悪女と名高い聖女には従者の生首が良く似合う

千秋梓

プロローグ―国境沿いにて 『旅の始まり』

第1話 元公爵令嬢と首だけの従者

 昔々、魔族という人間と相対する存在がこの世界を支配していました。

 邪悪な獣や生命を脅かす恐ろしい植物が世界中に蔓延り、世界は混沌の最中へと陥りました。

 毎日毎日、大勢が命を落とし涙を流す日々。

 そんな絶望から世界を救ったのが神から聖なる力を授かった当時の聖女様でした。


 自身に人を救う力があることを知った聖女様は混沌に満ちた世界を救う為世界中を旅してまわります。

 旅路にて出会った人々には見返りを求めることなく手を差し伸べ、時には大きな危険へ自ら身を投じることもありました。

 そして優しく勇敢な聖女様は旅の途中で七人の仲間に出会います。聖女様から聖なる力の一部を預かった七人の従者は彼女に忠誠を誓い、共にこの世界を救う決意をしました。

 やがて、聖女様と彼女に従う七人の従者は魔族の頂点に座す魔王と対峙し、見事その戦に勝ち星を挙げました。

 長を失った魔族はこの世界を追いやられ、この世界に再び平和が訪れるようになりました。



***



「――こうして、聖女様と七人の従者は世界を救ったのでした」


 めでたしめでたし、と子供向けの童話を締めくくる優しい声を合図に、ベッドの上でうとうととしていたクリスティーナの意識は浮上する。

 今にも睡魔に負けてしまいそうな程重い瞼を何とか持ち上げ、自身の傍らに座っている女性を見上げる。

 長く美しい銀髪はクリスティーナと同じもの。彼女の母である女性は今にも眠りについてしまいそうな我が子の頭を優しく撫でながら語り掛ける。


「クリス……クリスティーナ。愛しい愛しい私の娘」


 歌うように紡がれる言葉が耳を擽り、照れ臭さも相まってクリスティーナはくすくすと笑う。

 慈しむように何度も頭を撫でる母親の腕が視界の真ん中に丁度収まってしまい、彼女の表情はよく見ることができない。けれどその穏やかな声色からきっと微笑んでいるのだろうことはわかった。

 頭を撫でている方とは反対の手がクリスティーナの左手首をなぞる。

クリスティーナが肌身離さず身に付けているブレスレット。優しく触れられたそれが小さく音を立てた。


「どうか、このお話の聖女様の様に清く正しく……そして強くあってね」

「お母様。そのお話、もう百回は聞いたわ」

「そうだったかしら。けれど、これはとても大切なことなのよ」


 だから、約束ねと続ける母の言葉に半ば眠りに落ちながら頷く。


「うん。私もお話の中の聖女様みたいな人になる」



***



 ――拝啓、天国のお母様。


 日中だというのにその日差しの殆どを覆い隠してしまう程に生い茂る木々や無造作に生える茂み。

 鬱蒼とした森の中を走り抜けながらクリスティーナは今は亡き母の面影を想う。

 足を止めない彼女の背後から迫るのは鋭い牙と爪を持った獣たち。


 息も絶え絶えになりながらも彼女が足を止めないのは自身の命を狙うこれらのせいである。

 彼女の質素なワンピースは既に至る所が泥や傷だらけだ。


(どうやら私はあの聖女様のようにはなれなさそうです)


 自らに迫りくる悪意に腹立たしさを覚え、ため息でも吐いてやりたくなる。

 その時、クリスティーナの腕の中から声が発せられた。


「災難でしたね、お嬢様」

「一体誰のせいだと思っているの」


 緊迫した状況下にも関わらずのんびりと間延びした口調。

 投げかけられた言葉をぴしゃりと切り捨てながらクリスティーナは自身が左腕に抱えているそれを冷たく睨みつける。


「そんな怖い顔をなさらないでください」


 男性のは自身に注がれる冷たい視線に動じることもなくけらけらと愉快そうに笑う。

 クリスティーナは生首を抱えて森を駆け抜けるという状況に置かれた自身を顧みて生前の母の言葉を思い出していた。


 ――『聖女様の様に』。


(生首を抱えて森を走り回る令嬢が一体どこにいるというのでしょう)


 生首を抱えて血に塗れた、思わず現実から目を逸らしたくなる凄惨な現状。

 清く正しくとは程遠い……そうでないにしても一介の公爵令嬢とは到底思えぬ己の姿に嘆かずにいられない。


(――やはり聖女になんて、到底なれそうにもありません)

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