第43話 ダンジョン四日目

 四日目、辺りはファンタジーの度合いを増していた。


 周りの壁はもはや土ではなく大理石のような白い滑らかな岩盤に変わっていたし、それまでは明らかに人の手が入った『道』だった坑道も無秩序になり果てていた。壁からはマナタイトやアダマンタイトの類と思われる水晶の塊が突きだし、時折青色の燐光を放って俺たちを幻惑する。


 人一人が通るのがやっとな隘路があるかと思えば、体育館ほどの広さがある空間に出たりもして、もはやここは坑道というより『洞窟』だった。


「……本当に、カロン・ファンタジアの中みたいだね」


 先頭を行く七里が目の前に迫った巨大な水晶柱を避けながら前進し、陶酔したような声で呟いた。


「確か、こういう見た目のダンジョンありましたよね。当時の私たちのレベルじゃ、攻略できませんでしたけど」


 その次に続く、由比が杖で確かめるように地盤を叩く。ガラスのコップ同士をぶつけたような軽くて鋭い音が洞窟内に反響した。


「うん。そうだね。『モノリスの洞窟』ぐらいの難易度かな」


 由比の後ろについた俺は慎重に前の列の人間が通った道を踏襲する。


「ウチにもわかるように説明して」


 俺の隣に並んだ腰越の顔が、磨かれた白亜の壁に映った。


「大体、Bランククエスト程度の難しさだよ。つまり、もしモンスターに遭遇した場合、俺たちだけでは絶対に倒せないぐらいのレベルってこと」


 Bランクと言えば、ゲーム時代ならさほど珍しくないとはいえ、一応は『上級』の範疇の難易度だった。


 ゲーム時代、人員不足の俺たち中級レベルのギルドのランクは、Cそこそこ。頑張ればなんとかBランクのモンスターも狩れないこともない、というレベルだった。もちろん、現実化した今となっては、ゲーム時代のようなフルスペックを発揮した戦闘は到底望めないので、Bランクのモンスターを狩るのは厳しいだろう。


「……それってやばくない? 前みたいな奇襲があったらどうするの?」


 腰越が眉をひそめて疑念を口にする。


「うん。だから、『転送の宝珠』をショートカットの一番上において置くようにって、鴨居さんが全体ミーティングで言っていただろ? ちゃんとセットできてるよな? なんなら俺が確認するか?」


 俺は心配そうに腰越の方を見た。危機察知能力はパーティー一の腰越だが、コマンドの操作には不安が残る。『転送の宝珠』はいわば最後の切り札のようなもので、最悪、即死さえしなければダンジョンから脱出して命を長らえることができるはずだが、土壇場で操作ミスしたらシャレにならない。


 一気に道が狭まって、俺と腰越の顔が近づく。


「う、うん。それは大丈夫。七里にもちゃんと確認してもらったから。ただ……ウチは、こういうデータに命を預けるっていうのにどうにも慣れないだけ。ごめん」


「いや……腰越の認識の方が正しいよ。アイテムが万能とは限らないんだし、依存しすぎるのはよくない」


 もちろん、『最後は逃げればいい』という安心感があるから、今、俺たちは冒険を続けられている。だからといって、それに慢心すれば想定外の自体への対応が遅れてしまう。


「怖いんですか? いざという時は私が回復してあげますから安心してくれていいですよ」


 由比が勝ち誇ったように言う。


「そう、ありがと。ショーツが丸出しで見えてるのに回復に専念するなんて、ウチちょっと感動した」


 腰越が視線を下げて、からかうように言った。


 釣られて俺も下を見る。磨かれたような白の床面に、黒い布きれが反射していた。


「ふっ、甘いですね。これは『見えてる』んじゃない。『見せてる』んです。兄さんだけにね! だから、あなたは見ないでください」


 由比が振り返り様にこちらに流し目を送ってくる。


「うん……そのサービス精神は嬉しいけど、そんな余裕があるなら冒険に集中して」


 俺はすぐに視線を水平に戻してそう釘を刺した。


 冒険も四日目になると色々と緩んでくるらしい。それが、『慣れ』という程度ならいいが油断につながると困るのだ。


 それに、由比に限らず、今日は皆の心が緩み隊列が乱れ始めているのだ。


「そこをどけー! 決められた順番を守れ!」


「そっちこそ、順番を守れー。お前らばかり良い場所をがめてんじゃねーぞ!」


 前の方で発せられたであろう怒声が、木霊になって俺の耳に響く。


 希少金属が採掘できるゾーンに突入したということもあり、一行が定期的に立ち止まって、採掘をする機会が増えたことも混乱に拍車をかけている。採掘をするスキルを持ったグループの一部が、少しでも有利な場所を占めようと勝手に先行しているのだ。


「っもう! 急に下がってこないでよー」


 七里が唐突に立ち止まり、ぼやくようにそう言って頬を膨らませた。


 俺らも連鎖的に歩みを止める。


 採掘グループがばらばらに進むことによってできた空白を、身を守る術を持たない料理人を始めとする輜重部隊は恐れているようだ。敵に遭遇した時に備えて、ロックさんたちに近い、俺たちのいる後ろ側に下がってくる。もしくは、無理に先行者に追いつこうと先走る者すらいるようだ。


「皆さん。列が膨らむのは危険です! きちんと指示した隊列へと復帰してください!」


 鴨居さんの拡声された忠告が繰り返されるが効果は薄い。


 集団行動を徹底的に訓練された自衛隊の人たちと違い、俺たちはただの一般人だ。マナーという、漠然としていつでも引きちぎれるような縛りでは、全員の行動を御しきれないのだろう。


「ったく、ガキじゃないんだし。ちゃんと順番くらい守ればいいのに。常識っしょ?」


 その光景を冷めた目で見ていた腰越が、呆れ声で言う。


「まあ。ゲームの時代には『場所取り』はシステムの一部だったからな……まだ、ゲーム気分が抜けきらない人たちだと『争う』方が常識なんだよ」


 もちろん、そんな非常識な人間は全体の一部に過ぎないのだが、秩序というのは維持するのは難しく、乱すのは簡単なものだ。


「アホじゃね? もう、ゲームじゃないし」


 腰越が嫌悪感に顔を歪ませる。


「兄さんに愚痴ってどうするんですか。私たちはしっかりとルールを守っているんですから、胸を張ってればいいでしょう」


「うん。他人に口を出しているような余裕は俺たちにないしね」


「鶴岡たちが言ってることはわかるけど、ウチは納得いかない」


 腰越は目を細めて呟く。


 腰越はこういうところ頑固だよなあ。まあ、それがいいところでもあると思うけど。


「なんで、鴨居さんの言うこと聞かないのかな。めっちゃいい人なのにね」


 七里が首を傾げる。


「暴力に酔ってる……のかもな」


 俺はふと、小田原さんの戒めを思い出していた。


 名目上は鴨居さんたちの命令を聞くことになってはいても、現実的な『武力』を持っているのは冒険者たちの方、その力のアンバランスさが無秩序を助長しているのかもしれない。


 俺はどこか危うさを感じながらも、眼の前の安全を確保するのに精いっぱいだった。

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