夜は死んでいる

@moyo

第1話 同じことを繰り返す

『16号の入ったとこに道あるじゃない? 競技場に行く途中のさ、手前で。そのT字路のところの、クリーニング屋さんのところにいたんだよね、私。あの、登校途中でっていうか、部活に行く途中だったんだけど、自転車で走ってたら、向かい側にクリーニング屋さんがあったの。わかる?』

(マンションのところ?アリ×××?)

『そうそう、アリ×××ね。で、ちょっと行ったところにクリーニング屋さんがあって。そこで信号に引っ掛かっちゃって。向かい側を走ればよかったんだけど、ほら自転車って左側じゃない?(※左側通行の意味) だから信号で待ってたんだよ。そしたらさぁ、音って言うか叫び声? あー…声がした後に右に振り向いたら、バオっていう車の音がして、ものすごい勢いで横を走り去っていったの。』

(あきほの横を車が通りすぎていったのね)

『そんな感じ。それでそっちの方を見たら、おばさんがいて、犬を抱きかかえててたの。その犬から……だと思うけど、血が流れてて。だけど、部活に行く途中じゃない? それで私、そのまま競技場の方に行っちゃったんだよね。人もいたし……おばさんが泣いてるのは分かってたんだけど……。』


 私は犬を飼っていた。

 その犬が轢かれたのは、私が陸上の大会で県外に出ていた時だった。妹が散歩に行っているときに、死なせてしまった。

 レース直前に送られてきた、「アンリ死んじゃった」という妹のメッセージに、私は一瞬だけ戸惑った。ただ、「わかった。早く帰った方がいい?」と送信してレースに飛び出すと、心は驚くほど冷静になった。

 いつも通り、準決勝レースまで進んで、そのまま敗退した。

 むしろ怒ったり悲しんだり、妹を励ましたりする気持ちが少しも起きないので、そっちの方がショックだった。

 私は早足になることもなく帰宅すると、ただただアンリは冷たくなっていた。ペット用のお墓に入れることまで決まっていたので、私はそれに従った。

 まるで最初からアンリの部分だけ、心が抜け落ちていたみたいに涙も出なかった。

 走り去った車については、妹は泣いてしまって分からないとのことだった。

 T字路まで来たところで、急に、アンリが跳ね飛ばされたから、という話だった。


 ……そのT字路に私は立っている。

 国道沿いに県立の競技場があり、そこへ向かう途中にいくつかマンションが立ち並ぶ。そのマンションの間をつなぐようにして、T字路はある。時間があえばあきほと一緒になることも多い。

 T字路は見通しもよく、事故を起こしやすいところにはまったく見えない。通学路だからよく知っているが、いまこうして見回してみても、国道へ通り抜けるトラックが道幅いっぱいに通っていくくらいだ。

 私はタブレットに入れておいたあきほの音声を聞き返してみた。

 あきほから話を聞けたのは本当に偶然だ。まさかアンリの事故があった三カ月前にも、まったく同じ場所で、同じように、犬が轢かれていたなんて。話が聞けたことは偶然でも、事故が起きるのは偶然そうには思えない。

 ここには何かがあるんだ。同じことを繰り返す、何かが。

 もしかしたら私は意地になって動いているだけかもしれない。こんな変なことを調べる必要なんてない。でも、今の自分はまるでアンリのところだけ、心を失ってしまったみたいだった。なにかを埋めるとしたら、無理やり事実をねじ込むしかない。そう思って目を細めた。

 あきほの話は、一度聞いただけではわかりにくい。けれど、こうして現場で照らし合わせてみると、分かってくることもある。

 あきほは左側の歩道で信号待ちをしていた。そしてその横を車が通り抜けていった……となると、犬を轢いた車はT字路の信号を渡って走り去っていったことになる。でも、それだと反対側の歩道を歩いているおばさんと犬を轢くことはできない。だから、あきほの言う「クリーニング屋さん」の駐車場から出てくるところで、出会いがしらに轢いてしまい、慌てて逃げたんじゃないだろうか……。

「……あれ。」

 私は声に出して言った。

 T字路の突き当りにある「クリーニング屋さん」は、駐車場にガードレールを張っている。出入口は隣にあるコンビニ側から出るしかない。ところが、そこからだと車が出てくればちゃんと見える。

 あきほは「右を振り向いたら――」と言っていたはずだ。

(聞き間違えたかな……)

 私はタブレットに手をかけた。


『国道の競技場に向かう道にT字路があるじゃない? そこのクリーニング屋さんの向かい側にいたんだよね、私。競技場に行く手前のさ。あの登校途中っていうか、あーそう、部活に行く途中だったと思うんだけど。自転車で走っていたら途中で信号に捕まっちゃって。』

(マンションのところ?アリ×××?)

『そうそう!アリ×××。その少し先に行ったところにクリーニング屋さんと歯医者さんがあるじゃない。で、私はお菓子屋さんの方を走ってたんだけど――』


 私は音声を止めた。

 左を振り向くと、お菓子屋のガラス戸が見える。「クリーニング屋さん」の方に目を向けると、歯医者が隣に見える。

 でも、大事なのはそこじゃない。

 私はT字路から少し離れた。これ以上ウロウロすると、なにか変な人に思われそうだったが、なにより音声ファイルをしっかり聞き直したかった。電信柱の影に入ったところで、もう一度最初から再生し直す。


『国道の競技場に向かう道にさ、T字路があるじゃない? そこのクリーニング屋さんの向かい側に居たんだよね、私。お菓子屋さんのところって言ったら分かるかな。あの、登校途中っていうか、あーそう、部活に行く途中だったと思うんだけど。自転車で走っていたら途中で信号に捕まっちゃって。』

(マンションのところ?アリ×××?)

『そうそう!アリ×××ね。その少し先に、クリーニング屋さんと歯医者が並んでるところがあって、向かいにお菓子屋さんがあるじゃない。それでT字路だから、右側を走ってれば信号に捕まることもなかったんだろうけど、自転車だからさ。信号に引っ掛かっちゃったんだよね。あ、これ大会遅れるなーって思ってたら、向こうから白い男の子が歩いてきて、押しボタン押してるわけよ。それでイライラしちゃってて……そしたらさぁ、音っていうか、叫び声? あー……声がした後に、右を振り向いたら、こう……バオっていう車の音がして、ものすごい勢いで車が走り去っていったの。』

(あきほの横を通り過ぎて行った?)

『そうなのよ。それでそっちの方を見たら、おばさんが大きい声で泣き叫んでいて、犬が血を流しているのが見えて。あ、これヤバいって思ったんだけど。白い男の子が駆け寄るのが見えたから、ごめん! って心で謝って私は行っちゃったんだよね……。』


 私は顔を上げた。

 なんだこれ。

 一度録音した音声データが聞くたびに、違う音声になるなんて、知らない。

 自分の声が入り込んでいるところが、いっそう気味が悪かった。幽霊か化け物を相手にしているのに、気づかずにおしゃべりをしているみたいだ。

 そのとき、「クリーニング屋さん」から白い男の子が出てくるのが見えた。白い、としか言いようがない。その子は真っ白いキャップ帽をかぶり、上下に白い体操服のような恰好だった。

 その子が歯医者の方へ向かっていく。それを私は視線で追いかけた。

 すると、歯医者の駐車場から車が頭を出すのが見えた。そこへ反対方向から犬の散歩で歩いている女の子が、車を大きく避けようとして、車道をはみ出した。

「あっ」

 私はこれから何が起きるのか、はっきりとは分からないけれど、たしかに分かった。

 だけど、できたのは、息を吐いて上ずった声を出すことだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る