天王山の夏も終わりを迎え、四季の中で一番落ち着く季節がやってきた。あの夏、彼と歩いて帰った日から私の進路は無事確定した。


 夏に行われた三者面談でも、私は進路希望調査用紙に書いた進路とは違う進路を話したものだから、当然母も担任も驚きの表情を隠せてはいなかった。色々な意味で...


 あの日、彼から一緒の大学に行こうと言われてから私は、夏の全てを受験勉強に捧げた。もちろん、他の受験生たちよりも遅れをとっていたので、それを取り返す勢いで一日中勉強に時間を費やした。


 今私たちが目指している大学は、全国的に少し名の知れた国立大学。今の私の学力では、合格は難しいことくらい言葉にしなくてもわかるほど。


 大学受験は高校受験とは異なり、全国から受験生が集ってくる。いわば、ライバルは全国にいるということ。高校受験はその県に住んでいる同年代がライバルだったのに対し、大学受験は年齢さえも違う場合もある。


 私みたいに毎日数時間勉強している人なんて、大勢といるのだ。その中から『合格』を掴み取ることができるのはごくわずか。受かる人もいれば、落ちる人もいる。残酷なものだが、私たち人間はずっと小さい頃から勝負をしてきているので、仕方がないのかもしれない。


 かけっこ、テスト、言語と...私たちは生まれた時から常に他者と勝負をしているのに気づいていないだけで、世の中は他人の落とし合いにすぎない。


 これは、死ぬまで人である限り続く。社会人になっても同期とのノルマ競争、家庭を持っても他の家庭との幸福感、老後の貯金など。世はそんな勝負で溢れていることに目を背けてはいけない。


 世の中は思っているよりも残酷で儚いのだ。でも、だからこそ自分で勝ち取ったものの価値は、自分の中で非常に大きく、そして財産になることは間違いない。


 私はその『勝ち』を掴み取るために、この瞬間も勉学に励んでいる。将来の夢はまだ未定だが、それは大学に行ってからでも問題はないだろう。大学で自分がしたいことが見つかるかもしれないから、まだ焦る必要はない。今は自分が本当に向き合わないといけない現実から逃げないこと、これが大切だと胸に刻む。


 私と彼の志望校はめでたく同じになったが、志望学部は当然違う。私は、文学部に興味を持ったので、文学部。彼は天下の医学部。本来なら彼は東京の名門大学の医学部にも合格できるほどの頭脳の持ち主らしいが、実家から近い方が何かと便利ということで、地元の国立大学の医学部を受けるつもりでいたのを後から聞いた。


 私を誘ってくれた理由は、未だに不明。だが、私の目標ができたことだけは彼に感謝しなくてはならない。例え、志望動機が彼も受験するからという不純な動機であろうとも。


 あれからも彼とはバスの中では、毎日会うような関係ではあるが、それ以上は一切ない。どこかへ出かけたりだとか、休日に会って遊んだりも。


 恋心を抱いている私からしたら、少し寂しい気もするけれど彼にその気がないのでは仕方がないのだ。


 今日もいつも通りの何気ない日々。見慣れた景色に毎朝見ているような顔ぶれの人たちがバスの中に溢れかえっている。


 見慣れた景色ではある...だが、外はすっかり緑だった木々たちがすっかり赤や黄色の葉で色づいてしまっている。中には裸の細々とした木も中にはポツリとある。


 街行く人々の格好もすっかり半袖を着ている人なんて一人もおらず、皆暖かそうな服装が増えてきたのが見てとれる。中にはマフラーを巻いている人もいるが、さすがにまだ早いのではと思ってしまう。


 だって、寒いというよりは涼しいといった方がしっくりくる温度感なのだから。人それぞれではあるので、深く言及はしないが...もしかしたらかなりの寒がりだったりとか。


 窓の外に魅了されている間に彼のバス停に到着する。バスの扉が開くとすぐさま冬服の制服に身を纏った彼がバスに乗り込んでくる。


 制服にどこでつけたかわからない枯れ葉がくっついているのに、気づかないでバスに乗り込んでくるドジな彼。


「おはようございます。今日は少し冷えますね。恋歌さんは寒くないですか?もし、寒かったらカイロをあげますよ」


 自分のことよりも私のことを心配してくれる彼。それだけのことなのに、嬉しく感じてしまうのは私が彼に恋をしているからだろうか。


「いいの?」


 いつもの席に座った彼が鞄から新しいカイロを取り出そうとしている。でも、私は知っている彼のポケットに入っているであろう既に温まっているカイロがあることを。


「はい!どうぞ」


 手渡された新しい冷たいカイロを彼から受け取り両手で塞ぎ込むように、大事に熱が逃げないように温める。少しだけ彼の手の温もりがそのカイロにも伝わっている気がした。


「ありがとね!それじゃ今度は・・・」


 私に背を向けたままの彼の大きな背中。その左肩側についている落ち葉を彼に気づかれないように取るのが、今の私のミッション。


 そっと人差し指と親指を彼の方へと伸ばしていく。指先にパリッとした感触が伝わってくる。


 "よし!このままいけば気づかれずに取れそう"落ち葉をそーっと彼の肩からゆっくり持ち上げて私の方へと引き寄せる。


「あの、恋歌さ・・・」


「わっっっ!!!」


 突然彼が振り向いたことによって、指で挟んでいた落ち葉はバスの座席の下へと潜り込むようにどこかへ行ってしまった。


 ミッション失敗...


 もちろん急にバスで悲鳴を上げたものだから、乗客たちが皆私の方へと視線を向けているのが、感覚的にわかる。なんとも居た堪れない空気感が車内に流れる。


「ご、ごめんなさい。驚かせてしまって本当にごめんなさい!」


 もう一度、車内に聞こえる声で謝ると私に向けられていた視線が一気に各方面に散らばっていくのが見なくてもわかった。


 中にはため息やちょっとした小言も聞こえたが、完全に私が悪いので仕方がない。それなのに、気持ちが落ち込まないのはなぜだろう。


 理由は一つ。目の前に座っていた彼が、笑いを堪えながら私のことを見つめていたから。もし、彼がいなかったら私はきっと落ち込んでいた...ん?そもそも彼がいなかったらこんなこと起きなかった...ま、終わったことは振り返っても仕方がない。


「そんなに驚かなくても・・・あー、面白いですね。恋歌さんは」


「か、叶多くんが急に振り向くからでしょ!」


 声を荒げてしまい、ちらほら視線がまた集まる。"ごめんなさい"と小さく頭を下げ彼のことを睨む。


「はぁ〜、笑いすぎてお腹痛いです。助けてください」


「しりません。勝手にしてください」


 "えー"と呟いている彼を無視しつつ、内心はドキドキしていた。彼が私に笑顔を向けてくれたことに。今までも度々そんなことはあった。でも、彼の素の笑顔というのはなかなか見られるものではなかった。


 直視することができずに、窓の外へと意識を移してしまう。これでは勝手に私が浮かれているだけではと思うが、今はこれが楽しいのかも...


 手に持っていたカイロが熱を帯び始めてきた気がした。ついでに私の心も。


 アナウンスが聞こえ、彼が降りる準備をし始める。どうやら、彼の高校前にもうすぐ到着するらしい。今日もこれで彼を見るのが最後なのかと思うと少し心寂しい。


「あ、あのさ。私のカイロと叶多くんの持っているカイロ交換しない?」


「え、なんでですか?それにどうして僕もカイロを持っているのを知っているんです?」


「私にあげるってことは自分も使っていて、常に予備のものを鞄に入れて持ち歩いていると思ったからかな。自分が使わないで、人にあげるなんて人なかなかいないしね」


「なるほど鋭いですね。さすがです。それよりどうして交換を?」


「んー、なんとなく。どっちのカイロの方が温かいかなって思って。帰りまで温かった方が勝ちってのはどう?渡した時点でそれはもう自分のカイロね。勝ったら何か奢るってルールで」


 苦し紛れの言い訳に聞こえる気もする。彼の反応が気になって仕方がない。もしかしたら、キモいやつなんて思われても仕方がない言動。


「面白いですね。その勝負乗りました!それじゃ、僕が帰り恋歌さんのことを迎えに行きますので、恋歌さんは学校の校門の前で待っていてください」


 まさかの一緒に帰る約束までできるとは思わず、気持ちがシャボン玉のようにどこまでも高く上がっていきそうになる。


「う、うん!わかった。来るまでちゃんと待ってるね!」


 差し出してきた彼の左手に私の気持ちと、熱がこもったカイロを静かに乗せる。彼もポケットからカイロを取り出し、私の手のひらへとそっと丁寧に置いて交換をする。じんわりとした温かさが私の手のひらを包み込む。


 彼の熱がこもったカイロを大切に握りしめると、ジワジワと心までが温まっていく感じに襲われる。


 バスが止まり彼の高校前に停車する。バスの扉がゆっくりと開き、すーっとした肌寒さが車内に流れ込んでくる。


「それじゃ、また後で」


 そう言い残し、彼は肌寒い風が吹いている秋の中に飛び出していった。彼の頬が寒さで一瞬にして赤くなっていたように見えた。


 私の手には彼から受け取った、温もりが感じられるなんの変哲もない普通のカイロ。でも、これは私にとって彼との大事な繋がりを示すアイテム。


 "あぁ早く放課後にならないかなぁ"


 私の思いに共鳴したのか、カイロが少しだけ温度を高めた気がしたんだ。秋のはずなのに私の体は、この前の夏の暑さを思い出させるくらい熱っていた気がした。


「おはよー、恋歌」


 教室に入ると既に美羽と幸太が私を待っていたかのように、席の周りに集まっていた。二人が私よりも早く教室にいるなんて滅多にないことなので、驚いて扉の前で固まってしまう。明日、雪が降るのではないかと思うほど...


「ど、どうして今日、二人来るの早いの?」


「いやー、それがさ部活に顔を出さないといけなくてさ。そのおかげで今日は、六時過ぎに家を出たんだわ。眠すぎる」


 美羽と幸太は夏でも好成績を叩き出したことで、当初の予定よりかなり部活が長引いてしまったのだが、ついこの間ようやく三年間の部活動に終止符を打った。

 

 美羽は関東大会四位。幸太は全国大会七位とどちらも優秀すぎる成績を残したことでうちの高校ではヒーロー的存在にまでなってしまった。


 結果も結果なので、各方面の大学から推薦の誘いがあったのは言うまでもない。二人はこの先もまだスポーツと向き合いたいらしく、その推薦校の中から今はどれを選ぶか慎重に悩んでいるみたいだが、もうすぐ決めないといけないようで焦ってはいる様子。


 口ではそう言っているが、見たところ焦っている様子はない。


「後輩にでも指導してきたの?」


「あぁ、そうなんだよ。今じゃ俺はこの学校の・・・」


 後ろから思いっきり丸めたノートで頭を叩かれる幸太。叩いたのは一人しかいないが...


「すぐに調子に乗るな!ばか幸太」


「急に叩くなよ。痛いわ!それに少しくらい調子に乗らせろよ!」


「ぎゃあぎゃあ騒がないで、耳障り。バカは放っておいて、恋歌がカイロなんて珍しいね。もしかして・・・」


 美羽の後ろでは言葉にならない何かを必死に訴えている幸太の姿がチラッと映るが、すぐに美羽が見えないように私の視線から遮る。


「え、たまたまだよ。家においてあったから使ってみようかなって」


「にしては顔赤いけど?それに恋歌は冷え性でもないし、いつも手温かいじゃん。あれ〜、おかしいな〜。親友に嘘をついているのかなぁ〜?」


 私の幼馴染で親友の彼女はこういった些細なことにも気がつくほど、鋭いのだ。私もそこそこ鋭い方ではあるが、彼女の鋭さには勝てない。


 もう一人の親友は鈍感すぎて話にすらならないが...今も私たちに無視されて一人騒いでいる模様。興奮している動物園の猿ばりの暴れ具合。


「美羽には敵わないな〜」


 これ以上嘘をついたところで、なんの意味もなさそうなので素直に認めることにした。彼女に目を向けると、"ほら、どうだ!"とご満悦の表情だった。


「・・・ってことです」


「なるほどね、恋歌もなかなか大胆なんだね。すごいわ、私には真似できそうにない・・・私は気になる人には強くあたっちゃうから」


「知ってるよ、幼稚園の頃から好きだもんね?」


「な、なんで知ってるの!私隠してたつもりなんだけど。わかりやすかった?」


「さぁ〜、長年の付き合いってやつかな!」


 彼女に仕返しのつもりで笑顔をお見舞いする。美羽は頬を赤く膨らせたまま私の顔を"いつかみてろよ"という目付きをしてこちらを睨んでいた。


 幸太にいつも強い口調で色々と言っているが、本当は全て幸太のためを思って言っているのはしっかり私には分かる。ただ、言葉が強すぎて当の本人には悪口にしか伝わっていないかもしれないけれど。


「おい!二人でこそこそ何話してんだよ!俺も混ぜろ〜」


「あぁ、美羽の好きな人の話をしてたんだ!」


 美羽の顔が一気に茹で蛸のように"プシュー"と音を立てて動かなくなってしまった。さすがにこれは言いすぎたかもと少し反省。少しだけね。


「あ、美羽の好きな人。俺分かるぞ」


 三人の間に変な沈黙が訪れる。まさか、この場で告白の展開になってしまうのかと、私まで心臓の鼓動が速くなってしまう。私でこれなのだから隣にいる美羽は...驚きの表情が全く隠せていなく、いつもの落ち着いた美羽はそこにはいなかった。


「あ、あんたの分かるの・・・?」


 さすがに痺れを切らしたのか、美羽が幸太に問いかける。口に溜まった唾液が喉を通って、音を立てるながら胃に落ちてゆく。


 そんな些細なことがクリアになるほどの緊張感が私たちの中にはあった。もしかしたらという期待と、違った時の不安が私の心を渦巻く。


 私でこんなに渦巻いているのだから、美羽の心の中では台風が起きているのではないか。


「おう!俺と恋歌だろ!」


 緊迫した空気をぶち壊すなんとも空気の読めない、幸太の発言にどっと疲れがのし掛かる。


 どこまでいっても幸太は幸太だった...少しでも期待していた私と美羽がバカだったと思い知らされるだけの時間。不条理にも時間だけは私たちを待ってくれることなく過ぎていく。


「あ、あのさ幸太・・・そういうことじゃな・・・」


「そんなことだと思ったけど、やっぱりあんたは脳みそまで筋肉になっちゃったのかもね」


 淡々と言葉を並べている美羽の横顔は、哀愁が漂う切ないものにも見えた。きっと美羽自信、期待していた自分に失望しているのだろう。


 美羽の性格上、自分自身を責めてしまうのは、長年の付き合いで数しれないほど見てきた。でも、今回ばかりは切なすぎてかける言葉が出てこない。


 こんなにも彼女は想っているのに、相手には『親友』という括りでしか見られていない辛さ。私にはその苦しみがわからないのが、より苦しい。


「どうしたんだ、美羽?俺、何かおかしなことでも言ったか?」


 美羽の気持ちがあまりにも切なすぎて、幸太に一言言おうと口を開きかける。しかし、できなかった。私の左腕を彼女が握りしめていた。


 心が苦しい...どうして恋はこんなにも心が詰まったような気持ちになってしまうのだろうか。それにここで私が幸太に何かを言ったところで、美羽の気持ちが報われるわけではない。むしろ、さらに彼女を傷つけてしまう。


 浅はかすぎた一瞬の行動で私たちの関係が、崩れてしまうことだってザラにあるだろう。その意味でも私のことを引き留めてくれた彼女には感謝だが、美羽自身は今...どんな顔をしているの。


「ありがと、恋歌・・・」


 ボソッと聞こえた彼女の今にもこの場の喧騒から消えてしまいそうな掠れた声。


「なんでもないわよ、あんたに心配されるほど私は柔じゃないわよ!」


「なんだよ、びっくりさせんなよ。安心した、いつもの美羽だわ!」


 幸太の目には『いつも通りの美羽』に見えたのだろうが、私から見えた美羽の顔は今までで見たこともないくらい偽物の笑顔のレッテルを貼り付けた弱々しい顔だった。


 自分の席に戻っていく彼女の背中は、いつもよりもかなり小さく感じられた。普段から助けられているあの背中。だけど一歩も私はその場から動くことができなかった。


 幸太も男友達に呼ばれたようで、すぐさま私の視界から消えてしまった。互いにすれ違う想いをこんな間近で見ることになるとは思ってもいなかった。どちらの言い分も私にはわかってしまう。


 幸太のことが恋愛的な意味で好きな美羽の気持ちも、家族と同じような安心感のある好きを含んだ幸太の想いも。


 恋に間違いはないのかもしれない。後悔はあったとしても...好きになったことだけは間違いだったとは思わないでほしい。その気持ちに嘘偽りはないのだから。


 授業開始のチャイムが校内に響き渡る。続々と席に着席しだすクラスメイトたち。私の視線の先にいるのは、美羽だけ。背筋をまっすぐに伸ばして座っている姿はなんとも花があるほど。


 その花が今日は少しだけ背筋が曲がっている。気持ちと同様に些細なことでも彼女の今の気持ちが見ただけで読み取れてしまう。


 それからの授業も普段は叶多くんのことでいっぱいになっているはずなのに、今日だけは美羽のことで頭が埋め尽くされていた。もちろん、自分も大学受験のことで余裕があるわけではないので、しっかり勉強もしつつだが、それでも気になって仕方がなかった。


 一日は秒で過ぎ去ってゆく。先ほどまで私たちの頭上で輝いていた太陽が、今ではもうオレンジの光と共に傾き始めていた。教室の窓から私の左半身をオレンジの光が照らし出す。暑くはなく、優しく包み込んでくれる光の柔らかさ。


 すっかり教室には私と美羽以外誰もいない。幸太も部活が終わったことで今は放課後にバイトをしているらしくて、今日はすぐさま帰って行った。推薦組は自由があっていいなと少し僻んだことを思ってしまう。


 クラスメイトたちが皆帰ったのにも関わらず、自分の席から動こうとしない美羽。鞄に教科書すら詰めていないのを見る限り、途方に暮れているよう。


「み、美羽?」


 椅子に貼り付けられているように、私の声にすら反応を見せない彼女。


「み・・・」


「恋歌。わ、私どうしたら、いいんだろう・・・」


 振り向いた彼女の瞳は既に濡れていた。大粒の雨が彼女の頬を流れ伝う。美羽が泣いている姿なんて何十年も見ていなかったので、私も驚いてしまう。


 あんなに強い彼女でも、やはり弱い部分があったのだと。ただ、隠していただけで本当は彼女も一人の女の子なんだ...


 美羽の側に駆け寄り、私の胸に彼女の顔を引き寄せて抱きしめる。嗚咽混じりの声が私の胸から溢れ出てくるのを懸命に受け止める。


「美羽。私は応援してる。美羽のことをずっと、ずっと。親友だからね。それに、諦めていいの?何十年も片想いしてたんだよ?まだ幸太の口からはっきり聞いたわけじゃないんだから。幸太はバカだから理解できてなかっただけ。まだ、諦めるには早すぎるよ。ほら、いつもの美羽に戻っておいで」


 この辛さを私も一緒に味わっていたい。彼女の想いを私も...そうすれば、少しは彼女も楽になるだろうから。


 私の声が彼女に届いてくれると嬉しい。語彙力が足りないかもしれないけれど、これが私の本音。私の知っている美羽はこんなことで弱る女じゃない。自分でも鬼畜かと思ってしまうが、私の親友はそんなか弱い女の子ではない。


 女の私ですら、惚れるような強い女の子なのだ。時には今日みたいに同性の親友を頼って欲しくなる時もあるが。


 私の胸に顔を埋めていた彼女が、目を真っ赤にしながら私の顔を下から覗き込んでくる。さっぱりと過去を忘れ去ったような清々しい表情。


「もう少しマシな慰め方を知らないの?恋歌は。こちとら泣いてるんだけど・・・でも、ありがと。諦めるにはまだ早いよね、そもそも諦めるなんて私の信条になかったし」


「それでこそ私の親友!ま、私の辞書にも『諦める』なんて言葉は最初から存在しないよ。だから互いに頑張ろうよ!」


 教室に差し込む夕日の光が、彼女の涙を反射してなんとも綺麗に私の目に映る。せっかくの可愛い顔が涙でぐちゃぐちゃになって台無しになってしまっている。


「ちょっと!なに人の顔見て笑ってんのよ!」


「だって、顔ぐちゃぐちゃなんだもん。面白くて」


「人が真剣に悩んでたのに・・・悩んでいた私があほらしくなってくるじゃん。あーあ、泣いて損した。もう絶対泣かないもん!逆に恋歌が泣いたら笑ってやるから」


「え、それは嫌だな。絶対泣かないようにしよ!」


「嫌なんじゃん!だったら、笑わないでよ!」


 私たちの笑い声が誰もいない教室に木霊する。グラウンドからは部活動をしている生徒たちの声が聞こえてくるが、それに負けないくらいの笑い声だった。


 久しぶりに笑い尽くしたおかげで、落ち着いた時には呼吸が乱れすぎていて、元々運動をしていたものとは思えない肺活量。


「はぁー、スッキリしたや。それよりさ、恋歌。例の彼はいいの?今日一緒に帰るんじゃなかったっけ?」


「あー!!!!!」


 すっかり美羽のことが心配で忘れていた。そういえば、今日は彼と一緒に帰る約束をしていたんだってことを。


「何してんの!ほら、さっさといくよ」


 先ほどまで泣いていたはずの彼女。それなのに今はなぜか、私が引っ張られる立場へと変わり果ててしまっている。切り替えが早すぎて私がついていけない。でも、これが本来の彼女の姿なので、嬉しくも思ってしまう。


 彼女に手を取られ、静まりかえっている廊下を二人で走り去っていく。廊下には私たちの上靴で走る音だけが残り続けていた。


 "おかえり、美羽"そっと心の中で呟く。その瞬間、彼女が後ろにいる私に振り向き満面の笑みを見せてくる。どうやら、心までもが通じ合ってしまっていたみたい。


 校門まで二人で走っていくと、なぜだか校門前に人が集まっていた。おかしなことに集まっている人たちは皆、性別が同じ人たちばかり。


 "きゃー、かっこいい"などの黄色い歓声がそこらじゅうに飛び交っている。どうやら、うちの学校に有名人でもきたのかとつい身構えてしまう。


 だが、有名人ではないことはすぐにわかってしまった。人混みの中、一人だけ身長が高く整っている顔が飛び抜けていた。叶多くん...


 色々な人に話しかけられているにも関わらず、参考書を開いて勉強している彼。あれだけ囲まれているのによく集中できるなと感心してしまう。


 きっと並大抵の努力では身につくことのない賜物に違いない。


「ねぇ、恋歌。あの人って恋歌の約束してたイケメン君じゃん!人気やばいね。あの顔に星海高校、おまけに高身長。完璧だわ。そりゃうちの女子たちが集まるのも無理ないね。どうするの恋歌」


「そんなの決まってるじゃん!」


 にやっと不敵な笑みをわざと作り彼女の方を見つめる。鏡を見なくてもわかる。きっと悪い顔をしていることだけは...


 大きく息を吸い込みお腹に力を入れる。


「叶多くーーーーん!お待たせーーーー!!!」


 自分でもここまで大きな声を出したことはなかったので、少し自分の声にびっくりしてしまう。自分でさえ、驚くくらいだから当然黄色い歓声をあげていた女子たちの声は一瞬にして鳴り止む。


 一度に突き刺さる数々の視線。その視線の中の一つだけとしっかりと交わる。優しく温かさがこもっている目がこちらに。


 思わず手を上げて大きく横に振ってしまう。今の私には恥ずかしさなんてなかった。もしかしたら、さっきまでの美羽との時間のおかげなのかも。


 集まっている女子たちの群れをかき分けながら、こちらに一直線に向かってくる彼。集まっていた女子たちからは何か小言が聞こえてきたが、どうでもいい。私には彼と隣に心強い親友がいるから。


「恋歌さん、気を遣わせてしまい申し訳ないです。僕が気付いてさえいれば」


「いいの。それよりだいぶ待ったでしょ?ごめんね。寒かったよね」


「いいえ、寒くなかったですよ。恋歌さんから受け取ったこのカイロがありましたから。まだ僕のは温かいですよ?」


 ポケットに入れていたカイロに触れる。まだ少し熱はあるみたいだが、今朝に比べると全く温かさがない。ポケットから取り出し彼の手に乗せる。


「私の負けかな・・・?」


「はい、僕の勝ちですかね」


「そうだね。私の想いも加算されたのかな・・・」


「ん?どういうことですか?」


「なんでもないよ。それじゃ、私が何か奢らないとだね・・・」


「ちょっと二人ともイチャイチャしてないで、早く帰りなよ。周りが妬むように見てるからさ。それと、これからも恋歌のことをよろしくね」


 すっかり美羽が隣にいることを忘れて二人だけの世界観に入り込んでしまっていた。"ごめん"と謝るが、拗ねてしまったみたい。でも、可愛い。


「はい、わかりました。また今度お時間がある時自己紹介させてください。それでは失礼します」


 丁寧に物腰低く、美羽に挨拶をする彼。どこまでできている人なのだろうか...


 美羽に別れを告げ二人でバス停への道を歩み始める。来年の春もこうして彼と同じキャンパスを歩けたらいいなと願いながらも、今を一歩一歩確実に未来に向けて地面を踏み締めて歩く。


 どうか、二人とも無事に合格できますようにと黄昏時の空に祈り続ける。










































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