第36話 キャンプにて(1)
普通車よりはずっと小さい軍用トラックの車窓から、俺は流れゆく景色を眺める。まだ、出発から20分も立ってないのに、早くも道を区切るガードレールは消滅し、まともなコンクリート舗装の道は途切れていた。周りには見たこともないような広葉樹の高木が生い茂り、昼だというのに周辺は薄暗い。
俺たちはトラックの奥に、四人並んで腰かけていた。もちろん、鴨居さんは運転席だ。
「本当に……地形が変わってしまったんですね」
由比が噛みしめるように呟いた。
「うん……」
七里が相槌を打つようにそう頷く
。
俺たちの言葉数は少なかった。トラックの中には他の冒険者たちも居て喋りにくいというのはある。しかし、それだけでは説明できない圧迫感を俺は確かに感じていた。敢えて言語化するならば、『現実の異常性の再認識』とでも言おうか。
ギュエエエエ ギュエエエエ
聞いたこともないような奇矯な鳴き声が、遠くから響いてくる。
「ひゅっ」
七里がそう口笛にも似た音を漏らして、俺の手を握ってくる。
「おいおい。お前が散々したがっていた冒険だぞ。今更びびってどうする」
俺は七里を安心させるようにそう言って、七里の手を握り返す。
だが、内心では俺も、結構緊張していた。
ゲームと現実が混在するようなふざけた状況に巻き込まれていてしばらく経つので、もし世界の部外者の誰かが俺たちを見ていたら、「何を今さら」と思うかもしれない。だが、今まで俺たちの世界を支配していたのはあくまで『日常』だった。モンスターが現れるようになっても、住処も、通う学校も、日々の食事も、テストの憂鬱も大きな変化はなくて、俺たちは当事者でありながら、どこか遠くの戦争を眺めている気分だったのかもしれない。ギルドの依頼だって、所詮はバイトの感覚の延長線上だ、と言われたら、俺は100%否定できる自信がない。
それが今、明らかな『非日常』を突き付けられて、寝ぼけた頭に冷水を浴びせかけられたようになっているのだ。
「つーか、気分で呑まれるのが一番やばいから。ウチらはまだ、何にも失ってないのに気にすんな」
腰越が欠伸一つ言う。
俺たちのパーティーの中で一番肝が据わっているのは腰越らしい。彼女の余裕が伝播して、少しだけ俺たちは『日常』を取り戻した。
車両が目的の場所についたのは、それからさらに一時間後のことだった。
まず、自衛隊の人たちの主導で、多少は手の入った痕跡のある、事務所や住所跡があった場所にベースキャンプが築かれる。
「ちょっと待っててねー。キャンプ作ったら、お昼ご飯だから」
鴨居さんが明るく言って、仲間の手伝いをしに行く。
手持ち無沙汰になった俺はデバイスを開いて、事前に調べておいた秩父鉱山のデータを呼び出した。文明の利器が通用するとやっぱり、安心する。
秩父鉱山は、すでに騒動の何十年も前から廃鉱山だった。騒動前は一部の廃墟マニアや鉱物マニアが訪れる寂れた場所だったらしい。騒動以後は、国によって鉱山に通じる道は閉鎖され、許可なしに立ち入れなくなった。
今も廃墟の残骸は残っているといえば残っているが、それは『瓦礫のかけらが落ちてる』とか、『錆びた鉄筋の数本が転がってる』というレベルであり、昔の写真にあるような建物らしい建物が見られる訳じゃない。その人間の痕跡は、俺たちに安心というよりも、荒んだ印象を濃くさせるものだった。
「お義兄ちゃん。あれ!
俺は今にも駆け出しそうになる七里の腕を掴んで引き留める。その視線の先には、いかにもな美男美女が談笑していた。
「いや……今はやめといた方がいいと思うぞ。一応、仕事で来てるんだから、プロ意識がないと思われる。俺も正直ちょっとサイン欲しいけど」
首都防衛軍という仰々しい名前は、なにも誇張ではない。彼らは文字通り、騒動以後の混乱の中、見事にモンスターたちから日本の首都を守り切った伝説的なギルドである。彼らだけではなく、全国各地には、人々の敬意を集める善意のカロン・ファンタジアユーザーで構成されたギルドが無数に存在していた。
「あー、なに、テレビで英雄とか言われまくってた人?」
腰越があまりピンとこないように刀の具合を確かめる。
「英雄なんてもんじゃないですよ。あの人たちがいなかったら、死人が200万人は増えたと言われるくらいなんですから」
由比が呆れたように補足した。
某匿名掲示板では、『ネトゲ廃人が英雄(笑)』と馬鹿にする者もいたが、実際はそれほど単純じゃない。騒動直後の混乱の中で活躍できたのは、必ずしもネトゲ廃人ではないのだ。むしろ、ゲーム時代は2流の扱いを受けていたギルドの人たちの方が、活躍した割合では高いのではなかろうか。それは、ゲーム時代と騒動以後では求められる能力が変化したことと関係している。
まず、騒動時の混乱にも冷静沈着に対応し、それまではネットによって場所の隔たりなく冒険に参加できたユーザーたちを、地域ごとの戦力に再編成しなければならなかった。それには当然、ギルドのメンバーの入れ替えが必要で、ゲーム時代のしがらみも考慮しながら人材を確保も必要不可欠だ。
もちろん、さらにゲーム時代も戦力でなり、かつそのパフォーマンスを現実でも発揮できるものを選別も必要不可欠だった。つまり、騒動直後の七里みたいに、ゲームでは使えても現実では役立たずな人材を排除する必要があった。さらには、戦力をまとめた上で国や自衛隊と交渉し、現場に出向いて即座に作戦を立案し、出来合いのパーティーを指揮して成果を上げる。
言葉にするのは簡単だが、実行するのは途方もなく難しい仕事を僅か数日でやってのけた人たち。すなわち、コミュ力・体力・知力・精神力・人望、全てを兼ね備えた人間が今のギルドで上に立つ人間たちなのである。
せいぜい、チワワの化け物を倒すことくらいしかできなかった俺としては、ただただ平伏するしかない。
「はーい。自衛隊特製のカレーです。どんどん食べてこの後の検索に備えてね」
やがてキャンプの設営を終えた鴨居さんをはじめとする自衛隊の人たちの手によって、冒険者たちにプラスチックの使い捨て容器に盛られたカレーが配られる。
俺たちは簡単な天幕のついたテントの下に並んで腰かけていた。当然、周りには俺たちと同じ運び屋要員としてやってきた冒険者たちがいる。意図して分けた訳ではないのだろうが、自然と先行する高クラス冒険者と、俺たちのような運び屋はテントが分かれる形になった。
「いただきまーす。あ、お義兄ちゃんに人参あげる」
「お前なあ……冒険者になりたいなら何でも食えなきゃだめだろ」
俺の容器ににんじんを移してくる七里に俺は呆れた声を出した。
「私は兄さんに食べさせてくれるなら何でも食べますよ」
「冒険者は自主自立の精神が大事だと思う」
隣で餌を待つ雛のように口をあける由比の口を、俺は人差し指と親指の間に挟んで閉じた。
「そういえば、ダンジョン内での食糧確保ってどうする訳? あんたらが運ぶの?」
黙々とカレーを口にしていた腰越が、ふと気づいたように問いを口にした。
「いえ、普通に冒険者の人が運ぶのよ。便利な『アイテムボックス』の中に入れてね」
あらゆる職が存在するカロン・ファンタジア内には、当然、料理人に相当する人間もいる。スキルや所持するアイテムが高度になれば、レトルトの食品よりはよほどおいしいものが食せるらしい。
「もぐもぐ……こづえっち、美味しい! おかわり! でも、アイテムボックスに食糧溜めておけるなら、わざわざここでカレー作るなんてめんどくさくなかったの?」
カレーを咀嚼した七里がスプーンを掲げて問う。
「ま、そうなんだけど、なるべくならアイテムの消費は控えた方がいいしね。ほら、倉庫のコマンドを実行できるのは、それぞれのギルド本拠地だけだから、ここじゃ補充できないでしょ? ま、それに出発前にみんなが同じものを食べるのは儀式みたいなものだから」
鴨居さんが七里の容器におかわりのカレーを注いでやりながら答えた。
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