第39話 ダンジョン一日目

 一日目は何事もなく過ぎた。


 休憩を挟みながら、五時間程進んだ所で鉱床が見つかり、今日はそこでキャンプをすることになったのだ。


 三叉路の手前の広い円形状の空間に、俺たちは留まっていた。


 コマンド一つで展開した支給アイテムのテントの下、俺たちは羽を休める。今は、装備も堅苦しい鎧の類を脱ぎ捨てて、簡易な服へと切り替えた状態だ。


「ふひぃー、疲れたよー、お義兄ちゃん。足揉んでー」


 七里がテントに仰向けに寝転がり、足をばたつかせながらそう要求してくる。


「お前が日頃運動不足だからこうなるんだぞ……少しは腰越を見習え」


 俺はそう文句を言いながらも、七里のふくらはぎを揉んでやる。


 体力の有り余っている腰越は、鍛冶屋のスキルである『採掘』を活かすため、アイテム発掘の作業に自ら進んで参加していた。もちろん、専用の回収役の冒険者がいるので、腰越が働く義務はないのだが、少しでもスキルを伸ばしたいらしい。


「あぁー、生き返るんじゃぁー」


 七里がおっさんみたいな声を出した。


 先行者の高ランク冒険者はともかく、俺たち運び屋に属するような冒険者たちはつい最近まで一般人だったような人間ばかりで、超人的な体力がある訳じゃない。それに配慮した形で工程が組まれているはずなのに、それについていけないのは、七里が明らかに人より筋力がないからだ。事実、普通の男子高校生の俺などは、全然ピンピンしている。


「じゃあ、私は兄さんの肩を揉んであげますね」


「ありがと……じゃ、後で交代で俺が揉むよ。由比は平気?」


「はい。ちょっとは疲れましたけど、まだまだ、大丈夫です」


 そう言って、俺の肩を揉む指に力を込めてくる。


「そう。もし、きつくなったら、限界がくる前に、遠慮せずにスタミナ回復薬を使っていいよ」


 ポーションで回復されるのは、あくまで生命に関わるダメージが主であって、疲労は緩和されない。疲労はむしろ、『毒』や『麻痺』と同じようなバッドステータスの扱いだ。ゲーム時代は、長時間戦闘を継続している時に発生し、スキルの再使用時間が長くなるなどのペナルティがあったが、現実では普通に疲れるだけで行動が鈍るので、そういった制限はなくなったらしい。


「はい。ありがとうございます」


 由比がそう言って、俺の肩を小刻みに叩いてくる。


「お義兄ちゃん、妹ちゃんにだけ優しくてずるいー、私もスタミナ回復薬使うー」


 七里が不満げに唇を尖らせた。


「無駄遣いすんな。お前は、言うまでもなく遠慮しないだろうが」


「あひゃっ、あひゃひゃひゃ。や、やめて、足くすぐるの禁止! わ、わかった。使わない」


 七里が陸に打ち上げられた魚のように身体をびくつかせる。


「ならよし」


 俺が解放してやると、七里は身体をぐったりと弛緩させる。


「兄さん。では、約束通り私を揉んでください」


 マッサージを終えた由比が、俺の服の袖を引く。おかげで少し身体が軽くなった気がする。


「ああ、もちろん」


 俺は身体を反転させて、由比に向き直った。ところが、由比も身体をこちらに向けたままで、このままじゃ、肩を揉めない。


「あの、むこう向いてくれないと肩を揉めないよ?」


「誰が、揉むのは肩と言いました?」


 由比がかわいらしく小首を傾げる。


「ふぁっ?」


 俺は間の抜けた声を漏らした。


「私は肩は疲れてないので、太ももを揉んで欲しいです……だめですか?」


 由比が上目遣いでこちらを見つめてくる。


「う、うん。いいよ」


 俺は声を上擦らせながらも頷いて、服の裾の間から腕を差し入れる。


 前言撤回した方がいいかもしれない。最近、どんどん由比に遠慮がなくなっている気がする。まあ、でも、これは良い傾向なのだろう。それは、俺たちがどんどん家族になっているということの証拠なのだから。


 だからこそ、俺は由比の太ももをマッサージするとしても意識してはいけないのだが、手に吸い付くような絶妙なもちもち感とか、しっとり汗ばんだ肌から伝わってくる体温とか、感触があまりにも生々しくて俺は無言になる。


「あふっ……兄さん、良い感じですが、そこはほぼふくらはぎです。太ももはもっと奥ですよ」


「はい……」


 俺は言われるがままに手を奥へと滑らせた。


「うひょっ、そ、そうです! そこです。もっと強く」


「こ、こうか?」


「ええ。うりゅ、うりゅりゅりゅ。もっと、もっとです。兄さんならできるはずです。さあはやくほら!」


 由比が口から奇怪な擬音を漏らす。気持ちいいのだろうか。


「うおおおおお!」

「うひゃああああん。もう一声!」

「うりゃああああああ!」


 揉んでるうちに何かこちらまでテンションが上がってきた。こうなったら行くところまで――。


 ゴン!


 刹那、頭に衝撃。


「ふぐっ」


 俺は反射的に、由比の服から手を抜いて、俺を襲った凶器の正体を確かめる。粘土色した拳くらいの大きさの石がそこにあった。その石には所々に金箔のような粒が入っている。


「なに発情した猫みたいな声出してるワケ!? テントの外にまで漏れててウチめっちゃ恥ずかしかったんですけど!」


 そこには顔を真っ赤にした腰越が、膝立ちしていた。


「なにって、普通の兄妹のスキンシップですけど?」


「そんな兄妹がいるか!」


 涼しい顔で答えた由比に、腰越が激昂する。


「腰越、お疲れ。もう採掘は終わったのか?」


 俺は何かの鉱石らしいそれをしげしげと観察しながら、労いの言葉をかける。


「あんた、無理矢理話題を変えようとしてない?」


 腰越が俺をジト目で見てくる。何も悪いことはしていないはずなのに、なぜか、俺は罪悪感にも似た感情を覚えた。


「……いや、そ、そんなことはないぞ? なんなら、腰越も揉んでやろうか?」


 俺は、冗談半分に言った。


 まあ、このパーティで一番の働き者は腰越だし、マッサージくらいはしても罰は当たらないと思うけど。


「投石でも人は結構簡単に殺せるって知ってた?」


 腰越は右手に新たな鉱石を握りしめながら、酷薄な笑みを浮かべた。


「すいません。調子のってました」


「……っち。まあ、いいけど」


 そう言ってテントの中に入ってきた腰越が、俺に背中を向ける。


「ねー、腰越さん。これって、銅鉱石ですか?」


 七里が俺の手元の鉱石を見ていった。コマンドでアイテムの確認でもしたんだろう。


「うん。ここら辺では銅鉱石しか取れないみたい。だから、採掘は早めに中止になった」


 腰越が淡々と答える。


 確か騒動前の秩父鉱山で採れたのは金や亜鉛のはずだったが、やっぱり鉱山そのものが変化してしまっているのだろうか。


「まあ、騒動以前からこの世界にあった金属を持って帰ってもあんまり意味ないしな」


 需要があるのは、銅や鉄などのこの世界に昔から存在した金属ではなく、新たにこの世界に現出した研究の進んでない金属だ。例えば、ミスリルなどはその最たる例だろう。


「ゲーム時代の仕様が受け継がれているなら、マナタイトとかミスリルとか、そういうのはもっと深部にあるはずですもんね」


 由比がそう補足した。


 銅や鉄などに比べて、ミスリルやマナタイトなどの金属は希少アイテムであり、そのため入手も困難になっている。もっと、先に進まないと採掘はできないのだろう。そして、企業が欲しがるのも冒険者が欲しがるのも、そういうレアなアイテムなのだ。


「なんつーかめんどくさい。もっと、ガンガン進めない訳? 身体の疲れを取れるアイテムがあるんでしょ? そういうのに頼るのは気持ち悪いけど、なるべくここにいる時間が少ない方が危険は少ないっしょ? 坑道なんて何が起こるかわかんないんだしさ」


 腰越が苛立たしそうに言う。彼女はせっかちな所があるし、こんな早々に休憩するのが気に食わないのかもしれない。


「まあ、どんなに疲れがとれるアイテムがあるって言っても、人間眠らなきゃ死ぬからなあー。『気付け薬』のアイテムは目覚ましにはなっても、睡眠の代わりになる訳じゃないし」


 ゲーム時代に存在したバッドステータスなら、『スタミナ回復薬』のようにアイテムで克服することはできる。だけど、ゲーム時に存在しなかった人間に必須の生理現象――例えば、『睡眠』、『排泄』――などと言ったものは、フォローのしようがなかった。


 もっとも、これはそう言ったアイテムが『未確認』なだけであって、『不可能』であるということではない。今後の研究が進めば、俺が聖水と糸の組み合わせでスケルトンを封じる新たなアイテムを開発したように、『睡眠時間』そのものをどうにかできるアイテムが出来る可能性はある。


 ちなみに、このダンジョンでのトイレは地面に穴を掘っただけの単純なものだ。今日、一日使うだけならそれで十分だろう。


「まー、身体をゆっくり休めるのも冒険者の仕事だよー。私、もう眠くなってきてるもん」


 七里が大きく欠伸をした。愚妹にしては珍しくいいことを言う。


「俺もそう思う。まあ、採掘しても、俺らの手に残るのは半分ぐらいだろ? アイテムボックスの限界もあるし、とりあえずは体力を温存した方がいいぞ」


 今回のクエストでも敵を倒した際のアイテムドロップは自分たちのものになるが、採掘したアイテムは一度全部上に持ってかれた上、後で功績に応じて分配される。

 

 まあ、鉱石を手に入れるために俺たちは雇われたのだし、安全に採掘できるよう敵を倒したり見張りをしている者たちの苦労を考えれば当然の措置だが。


「わかった……土で汚れちゃったから、ウチ先にシャワー浴びてきてもいい?」

 腰越が採掘で汚れた自分の手を見て言った。


「ああ、もちろん。荷物は俺が見てるから、七里たちも一緒に行ってきたらどうだ?」


 いくら俺たちが冒険者であるといっても、そこは現代日本人、中世のような不潔には耐えられようもない。そこら辺は事前に考えられてパーティーが組まれているらしく、男女別で水系の魔法使いによるシャワーのサービスが提供されていた。まあ……時間制の有料らしいが。


「うん。行ってくるうー」


 七里がのろのろと立ち上がる。


「すみません。兄さん。よろしくお願いします」


 由比もしずしずと立ち上がった。


 二人とも女の子らしく、清潔感とかには敏感らしい。


「じゃ、行く?」


 腰越の声掛けに、二人が頷く。


 連れだってテントから出て行く三人を、俺は黙って見送った。

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