第28話 同衾

「えへへ」


 暗闇に由比のにやけた顔が浮かぶ。抱き枕の代わりに俺の腕を胸に挟んで、俺の胸に吐息を寄せていた。由比の髪から香る、七里のそれとは違う大人の匂いが鼻孔を刺激している。


 ぶっちゃけ、俺は断ることはできた。でも、せっかく由比の方から歩み寄ろうとしてくれているのに、下心という俺の個人的な問題で由比を遠ざけることは、どうしてもためらわれたのだ。


 だが、早くも俺はその自分の決断を後悔しつつあった。


「あの、もうちょっと離れた方が良くない? 暑くなっちゃうよ?」


「いいんです。暑くなったら脱ぎますから」


 そう宣言して、由比はむしろこちらに身体を押しつけてきた。


「そ、そう……」


「私、夢だったんです。こうして、素敵な兄と並んで眠る夜が」


 由比が噛みしめるような口調で言った。


 俺は戸惑いを覚える。由比の中では、俺が実物以上に理想化されているような気がするのだ。


「ねえ……由比。家族だから隠し事はなしっていうことで、言っていいかな。これを聞いたら、きっと由比は幻滅すると思うけど」


 だから、俺は口を開いた。長く付き合っていくなら、俺が聖人君子でもなんでもない、下衆な部分も抱えた人間だと、由比に知ってもらう必要があると思ったから。


「なんですか?」


「ぶっちゃけ、俺はずっと由比をエロい目で見てました。正直、今もちょっとむらむらしてます。ごめん」


 俺はできるだけ軽い調子で言った。自分でも気持ち悪いとは思うが、これが本音なのだからしょうがない。さすがに由比もドン引いて、俺の部屋から飛び出て行くだろう。


「なんで謝るんですか?」


 しかし、俺を待っていたのは心底不思議そうな由比の疑問の声だった。


「え、だって、嫌じゃないの? 兄貴面していた男が、実は自分をエロい目で見てたなんて」


「全然嫌じゃありませんよ。むしろ、嬉しいです。兄さんが私を欲してくれて」


「で、でも、俺たち兄妹なんだよね?」


「ええ。だから、兄が妹に欲情するのは当然のことです。私もちょっと発情してますし。だって、兄さんとっても良い匂いがするんですもん」


 由比は衝撃の宣言をさらっと言ってのけ、俺の上に覆いかぶさってきた。俺の胸に顔を埋め、思いっきり息を吸い込む。下腹部に由比の豊満な胸が当たる

 。

 俺は色んな意味で頭がくらくらする。


 まるで宇宙人と話しているみたいに全く話がかみ合わない。


「え、前は恋人みたいな性欲の延長線上の関係は信用できないって、由比、言ってたよな?」


「ええ。でも、兄妹は違います。始めに兄妹という深い精神的な繋がりがあるなら、それが肉体的な関係に進展するのは自然なことですよ」


 由比はクスっと笑って、俺の肩に手をかける。身体の位置をずり上げて、俺の耳元に唇を寄せた。


「う、うん? それって、近親相姦じゃ……」


「ええ。だから、その近親相姦が人間の本来の姿なんです。兄さん知ってますか? 古代において、多くの地域では『姉妹』という言葉は『恋人』や『妻』と同義だったんですよ。エジプトのファラオは姉妹を妻にすることが義務でした。日本の歴史は兄妹であるイザナギとイザナミの近親相姦から始まります。それくらい、兄が妹とエッチなことをするのは自然なことなんです」


「そ、そうなんだ……」


 由比があまりにも当然のごとく言ってのけるので、何だか俺の常識の方が間違っている気がしてくる。


「ええ……だから、兄さんは――私を好きにしていいんですよ?」


 俺の頬に由比の頬がくっつく。薄い皮膚を通して、彼女の体温が直に伝わってくる。


 俺は生唾を飲み込んだ。


「か、からかうのはやめてくれ」

 俺は何とか言葉を絞り出した。


「本気ですよ……私も思ってたんです。兄さんとお姉ちゃんには時間の積み重ねという繋がりがあります。だけど、新参者の私にはどう頑張ってもその差を埋めることはできません。だから、より兄さんと深く繋がるには、兄さんに女性として愛してもらうしかないって。もちろん、私の勝手な思いを兄さんに押しつける訳にはいかないけれど、兄さんが求めてくれるなら――」


 由比が、俺の頬を両の手で挟む。一見、手慣れてそうに見えて、その手は小刻みに震えていた。俺を見つめる黒い瞳が不安に揺れている。


 その儚げな様子を見ていると、興奮の熱が一気に引いていった。


「……無理しなくていいよ。本当は怖いんでしょ」


 俺はそっと由比の腕を掴んで、押し戻した。


「そんな――、確かに私は経験はないですけど、本気で……」


「何かの代償を払えば、相手が応えてくれる。そういう発想はきっと家族じゃないよ。もし、今俺が由比に手を出したら、きっとお互いに傷つくだけだと思う」


「はい……」


 由比が俺の身体から離れて、元の隣に並んだ位置に落ち着く。


 落ち込ませてしまっただろうか。


「まあ、そんな風にかっこつけてみたけど、俺の中の男は『もったいない』って、叫びまくってる。今」


 俺は冗談めかして言う。まあ、半分くらいは本音だ。


「クスっ。兄さんは私が思っている以上に兄さんでした」


 由比が小さく笑って、感慨深げに呟いた。


「なんだよ、それ」


 俺もつられて笑う。


「ふふ、秘密です……あの、兄さん」


「なに?」


「手、握っててもいいですか?」


 由比が大きく深呼吸して、そう提案する。そこに、性的なニュアンスはなかった。


「うん」


 しっとりと汗ばんだ由比の手を握り返して俺は目を閉じる。


「兄さん」


「今度はなに?」


「今日は諦めます……でも、私の初めては、もう全部兄さんに予約済みですから。それは覚えておいてくださいね」


「ふぁふっ、そ、それって――」


 思わず変な声が漏れる。


「おやすみなさいっ!」


 俺が何かを問う前に、由比が照れ隠しのような眠りの挨拶を口にする。


「……おやすみ」


 高鳴る心臓を鎮めるように、俺は挨拶を返した。

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