言葉には答えず、ドクターがカメラに背を向けて音声を切った。それを見て、俺は自分の頭を浄化装置に繋ぎ始めた。これが結構しんどいんだよな……。


 俺のオヤジは5年前に54歳で死んだ。5年前だから……俺はその時24か。オヤジは伝説の免疫系(めんえきけい)と呼ばれていた。死んだ時、汚染率は70%を超えていた。いくら免疫系だからと言っても、この数値はどう考えてもおかしい。普通の人間なら即死するレベルだ。

 気力の問題だ、とオヤジがいつも笑って言っていた。そんな簡単な話ではないはずだが、オヤジが言うと妙に説得力があった。ちなみに俺も妹のサイカも、至近距離でオヤジに会ったことは無い。俺が生まれた時、オヤジは30歳。その時点で汚染率が35%を超えていた。普通の人間は近づくだけで危ない。通常の人間は、汚染率が15%を超えたあたりで脳に障害が起こり始め、20%近くで死に至る。免疫系じゃなければ、貴族だとしても同じだ。

 母親も免疫系だった。まあ、それは当然のことだ。生身の女で、オヤジに近づくことが出来るのは免疫系の女だけ。浮気の心配が無くていいわね、と母親が笑って言っていた。妙に明るい夫婦だった。汚染された体を抱えて生きているのに、それを不幸だと言うことは決してなかった。自分達と同じ宿命に生まれた、俺や妹のサイカの為にそうしていたのかもしれない。


「サイカが危ない状態だっていうのに、ずいぶん安らかな顔をしてるじゃない」

 ドクターが、ネットワークでアクセスしてきた。俺もマシンに入ってオンラインになる。これなら直接会うことが出来る。

「危ないって言ったって死ぬわけじゃない。それにサイカは元から綺麗な体ってわけじゃない」

 ドクターがメスを投げてきた。俺の頭にブスリと刺さった。

「イテーな!」

「サイカは、生まれたときにもう3%前後汚染されていたんでしょう? 残酷な話ね……」

 ドクターが、俺の汚染率の数値を見ながら言った。

「そういう湿っぽい話が免疫系(めんえきけい)への偏見を生むんだぞ。哀れんでくれるなよ。俺らはこれで結構楽しくやってんだから」

 俺は言った。少し意識がもうろうとし始めた。浄化中にネットワークに入ると、意識が保てない。眠ってしまいそうだ……。

 ドクターが俺にキスした。俺は彼女の体を抱き寄せる。

「……生身の君を抱けないことだけだな。後悔するとしたら」

 俺はまぶたを閉じて言った。

「生身のあなたじゃ、わたしを持て余すわよ。絶対に」

 ドクターが笑った。


 母親は免疫系に加えて、強力なアサシン(暗殺)タイプだった。そういう意味でも、ディフェンダー(盾)タイプの父親とは相性がバッチリだった。貴族でさえ、オヤジと母親のタッグを恐れていた。

 市民と貴族を分けるのは、ネットワークにおける戦闘力の差だ。免疫系が遺伝するのと同じように、戦闘力も子孫に遺伝する。ネットワークの中で戦ってみれば分かる。市民はまず貴族に勝てない。ネットワークへの適応力が違いすぎる。

 母親は、街の人間と家族を守って15年前に死んだ。その時住んでいた街は、東京に残っている基地の中でもかなり設備が整っていた方で、付近の貴族に狙われたのだ。母親は最前線で戦って、数人の貴族を道連れにして、死んだ。俺たちは母親のおかげで、ぎりぎりのところで生き残った。

「お前ら! 晩飯の用意をするぞ!」

 その時のオヤジの声は、今でもはっきりと思い出せる。子供たちはいっせいに喜びの声を上げた。当時2歳だったサイカでさえ、覚えているような気がすると言っていた。

 しかし蓋を開けてみれば、帰って来た大人はボロボロになったオヤジ一人だけ。みんな孤児になってしまった。泣き出す子供たちを叱りつけ、大声で笑い飛ばし、オヤジはみんなのオヤジになった。

 その後、オヤジは付近の市民に声をかけて、核シェルターに人を集め始めた。免疫系のオヤジは汚染も厭(いと)わず、リングを大量に集めて来る。それにつられて人々が集まり、シェルターが小さな街となって発展していった。今俺たちが住んでいるこの街は、オヤジが一人で作り上げたようなものだ。

 オヤジが死んだ時、俺はなぜだかあまり悲しくなかった。いつ死んでもおかしくないほど汚染されていて、ゾンビみたいに思っていたのかもしれない。死体を燃やしたら、頭の骨がほとんど残らなかった。汚染物質が、頭蓋骨全体を侵食していたらしい。

 そんな感じで、俺のオヤジは、伝説の免疫系としての生涯を終えた。そういうオヤジを見てきたから、俺も当たり前のようにリング集めの仕事を続けている。汚染を受け続け、浄化しきれずに、だんだんと脳が蝕まれていく。不思議に悲観的な気持ちにならない。妹によく言われるが、俺の場合、少し真剣味が足りないところがある。頭蓋骨が無くなった「あの世」のオヤジを想って、時々笑いがこみ上げてくる事がある。オヤジに負けないくらい汚染されてから、死んでやろうと思う。

 いや、70%は無理だよな……。いくらなんでも絶対に無理だね。

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