第2話 従者の体探し
鋭い牙を突き立てんと追いかけてくる獣とただの少女が純粋な脚力で競うのは無謀というものだ。
「いやはや、旅に出て間もなく魔物の襲撃に遭うとは。流石お嬢様、幾度となく波乱を引き寄せる強い縁をお持ちです」
「遠回しな嫌味と受け取るわ。事が済んだら二度とそのようなことを口にできないようその口を縫い合わせてあげようかしら」
「いくら不死とは言っても一応俺にも痛覚はあるのですよ。お手柔らかにお願いします」
針で縫われるのは痛そうだと口では言うもののその声音は余裕を含んでいる。
主人に抱えられながら移動する生首の正体はクリスティーナの従者、名をリオといった。
どういう原理であるかは主人であるクリスティーナにも図りかねるが、彼は出会った時には既にどれだけ致命傷を負ってもすぐに再生してしまう不死身の体を備え持っていた。
魔物へ注意を払っていたクリスティーナはちらりとリオの頭へ視線を落とす。
体と完全に分離したそれは未だ断面から大量の血を滴らせてはクリスティーナのワンピースや地面を汚している。
先程まで頭と体を繋いでいた断面は刃で切り落とされたような綺麗なものではなく、何かで無理矢理引き千切られたかのような残虐性を匂わせる出来である。
そのような状態であるにも関わらずのうのうと無駄口をたたく従者に、自分にも痛覚はあるのだと主張されようが説得力はないに等しい。
しかし長年の付き合いから、わざわざ指摘をしようものなら揚げ足を取られるだけであることをクリスティーナは悟っていた。
故にこの状況の打破へ尽力するべく話題を変える。
「正直首だけの貴方はお荷物でしかないわ。何とか体をここまで移動させることは出来ないの?」
リオの首と体の分離は魔物の襲撃からクリスティーナを庇った際に引き千切られてしまったことにより発生している。
魔物はリオの体を食事と認識したのかどこかへ持って行ってしまったのだ。
「頭と離れていても動かすことは出来るので試してはいるのですが、視覚が存在しませんから……。魔物から逃れることすらままなりませんね」
「ということは今も魔物に……」
「はい、食べられています。食べた傍から元に戻るので、魔物にとってこれ以上ない程都合の良い食事であると言えそうです」
「……分析をしていないで解決策を見出しなさい」
当の本人は笑顔を崩さないが、従者の体が現在進行形で食い散らかされていく光景を想像してしまったクリスティーナの精神衛生は大変よろしくないものであった。
しかし幸か不幸か、それ以上グロテスクな光景を鮮明に想像してしまうよりも先に距離を詰めていた魔物がクリスティーナへと飛び掛かり、意識が現実へ引き戻された。
これ以上の逃亡は無意味だろうと悟ったクリスティーナは自身へ向けられる強い敵意に対峙すべく振り返り魔物を見据えた。公爵令嬢という高貴な立場で育ったのにも関わらず、その空色の瞳に恐怖の色はない。
「アイス・フリーズ」
薄い唇から紡がれたのは短い詠唱。その小さな声が空気に溶け込むと同時に彼女を中心として床が薄い氷の膜に覆われていく。
氷の膜はクリスティーナへ襲い掛かる魔物の脚をも捕え、凍結させていった。
動きを封じられた獣は威嚇の咆哮を上げて牙を剥き出すが、氷の拘束からは安々と逃れられないようでその巨体は地面に縫い留められたままである。
クリスティーナは一つ息を吐くと片手を魔物の群れへ向けて翳した。
「アイス・スピア」
刹那、獣の頭上で氷の塊が次々と形成される。
かと思えばそれは瞬時に槍の形を成し、クリスティーナへ脅威を齎す存在へと降り注いだ。
透き通った氷の刃は猛獣の脳天や腹部を貫き、その身を鮮血で染め上げていく。
動きを制限された獣たちは回避もままならない。彼らは頭上から降り注ぐ攻撃を全て受け、断末魔をあげながらその場にひれ伏した。再び動く気配もない。
「お見事」
「主人を働かせるだなんていい身分ね。おかげで汚れてしまったわ」
返り血に濡れた頬を拭いながら血なまぐささに顔を顰めてクリスティーナはリオを咎めた。
「失礼ですが、お召し物は俺を抱えている時から汚れていらっしゃったかと」
新鮮な生首を抱えていれば勿論断面から滴る血液が嫌でも付着するわけではあるが。勿論論点はそこではないわけである。
皮肉が一切通用しない従者の生首を今すぐ投げ捨てたくなる気持ちを抑え込んでクリスティーナは再びため息を吐いた。
「それで、貴方の体は一体どこにあるの」
「ご迷惑をお掛けします」
探してやるという意図の遠回しな発言に対して謝罪する従者。
素直な言葉一つまともに吐けない口ではあるが、主人の口から出る言葉の真意を的確に拾い上げることに彼は長けていた。
「あの騎士とも逸れてしまったもの。仕方がないわ」
「彼の失態については返す言葉もありませんね……早く合流できることを祈るしかなさそうです」
本来であればリオの外にもう一人、手練れだという若い騎士が付き添っていたのだが生憎魔物の襲撃に遭った際に逸れてしまっている。
クリスティーナの魔法の腕は人並み以上だが、それでも自身の身を確実に守る為に人手が多い方が好ましいのは言うまでもない。そもそもただの令嬢が一人で猛獣の相手をしている今の状況がおかしいのだ。
「ただ打開策と言いましても、やはり魔物との戦闘を避けることは難しいかと。絶賛食べられていますので体を取り返そうとすれば必然的に群がっている魔物とは接触します」
「……そう」
「安心してください、体さえ戻ればお嬢様に指一本触れさせることはありませんから」
「その点において心配はしていないわ」
従者という立ち位置は戦闘能力に重きを置く職種ではないが、クリスティーナは彼が秘めている身体能力の高さを買っている。
余程のことがない限り、彼が傍に居るような場面で怪我をすることはないだろう。
「信頼してくださっているようで嬉しい限りです」
「寄せられた期待には応えてこそ意味があるのよ。言葉ではなく結果で示しなさい」
「勿論」
行きましょうと声を掛け踵を返すクリスティーナ。
魔物の知性は低い種が殆どである。そして今回彼女達を襲った魔物も例外ではない。奇襲を恐れて自身の行動の痕跡を消す等といった理性的な行動はしないだろう。
であれば、自分達が襲撃を受けた場所まで戻ればリオの体を持ち去った魔物の動向を終える可能性は高い。
クリスティーナは警戒を怠ることなく来た道を駆け足で戻り始めた。
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