第92話 真実
「にゃー、どうりで違和感があると思ったにゃー。でも、有機生命体じゃないっていうにゃら、あの人物測定器のデータも納得にゃー」
「わふうー。マオー、気持ちはわかりますけどー。その言い方は失礼ですよー」
マオとカニスが複雑な表情で顔を見合わせる。
俺は、今目の前で繰り広げられている現実に、ただ立ち尽くした。
「なんだ。道化なる裁縫士。まさか、気が付いていなかったのか!?
ダイゴが素の表情で言ってくる。
「定型的な反応しかできないプログラムと、自律思考ができる私たちユニットを同列扱いしないでくださる? 心外ですわ」
アイカが顔をそらす。
「はっ。その不満気な仕草一つで人間になったつもりか。表面だけ取り繕おうと、お前らは人間としての感情の動線がおかしい。浅い付き合いなら誤魔化せるかもしれないがな、しばらく生活を共にしてりゃあ、違和感はぬぐえねえ」
「あら、それをダイゴを申しますの? あなたの効率を重視した攻略法の方や、芝居めいた振る舞いの方が、よっぽどプログラムじみてますわ」
「俺ら『首都防衛軍』はなあ、全力で『カロン・ファンタジア』を楽しんでいるだけだ。それが、ゲームだろうと、現実になろうと、な。――どうした。裁縫士。呆けた顔をして、俺の言うことが信じられないか? なら、思い出してみるがいい。お前が冒険をするようになったきっかけは何だ? 俺はお前の過去のことなんか知りはしないが、自ら進んで冒険者になるようなタイプには思えない。となれば、そのきっかけには絶対にその
考えてはいけない。
そう本能が警告しても、俺の頭脳は勝手に過去の出来事を反芻してしまう。
あの時、『現実とカロン・ファンタジアを同期しますか?』のメッセージに、真っ先にYESを押したがっていたのは誰だ?
冒険したいとしつこく俺にせがんで来たのは?
「その時に不自然な振る舞いはなかったか? 俺みたいな
そういえば、七里は、昔からしきりに俺に戦闘職を勧めていた。
冒険者になってからは、無理をしてもランクが上の依頼を受けたがっていた。
だけど、だからと言って七里がNPCだと?
そんな馬鹿なことがある訳がない。
七里はただ、ちょっとお馬鹿で、厨二なことが大好きなゲーム廃人なだけだ。
「……俺たちがこれまでしてきたほとんどの冒険は、七里から持ち込まれたものじゃない。例えば、あんたと初めてあった秩父ダンジョンに俺を誘ったのは鴨居さんだ」
俺は必死に否定材料を持ち出して、そう反論する。敬語を使ってる余裕はなかった。
「察しが悪い奴だな。NPCが一人な訳ないだろうが。少なくともあの自衛官はそうだ」
鴨居さんまで、あんたのそのふざけた妄想に巻き込むのか。
そう言ってやりたいのに、俺の頭にはダイゴの発言を否定する材料が浮んでこない。
鴨居さんと知り合ったきっかけはやはり七里。しかも、普段は人見知りの七里が、鴨井さんには全く物怖じしていなかった。
俺たちのギルドランクが上がったのは鴨居さんが小田原さんに報告を入れたから。
そういえば、礫ちゃんに自衛隊の内情を漏らしたのも、鴨居さんという話だった。常識的にはありえないその行動も、俺を英雄にするためとか言うふざけた目的のためだと言うのか?
「なあ、七里。お前がNPCのはずはないよな。だって、俺は覚えてる。俺が裁縫士になったのは、お前のバッグを縫ってやったのがきっかけで――」
激しくなる動悸を抑えて、俺は記憶を漁る。
俺は覚えてるはずだ。
今でもたまに夢に見る、あの時の七里の寂しそうな笑顔を、覚えてるはずなのに。
掬った水が手から零れ落ちるように、幼い七里の姿がぼやけていく。
「ごめんね。お義兄ちゃんごめんね。それは全部嘘なの。私がお義兄ちゃんをずっと騙していたの。昔も今も、お義兄ちゃんには法律上の義妹なんかいないの。今までのお義兄と私の思い出は、全部偽りの記憶なの。セデルの力が弱くなっちゃった今なら、全部思い出せるはずだよ。お義兄ちゃん」
七里を見つめていたはずの客観的な視点は、いつの間にか俺の一人称へと変わり、俺は思い出す。
そうだ。
俺は確かに鞄を縫った。
だけど、それは七里のためなんかじゃなくて。
全ては、俺自身のために。
自分で自分を慰めるために。
「幾分、自罰的で大げさな物の言い方ですわ。あなたはよほど人間臭い性格づけをされたんですのね、N―30210。私たちがユニットとして行動を始めたのは、『カロン・ファンタジア』のサービス開始時点とほぼ同時、すなわち、三年~四年前ですわ。それ以降の記憶は、操作も何もない真実でしょう」
「胸糞悪い話だろ? 裁縫士。俺も気が付いた時は、すぐさま
「記憶の操作でもしなければ、私たちの存在を自然に社会に馴染ませることができないのですから、致し方ありませんわ。何がそんなに不満ですの? セデルは、私たちが違和感なく存在できる最低限の操作は致しましたけど、人間の自由な意思決定には何ら干渉していませんのよ?」
「……そういうとこだよ。そういう機微を理解できない所で、俺はお前らが人間じゃないって気が付いたんだ」
「あら、人間の常識基準では立派な狂人のダイゴに、道徳のお説教を受ける筋合いはありませんわ」
ダイゴのアイカの会話が、どこか遠くに響く。
「本当にごめんね。お義兄ちゃん。でもね。もう、私なんかがいなくなっても、お義兄ちゃんは大丈夫だよ。だって、もう、今はお義兄ちゃんはもう一人じゃないから。お義兄ちゃんを慕ってくれるたくさんの人に囲まれてるから。だから、もう、寂しくないよ」
七里はそう言って、何かを成し遂げたような満足げな表情で微笑む。
「七里、お前――」
ずっと、七里を守っているのは俺だと思っていた。
馬鹿な義妹に付き合う兄を気取って、ちっぽけな自尊心を満たしていた。
でも、違う。
本当は、七里が俺を守ってくれていたんだ。
俺の心を。
七里が、冒険の世界に連れ出してくれなければ、きっと俺はずっと一人のままで――。
「由比。私の代わりにお義兄ちゃんをよろしくね。由比は、料理もできて、おしとやかで、かわいくて、優しくて、私なんかよりずっと素敵な義妹なんだから。それと、ごめんね。由比は私に近づいたのは、お義兄ちゃんに接触するためだって言ってたけど、本当は私の方が由比に目をつけていたの。家族になってくれる他人なんてそう簡単に見つからないから」
七里が由比に向き直り、頭を下げる。
今ならわかる。
七里のあの由比ヶ浜での暴走は、由比の本心を引き出すための芝居だったのだと。
「代わりにはなれないよ! 七里ちゃんは七里ちゃんだよ! 私のお姉ちゃんで、お義兄ちゃんの義妹じゃないと。そうじゃないと、だめなの!」
「えへへ。ごめんね。私は所詮ロボットみたいなものだから、人間の気持ちが分からないの」
七里はそう言って、自分を卑下する。
やっぱり、七里は馬鹿だ。
ロボットがそんな表情をするはずない。
だって、ほほ笑んで下唇を噛みしめるその仕草は――七里が嘘をつく時のそれなんだから。
「瀬成さん。お義兄ちゃんは時々朴念仁だけど、決める時は決めますから。だから、見捨てずに恋人してあげてくださいね」
七里がそう言って瀬成のいる方に身体を向ける。
「わかった。七里。……ウチは、機械のことと苦手だし、ぶっちゃけ、今ここで何が起こってるかもほとんど、意味わかんない。でも、あんたがロボットなんて話は、絶対に信じない。今、そう決めたから」
瀬成が、その意思の強い瞳で七里を見つめ返した。
「頑固ですね。でも、きっとお義兄ちゃんは、瀬成さんのそういうところが好きなんでしょう。……石上さんも。見ての通り、お義兄ちゃんは男の友達は少ないですから。これからも、仲良くしてあげてください」
七里が石上に視線を移す。
「ああ。任せろ。アミーゴと俺は一蓮托生だぜ。別れの言葉は言わない。肉体なんて魂の器だ。だから、お前は消えても死ぬ訳じゃないんだ」
石上が穏やかなアルカイックスマイルで答えた。
「ありがとうございます。――礫ちゃん、カニスさん、マオさん。あなた方は、『ザイ=ラマクカ』のメンバーじゃないし、付き合いもまだまだ薄いかもしれません。でも、あなた方は、これから、お義兄ちゃんにとって重要な人物になると思います。だから、できればお義兄ちゃんの力になってあげてください」
七里が大人の表情で言う。まるで、俺の保護者みたいに。
「……私は岩尾兄さんたちを救って頂けた暁には、『ザイ=ラマクカ』にこの身を報酬として捧げると誓いました。その約束は果たします」
「にゃー。何て言ったらいいかわかないにゃ。でも、マオはこれからヤマトたちとは協力していきたいと思ってるにゃ。にゃ? カニス」
「ええー、私たちにとってもー、ヤマトさんたちはこれから、重要な人物になりますしー」
三人が神妙な顔で頷く。
「――ほら、よかったね。お義兄ちゃん。みんな側にいてくれるって! だから、これで心置きなくさよならできるよ!」
七里がそう言って、俺に別れの合図をしようとでもいうかのように手を振る。
ふざけるな。
そんな物語の主人公みたいな自己犠牲と引き換えに、七里が俺の前からいなくなるなんて――
「……れると思うなよ」
こんな終わり方、俺は絶対に認めない。
「え?」
「勝手に俺の義妹になっておいて、そんなさわやかなひと言で、簡単にさよならできると思うなよ!」
「何を言ってるの? 私は義妹じゃないんだよ。全部嘘なんだよ。騙してたんだよ。お義兄ちゃんを英雄にするために」
七里が、俺の言葉が理解できないとでもいうように眉をひそめた。
「嘘かどうか、決めるの俺だ。誰が何と言おうと、七里。お前は俺の家族で、義妹だよ」
確かに七里は俺を騙していたかもしれないけど、少なくとも、俺がプドロティスと戦うか決めかねていたあの夜、七里も迷っていた。俺をプドロティスと積極的に戦わせたいなら、もっと積極的に俺を戦場へと向かわせるやり方はいくらでもあったにも関わらず。
俺にはそれだけで十分だった。
「お義兄ちゃん! そんなのおかしいよ。だって、私は嫌な義妹だったよ! わがままで、ぐうたらで、自己中心的な、最悪な義妹だったよ。だから、お義兄ちゃんは、私のことが嫌いなはずだよ。嫌いじゃなきゃ、だめなんだよ! そうじゃなきゃ、私は――。そのために、私は――」
七里は顔をぐしゃぐしゃにして泣いた。その涙が、地面に落ちる前に光のエフェクトに代わって、白い吐息に混じる。
「その程度のことで嫌いになれるかよ。家族を! 嫌いになれるかよ!」
俺は触れることのできない七里をそっと抱きしめた。
感じるはずのない温もりを、肌に感じて。
七里は本気で信じて、演技していたのだろうか。
あの程度のわがままで、俺が七里を疎ましく思うなんて。
だとすれば、やっぱり七里はダメな奴だ。
赤の他人ならともかく、妹のわがままなんて、兄にとってはかわいいもので、時々、憎たらしくたって頼られる方がずっと嬉しいものだって、知らないんだから。
「お義兄ちゃん。やめてよ。私は、消えてもいい存在なんだよ。どうでもいい存在なんだよ。そうだって言ってよ。ねえ!」
いつでも消えてもいいように、俺が七里がいなくなっても苦しまないように、七里は俺に嫌われようと振る舞ったつもりなのだろう。
でも、自分の行いが思い通りに相手が受け取られるとは限らない。
それが、人間というものだ。
もし、七里の性格がセデルとかいう神様もどきの仕込みだったとしても、俺はその愚神に感謝してやろう。やっぱり、神様なんかに人間の気持ちは分からない。
「ふふっ。七里ちゃん。兄さんを甘くみてるんじゃない? せいぜい、一年かそこらの付き合いしかない私でも、義妹に迎え入れる優しい兄さんが、七里ちゃんを見捨てる訳ないでしょう? だって、七里ちゃんがいくら嘘だっていっても、三年間、七里ちゃんは兄さんの義妹だったんだよ!」
瞳から涙をあふれさせて、無理に笑顔を作った由比が、わざと軽い調子を作って言った。
「そういうことだ。お前が消えるなら、俺はお前を復活させる方法を探す。こんな非常識な世界なんだから、それくらいは期待してもいいだろう」
きっと七里は悩んでいただろう。自分の正体のこと。使命のこと。
それに気が付いてやれなかった俺は、兄として失格だったかもしれない。
でも、今、俺は真実を知った。
なら、もう一回、絆を結び直せばいい。
俺は、七里を救い出し、もう一度、こいつの『兄』になってやる。
「お義兄ちゃん! 何言ってるの。ないよ。そんな方法、ない」
七里が勢い良く首を振り、全力で否定してくる。
「嘘は良くありませんわね。N―30210。英雄の条件を達成した者には、包み隠さず私たちが知っている限りの真実を伝えるのがセデルからの指示ですわ」
「ああ。『可能性の束』を手に入れることができれば、余裕だろうな」
アイカとダイゴがすかさず口を差し挟む。
「『可能性の束』?」
そういえば、さっき七里もその管理権限がどうとか言っていた。
「ああ。お前だって一度くらいは疑問に思ったことはあるだろ? ダンジョンやモンスターがどこからやってくるのか。俺たちの冒険者としての能力はどこからくるのか。そういった疑問を全部まとめて、解決してくれるご都合アイテムが、『可能性の束』って訳だ」
「適当な説明はやめてくださいまし。『可能性の束』はセデルとプレネスが奪い合うほど貴重なリソースなんですのよ。まあ、確かに、人知を超えたエネルギーですから、正確に説明するのは不可能なのですけれど、敢えて要約するなら、高次元の存在であるセデルやプレネスが、低次元の世界に干渉するために生み出した宇宙創成のエネルギー。全ての未来を内包し、万物の根本を成すもの、と言ったところですわね。セデルやプレネスは、その『可能性の束』にそれぞれの意思を
二人がまくし立ててきた説明を100%と理解した訳じゃないけれど、これだけははっきりと分かった。
その『可能性の束』が、俺に残された唯一の希望だということが。
大いなる神の力でも、レアアイテムでも、茶番でも、何でも構わない。
俺が七里にできることがそれしかないならば、俺は喜んでそれに賭けてやる。
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