第49話 もしも断れば……

 この会社の社長は……結構な老人だ。とはいえ背筋はシャンとしているし、身だしなみもバッチリ。頭皮が薄いのが人によっては気になるだろうが、渋くてダンディなオジサマの部類に入るだろう。calmカームの店員さんほどじゃないけれど、一般的にはカッコいい老人に入ると思う。


「さて青鬼あおきくん」社長は渋い声で、「最近のキミの活躍は聞き及んでいるよ。社内での貢献度も評判も、うなぎのぼりじゃないか」

「は、はぁ……自覚はありませんが」たしかに嫌がらせは少なくなってきたけれど……「……それが、どうかしましたか?」


 昇進でもさせてもらえるのだろうか。いや……社長が直接呼び出して昇進のお祝い、ってこともないだろう。うちはそんな社風ではない。


「ふむ……」社長は私を足から頭までしっかりを見てから、「キミ……恋人の類はいるのかね」

「……まだいませんけど……」まだ、ね。まだいない。もうすぐできるはずだ。「……あ、あの……」


 嫌な予感がして話を打ち切ろうとするが、社長はそれを無視するように。


「なるほど……まぁキミなら及第点だろう。もう少し若いほうが好みなんだが……」私もですよ。というか社長何歳だよ。もう老人の域に入ってると思うが……「よし。良いものを見せてあげよう」


 なにを見せされるのだろう。いや……なんとなく想像はついているけれど。


 社長は立ち上がって、本棚に寄っていく。そして数冊……本を取り出しては入れ、取り出しては入れ……いろいろな順番で本を入れ替えている。


「ちょっとした暗号みたいなものでね。暗号の解読方法は……もっと親しくなったら教えよう」結構です。社長と親しくなる予定はないので。「さぁ……もうすぐだ」


 社長の言葉とともに、なんと本棚が動き始める。本棚が横にスライドして、鉄の扉が現れた。RPGみたいな仕掛けだな。こういう仕掛けは、はっきり言って好きだ。ちょっとテンション上がった。


 さらに社長は鉄の扉の備え付けられていたパネルを操作する。


「この暗証番号も、教える可能性はあるな」いらないってば。勝手に1人で秘密にしておいてください。「さてこれで……」


 番号を入力し終えて、社長は鉄の扉の取手を引っ張る。その鉄の扉が開いて、


「着いてきたまえ」


 社長は扉の中に入っていった。ここまで来て勝手に帰ったら怒られるだろうから、私は仕方なく社長のあとに続いた。


 鉄の扉の中は、暗い空間だった。だけど、結構広い空間なのは空気でわかる。


「今、電気をつけてやろう」


 その言葉とともに、部屋の電気が点灯する。そして、私の目の前にあったのは……


「……っ……!」


 さすがに、ちょっと驚いてしまった。


 私の目に入ったのは……お金だ。一万円札。それも一枚や二枚じゃない。札束が大量に……いや、札束で壁が作られていた。いったいいくらあるのか、想像もできない。ただただ大金がおいてあることしか認識できない。


 ……なんでこんなお金が……この別に大きくない会社に、ここまでの大金があるものだろうか? 社長ともなればこんなに稼いでいるのだろうか? それとも……


 社長は金の壁を撫でて、


「これが私の力だ。どうだね?」

「……ど、どうだと言われても……」なんて返せばいいのだろう。「……すごい大金……ですね……」

「そうだろう」社長は満足そうに頷く。どうやら及第点の返事だったらしい。「私の女になれば、これの一部を使わせてやってもいい」


 ……ストレートに来たな。

 要するに……私は今、口説かれている。セクハラをされている。金を見せれば落ちる女だと思われている。


 ……噂には聞いていた。社長が金で女性を口説くという都市伝説は聞いていたけれど……まさか実在する話だったとは。


 さて……どうするか。この状況……一筋縄では切り抜けられないかもしれない。


「どうだね?」社長は私に近づいて、「この金を使えば、その美貌を少しでも長持ちさせられるかもしれんぞ」


 社長の毛根は長持ちしませんでしたけど……なんてことを思ってしまう私は性格が悪い。

 にしても……美貌ねぇ……いきなりそんなこと言われてもな。別に私は私の容姿が良いなんて思ってない。美貌ってのは明らかにお世辞だ。自分の愛人に迎え入れるためのおべんちゃら。


青鬼あおきくん」社長はさらに私に近づいてくる。パーソナルスペースまで侵入されて、思わず後ずさる。「世の中……金は重要だ。私を愛せとは言わない。この金目当てでいい。その代償として、ちょっとした行為に付き合ってくれればいいんだよ」

 

 ボウリングとか……って、そんなわけないよな。まぁその……夜の営みというか、オトナの遊びというか……

 ……こんな人間、実在するんだな。金で口説こうとする人間……まぁヤンデレという属性も存在するのだから、スケベオヤジという属性も存在するのだろう。


 どうやって断るか迷っていると、


「その肌も……もっとキレイになるだろう」


 そのまま、社長の手が私の顔に近づいてくる。昔の私だったら無抵抗だったかもしれないが、今は違う。今の私は……みなとさん以外の男性に触れられたくない。


「やめてください」私は社長の手をつかんで、そのまま社長に強い目線を送る。「……」

「良い目だ」社長はいやらしく笑う。「……私の女になる話は――」

「お断りします」キッパリと、そう言い切ってやる。「一応……好きな人がいるので」

「そうなのか。社内の男か?」

「答える必要を感じません」私はそのまま社長の手を放り投げるように離して、「お話はこれだけでしょうか? でしたら……失礼します」


 私は踵を返して、社長室から出ようとする。しかし社長室の扉に手をかけたときに、


「いいのか?」

「……?」

「私の誘いを断ったら……なにが起きるかわからんぞ? 例えば嫌がらせが始まったり……」

「……」ため息をつきそうになった。もう嫌がらせはされている。「……」


 結局私は言葉を返せなかった。どう返しても社長の掌の上のようで、黙るのが正解に思えた。


「もう一度だけ聞こう」社長は言う。「私の女にならないか? もしも断れば……なにかキミにとって不利益なことが起こるかもしれないぞ?」


 ……ちょっとだけ迷った。不利益なこと、とはなんだろう。嫌がらせが激化? 給料ダウン? 

 ……問題はないはずだ。生活できないほど給料が下がれば、そのときはさすがに転職を考える。今の私の気力なら転職くらいはできる気がする。


「……失礼します……」


 私は一応頭を下げて、社長室を出た。社長室の中から社長の笑い声が聞こえた気がするけれど、無視して自分のデスクに戻った。


 ……なんだか疲れた。でも、これしか選択肢はなかったはずだ。私には心に決めた男性がいる。今はまだただのストーカーだけれど、きっと彼を私のものにしてみる。その決意があるから、社長の女にはなれない。


 これでよかった……これでよかったはずだ。これ以外なかったはずだ。


 でもなんだろう……この胸騒ぎは……


 いや、きっと気のせいだ。もしかしたら嫌がらせはひどくなるかもしれないけど、私が耐えればいい。私1人が耐えれば解決する話なのだ。


 ……大丈夫、だよね?

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