第63話 探偵でもやったらどうですか?

 壁にある時計を見ると、現在時刻は11時……窓の光を考えると、夜中ではない。つまり私は……みなとさんの家で一夜を明かしたらしい。そして今は昼の11時頃。


 それから、沈黙。お互いに何もしゃべらない期間を挟んで、


「……それで……むぎさん。なんでこんなことを?」

「こんなこと、とは?」

「……どうして僕に、睡眠薬なんて……」

「あなたが好きだからです」私は自分の気持ちをまっすぐに伝える。「さっきも言いましたけど、私にはあなたしかいないんです。だから、付き合ってください」

「……」みなとさんがこちらを見る。私はまだ布団に縛り付けられているので、見下されている形だ。なんかグッと来る。「……その思考に至った理由を説明してほしいんですが……」

「いいですよ。じゃあ最初から……」私がみなとさんを好きになった理由を語ろうとしたときだ。急に私の体がブルッと震えた。「……」

「どうしました?」

「いえ……その……ちょっと……尿意が……」


 考えてみれば、私は昨日からトイレに行ってない気がする。途中までは水分量が少なくて助かっていたが、そこにあのペットボトル一気飲みだ。ついに膀胱が限界を迎えている。

 しかし……今の私は拘束されている身だ。このままでは……


「……ちょっと拘束を解いてもらえると……ありがたいんですが……」

「……」今日は本当にみなとさんのため息ばかり聞いている。ちょっとだけ申し訳なくなってきた。「……余計なことはしないでくださいね?」

「わかりました」


 ということで、私は拘束を解いてもらった。掴みかかって押し倒そうかと思ったが、ものすごく警戒されていたのでやめた。というより、できなかった。これは大人しくトイレに行くしかないようだ。


 トイレに行って開放感に包まれて、一度深呼吸をする。なんだか正気に戻ってきて……いや、いかん。正気に戻ってはいけない。このまま狂い続けないと、きっと私はおかしくなってしまう。


「おまたせしました」お礼を言ってから、私は両手をみなとさんに差し出す。「どうぞ、拘束してください」

「……ではお言葉に甘えて」


 みなとさんに安心してもらうために、私は再び手をロープで結ばれる。足も結んでほしいと頼んだが、そこまではしなくていいと断られた。


 まぁ体格差を見ても、手が使えない私に勝ち目はない。手を拘束した時点で、みなとさんの身体的安全は保証されたようなものだ。だから、手だけの拘束でいい。


 さて手を拘束された状態で、私は語り始める。どうして私がみなとさんに惚れたのか……その理由。


 ……なんだっけ……えーっと……どうして私はここまで病的にみなとさんを求め始めたのだっけ? なにか大きな理由があったはずなんだけど……なんだっけ?


 まぁいいや。覚えているところから語っていこう。


「私は……基本的に否定ばっかりされていました。会社でも学校でも……私の言うことなんて誰も聞いてくれなかった。それは私が無能であることが悪いんですが……まぁ、否定ばっかりされていました。たまに肯定されても……生きてるだけで価値があるとか、参加することに意義があるとか……表面的な言葉しか投げかけられませんでした」


 今にして思うと、その表面的な言葉を素直に受け取ればよかったのだと思う。だけれど、当時の私には届かない言葉だった。誰も私を見てくれないと思っていた。


「それで……仕事もうまくいってないし。人間関係も悪くて……その時に、みなとさんのサービスを見つけたんです。最初は特に期待もしてない……暇つぶし程度だったんですけど……」私はみなとさんとの出会いを思い出す。「みなとさんは……私のことをしっかりと肯定してくれました。私の外見上とか、上っ面の言葉じゃない……しっかりと私を見て、私のことを肯定してくれました」


 あなたはきっと優しい人だと。そう思った理由を、しっかりと説明してくれた。上辺だけ取り繕った言葉じゃなかった。


 私は続ける。


「嬉しかったんです。あなたの言葉がビジネスから生み出された言葉なのは理解している。仕事だから私に優しくしてくれる……それはわかってます。それでも私は……あなたの優しさの虜になった」それから私は……なにをしたんだっけ? なんだか記憶が曖昧だけど……「そうそう……それで、たしかみなとさんのストーカーをはじめたんです」

「す……」さすがに予想外の言葉だったらしい。「ストーカー?」

「はい……2回目に会ったときに……みなとさんの体力とか、近くの喫茶店とか……そういった情報から生活圏内を推測しました。それで……その周辺を毎日歩いていたんです。偶然みなとさんと出会うために」

「……どれくらいの期間……どこを?」

「えーっと……半年くらい……?」もうちょっと短かったかも。「場所は……」


 私は私の推測したみなとさんの生活圏内を教える。それを聞いたみなとさんが、


「……むぎさん……探偵でもやったらどうですか?」

「考えてみます」自分でも、向いているのではないかと思っていた。そして、私の推測したみなとさんの生活圏内は大正解だったらしい。「とにかく……私はその周辺を、ほぼ毎日歩いていました。まぁ……結局みなとさんは見つかりませんでしたけどね」

「……」またみなとさんのため息。みなとさんの呼吸が感じられて幸せ。「……オススメの喫茶店なんか、教えるんじゃなかった……ちょっと、危機感が足りませんでしたね。次から気をつけます」

「私がおかしんですけどね。みなとさんが悪いわけじゃ……」

「……どうですかね……こんな商売をしているのだから、もっと個人情報には気をつけるべきでした。僕の危機管理がなっていなかったことはたしかです」

「……そうやって自分の行動を反省できるみなとさん……好きです」


 私がうっとりした表情を向けると、みなとさんは頭をかいて目をそらす。本当に私の対応に困っているようだった。


「それで……生活圏内を予想してその場所を歩き回る……その結果が振るわなかったから、今回のような行為に出た?」みなとさんは質問してから、自分で自分の言葉を否定する。「いや……その割には時間がかかりすぎていますよね。やるなら、もっと早くだ。それにこんな雑な計画……普段のむぎさんならありえない」

「私のことを、そんなに考えてくれるんですね。嬉しいです」

「……」みなとさんはなにか言いたげだったが、それは飲み込んだ。代わりに、「やっぱりむぎさん……なにかありましたよね。あなたの人生観を変えるような何かが、むぎさんの身に起こった。だから、あなたは今回のような行動に出た」

「……私の人生観を変えるようなこと……?」


 なんだろう……そんなことがあっただろうか? みなとさんとの出会い以上に衝撃的なことなんて、今の私には……


 ……衝撃的な出来事……衝撃的……なんだっけ? 考えても思い浮かばない。ただ私はみなとさんへの想いだけで暴走したような気もする。


 だけど……言われてみればみなとさんの言うとおりだ。本当にみなとさんを眠らせて誘拐するつもりだったのなら、もっと計画を立てる。だけど今回の私は……あまりにも適当な計画を実行した。まるでなにかに追い詰められているかのように……


 ポカンとした表情で考える私に、


「……思い出せないなら、そのほうがいいかもしれませんね」

「え……?」

「……あまりにも恐怖が大きいと……脳がその記憶を削除する、という話を聞いたことがあります。それは心の防衛本能で……今のあなたには受け止められない、重すぎる出来事があったのかもしれません。なら……思い出さないほうがいいかも……」

「はぁ……」


 よくわからないけど……みなとさんが言うならそうなのかもしれない。記憶から削除するほどの恐怖が、私の身に降り掛かったとは思えないけれど……どうなのだろう。


「とにかく」みなとさんはスマホを差し出す。それは私のスマホだった。手が縛られているから受け取れないけど。「誰かお知り合いはいませんか? 今すぐ迎えに来てくれそうな知り合いの方はいますか?」

「……知り合い……」


 私を迎えに来てくれる知り合い……ゆきさん? まぁ第一候補だな。あの人、仕事してるのかも不明だし。昼間から呼び出しても大丈夫かもしれない。

 ほかは……エマさん……エマさん? エマさんって誰だっけ? なんだかどこかで出会ったような気が……


 なんで……? なんで私はエマさんと出会ったんだっけ?


「なんで……?」思わず、声が出ていた。「エマさん……エマさん……」

「エマさん、という人がお知り合いですか?」

「知り合い……?」霧がかかったような記憶が、少しずつ鮮明な形に復元されていく。「……そうだ……エマさんに送ってもらったんです……」

「……どこに、ですか?」

「どこ……?」どこだっけ? そもそもエマさんとは、どうやって出会ったんだっけ? 「……たしか、冤罪をかけられて……」


 冤罪……そうだ冤罪だ。たしか社長のお金を私が盗んだって冤罪が……


「それから……それから……?」その冤罪は、どうなったんだっけ? 冤罪をかけられて、私は絶望したんだっけ? 「私はエマさんに連れられて……」


 車に乗った。そして……その車がたどり着いたのは……


「病院……?」そう……エマさんに連れられて行ったのは病院だ。「なんで……病院になんか……」

「もういいです」不意にみなとさんが、「そこまでにしましょう。無理に思い出す必要は……」

「……?」そう言われて、異常に呼吸がしづらくなっていることに気がついた。「あれ……? ……?」

 

 過呼吸になりかけながらも、記憶が蘇っていく。止めようとしても、止まらない。


「……病院で……私は……」廊下を進んで、フロントの人に場所を聞いた。「場所……? なんの、ばしょ……」


 ……


 ……


 ……


「ダメだ……思い、出せない……」


 肝心なところが、どうしても思い出せない。私はなんで病院に行ったんだっけ? それが私の重大な記憶であることはたしかなのだけれど、思い出せない。


 みなとさんの言う通り、思い出せないほうがいいのかもしれない。記憶が蘇らなくなって、私の呼吸は落ち着き始めた。


 とにかく……


「知り合い……ですよね」迎えに来てもらわないと……それはわかっているけれど、一応聞いてみる。「ここに住まわせてもらうっていう選択肢はありますか?」

「ありません」

「ですよね」みなとさんからすれば、私はただのストーカーだ。「じゃあゆきさんかな……」


 エマさんがなにものか、まだ思い出せてないし。


「じゃあ……手の拘束を解くので、連絡してください」

「はい」手に絡みついたロープがなくなって、私は自分のスマホを受け取る。そして画面を見て、「……やたら連絡が……」


 異常な数の着信履歴があった。エマさんからの大量の着信とメッセージ。


「ああ……そっか……」私は時計を見て、「もう11時……出勤時間だ……謝らないと」


 エマさんは、会社の人だったのだろう。だから、出勤時刻になっても現れない私に連絡しているのだろう。そう思えば納得できる。


 私はゆきさんの連絡先を探しながら、


「遅刻の言い訳……どうしようかな。さくらさんも心配してるだろうし……」


 その言葉を言った瞬間、私の心臓が大きく飛び跳ねた。


 ……


「……さくらさん……?」

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