第41話 ダンジョン二日目(2)

 こうして、俺たちは何とか二日目の冒険を無事に乗り切った。坑道の構造にこそ大きな変化は見られないが、それまでは茶色だった周囲の壁の色が、今は黒色へと変化している。腰越によれば、採掘できる資源も鉄へと変質したらしい。


 ゲーム時代のダンジョンで言えば、階段を一回層降りた感覚なのだろうが、現実では明確な境があるという訳ではないのだろう。


 ともかく、俺は今日もパーティーの皆に怪我がなかったことにほっとしながら、シャワー待ちの列の最後尾に並んでいた。


「よう。お疲れ」


「あ、ロックさん。お疲れ様です。今日は助けて頂いてありがとうございました」


 突如肩を叩かれた俺は、振り返った視線の先にいる人物に頭を下げる。


「ま、あれも仕事だからな。気にすんな。お前の指揮、中々的確だったぜ」


 ロックさんは白い歯をこぼして、親指を立てる。薄暗い坑道の中でも、そんな彼の姿は眩しかった。


「レキちゃんも……すごい指揮でした。本当に感服しました」


 俺はロックさんの隣にいるレキちゃんに視線を合わせて言う。


「……」


 すると、レキちゃんはロックさんの服の裾を掴んでままそっぽを向いた。なんだか、ご機嫌ななめだ。また、俺が彼女の気分を損ねるようなことをしてしまっただろうか。言葉遣いには気をつけたつもりだが。


「俺、また地雷踏んじゃいました?」


「いや、違う違う。こいつ、お気に入りのシャンプーハットを忘れて拗ねているだけだ」


 ロックさんが苦笑して、右手をぷらぷらと振る。


「は? シャンプーハット?」


「こいつ、目を閉じるのが怖いって言って、一人だとシャンプーハットなしじゃ髪を洗えないんだよ。目を閉じるなら誰かが側にいないとダメだってさ。ガキだろ?」


「違います。誤りです。断固として否定します。私が入浴中に目を閉じないのは、指揮官として常に周囲の状況を把握するように心がけているからであり、愚兄が言うような子供じみた動機でないことは100%明らかです」


 レキちゃんは必死の形相でこちらを睨み付け、物凄い早口でまくし立ててきた。その様子はいかにも背伸びする子どもと言った感じで、俺はほっこりした気分になった。


「ちょっといいですか?」


 俺はやおらレキちゃんの頭に手を伸ばす。サラサラした髪の生えた頭を、探るように撫でつけた。


「なんのつもりですか? そんな子どもをあやすような仕草で私をあやそうとするのは、宣戦布告に等しい行動で――」


「いいから、ちょっと待っててくださいねー。んー、大体53cmくらいかな」


 俺はレキちゃんの頭から手を放すと、コマンドを呼び出す。原料を選択し、ATモードで『製糸』、ちゃちゃっとカタログスペックを入力して『裁縫』を選択する。虚空に出現したのは、まだデータでしかない、俺にだけ見えるドーナツ状の輪っか。色は紫だ。それだけでも製造物としての性能は問題ないのだが、あまりにも味気ないので『石岩道』のギルドアイコンを呼び出して、そこに表示された岩に棒状の手足がついたコミカルなキャラクターをMNモードで刺繍していく。


 ここまで、かかったのは列が一人分進む程度の時間だ。


 俺は、即席で作ったそれのテキストを黙読し、きちんとアイテムとして完成したかを確かめる。


『シャンプーハット:鶴岡大和がレキのために作った入浴用アイテム。帽子のつばの部分は主に軽量金属ペクタイトで構成されているが、頭皮に触れる部分は伸縮性のあるマルタイトの皮で補強され、付け心地に配慮されている。 物理防御補正+3%』


「はい。これ」


 俺はレキちゃんの頭にできたてのシャンプーハットを被せた。


 うん。ちゃんと寸法は合っているな。


 俺はコマンドを開いて、レキちゃんにアイテムの移譲申請を行う。


「……どういうつもりですか?」


 レキちゃんは身体を震わせて、頭のシャンプーハットを掴んで外す。


「あれ、色嫌いでした? 装備品の色とかを参考にして、紫ならいいかなと思ったんですけど」


「そうじゃありません! 何であなたが私にシャンプーハットをよこすのか、と聞いているのです」


「やだなあ、今日助けてもらったお礼に決まってるじゃないですか」


 訝しげにこちらを見つめてくるレキちゃんに、俺は笑顔で答えた。


「お礼……ですか」


 レキちゃんは、眉をひそめ、にやけそうな口元をおさえた複雑な表情で、シャンプーハットを見つめたり、被ったりする。


「あっ……これ、ガンコくん……」


 レキちゃんが、被った帽子の縁を撫でた。


 ちょうど頭に被った時の目線の辺りに、石岩道のマスコット――ガンコくんというらしい――は刺繍されている。


「良かったなあ。礫。これで、もう怖くないだろ?」


「ま、まあ、普通のシャンプーハットに比べて、微々とはいえ防御効果があるところが軍師的な観点において気に入りました。貰っておいてあげます」


 レキちゃんが、シャンプーハットの縁をチラチラ見ながら、人差し指で空中を押す。


 俺のアイテム移譲申請は受け入れられた。


 レキちゃんは本当にわかりやすくてかわいいなあ。七里も昔はもうちょっとかわいげがあったのだが、今は年を取った野良猫並にふてぶてしくなってしまった。


 俺は遠い過去に思いを馳せて目を細める。


「悪いな。鶴岡くん。こいつ素直じゃないから。本当はすごく気に入っていると思う。なあ、礫?」


「……では、ロック兄さん。私は、女性用のシャワーに行ってきます」


 レキちゃんはロックさんの問いを右から左に受け流して宣言する。


「おう」


 ロックさんが頷いた。


「じゃあ、またね」


 俺は軽く手を振る。


「はい。それと、鶴岡さん……」


 そこでレキちゃんは初めて俺の名を呼び、右の手で地面を指し、俺がしゃがむように促す。


「ん、なに?」


 俺は再びしゃがんで、レキちゃんに顔の高さを合わせる。そんな俺の耳元にレキちゃんの小さな唇が近づいてくる。


「ロック兄さんには確証を掴むまで皆の不安を煽るようなことは言うなと釘を刺されましたが、今日の一連の行動に鑑みて、私はあなたを一定の信頼がおける指揮官であると判断しました。故に、特別に忠告して差し上げます。今日のフォッレマジロの奇襲の件、高ランクの冒険者たちが見落とすような案件とは思えません。総合的に考えて、高レベルの先行者たちは意図的に見逃したか、そうでなくともあなた方、運び屋を積極的に庇護する意識に欠けると思われます。このことにご留意ください」


 レキちゃんが、戦闘時のような厳しさを含んだ小声で俺だけに聞こえるように囁いてくる。


「それっ……」


 顔をひきつらせた俺が何かを言う前に、レキちゃんは踵を返してこの場から立ち去ってしまう。


 俺は独り眉をひそめて地面とにらみ合う。


「はっはっはっ。礫にもついに春が来たかなあ。全く、罪な男だよ。鶴岡くんは」


 俺らのやりとりを勘違いしたらしいロックさんの笑い声が、場違いなトーンで響いた。

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