あなたのすべてを肯定します。一時間3500円交通費込み(犯罪行為や誹謗中傷、公序良俗に反する行為は肯定しません。また、個人情報の開示は一切しておりません)

嬉野K

全肯定

あなたのすべてを肯定します

第1話 常識だろ?

 サービス提供者とただの客。それだけの関係で満足していればよかったのに。そうしていれば、少なくともこんなことにはならなかっただろうに。







 ため息。一言で言えばそれで終わり。

 しかしため息というものも、聞き慣れるといろいろな感情を表現していることがわかる。私はよくため息をつかれるので、ため息だけで相手の感情が読み取れる。


「はぁ……」眼の前の私の上司が、呆れのため息をつく。「青鬼あおき……お前、相変わらず名前負けしてるよな」

「……すいません……」


 別にこの名前に生まれたかったわけじゃない。同じアオキなら、青木が良かった。なんで鬼なんて、私には似合わない漢字が入っているのだろう。


「お前さぁ……」上司の言葉はまだ続く。「入社して、そろそろ1年だろ?」

「はい……」

「なのに……こんなこともわかんない?」

「こんなこと、とは……なんでしょうか……」

「はぁ……」


 またため息。今度は失望のため息だ。


 こんなこと、と言われても本当にわからない。そもそもなんで私は今、こうやって怒られているのだろう。命じられた仕事はこなしたはずだ。


 しかも……こんなオフィスのど真ん中で怒らなくてもいいのに。他の社員もみんな見てる。クスクス笑いながら、こっちを見ている。その視線だけで心が焼ける。修復不可能なくらい焼かれていく。


 いっそのこと、心なんてこのまま壊れてしまえばいいのに。中途半端に回復しようとするから気が狂いそうになるのだ。完全に吹っ切れてしまえばどれほど楽なのだろう。


「掃除とお茶出しと買い出し」

「……?」

「常識だろ? その手の雑用は、新人の女がやる。今どきそんなこともわからないのか?」


 今どきそんなことを言ってるんですか?なんて反論ができるわけもない。言ってやりたいが、そうしてしまえば私の首を絞めることになる。


「申し訳ありません……」とはいえ、このまま黙っておくほど私は仕事ができる人間じゃない。「ですが……今までそんなことは……」


 この会社に就職して1年が経過しているが、はじめて言われた。もちろん掃除や買い出しを頼まれることはあったが、それは直接命令として、仕事として頼まれていた。暗黙の了解としてやれなんて言われたことはない。


 それに……お茶はみんな持参してる。客人が来たときも、私はお茶出しを頼まれない。青鬼あおきじゃ先方が喜ばないそうだ。


「言わないとわからないのか?」そりゃわからないだろう。「とにかく……今すぐお茶をもってこい。それからプリンターのインクと……適当に菓子を買ってこい」

「……」それは私の仕事なのだろうか。まぁ無能に与えられる仕事としては……良いかもしれない。「わかりました……」

「ああ……それからな」上司はA4の紙の束を取り出す。私が作成した書類だ。「誰がA4サイズで作れと言った?」

「……」あなたですよ。そう言ってやりたいが、怒りモードの上司に何を言っても無意味なことは私の心に染み付いている。「……誰かに言われたと、思うんですけど……」

「そうか……そいつはとんだ無能だな」だから、あなたですよ。「俺への書類はB5サイズで作れ。そっちのほうが扱いやすい」


 この間B5で作ったら『常識的に考えてA4だろう』って言われたんですけど……その前はA5で作れと言われたけど。まぁこの上司の理不尽は今に始まったことじゃない。ずっと耐えていれば、明日には意見が変わっている。そのときに怒られるか否かは、運次第である。


「とにかく、買い出し行って来い」

「はい……」


 ああ……なんで私はこんなに無能なんだろう。他の社員は怒られずにうまくやってるのに。


 ……生きるって、難しい。もっと楽に生きたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る