第5話 学園

 俺らの通う私立鎌倉高校は、中高一貫の進学校である。偏差値はまあまあで、進学実績もそれなりだがこれといった特徴はない。騒動前は海が見えるといことと、自由な校風というのが精いっぱいのアピールポイントだった。


 俺は高一で、ちなみに七里たちは中二だ。


「はい。じゃ、今日は世界史ねー。っていても、今日は時事。ぶっちゃけ、みんな知ってることばっかだから寝るなり、遊ぶなり、妄想するなり、授業の邪魔にならない程度に好きにしていいわよー」


 二十代後半くらいの女教師――通称クタパンが、ぞんざいな口調で言った。


 一応、スーツは着ているが皺でよれまくりなところに、彼女のずぼらさが如実に現れている。顔は、まあ、お見合いをすれば年収八百万くらいの男は狙えるのではないかという程度の美人だ。


 ぎりぎりまでクーラーを入れないドケチな運営方針に逆らうように、胸元に指を突っ込んで開く。いくら中身があれっぽくても、谷間が見えると目がいってしまうのは、男の本能だろう。


 ちなみに、彼女も騒動前からのカロン・ファンタジアユーザーで、俺らもよくちょっかいを出された。


 いくら私立で採用は自由と言っても、フリーダム過ぎると思う。


 俺はお言葉に甘えて、次の数学の内職を始めた。教室内での俺の席は教壇から見てちょい右の後ろである。


 これが何かの主人公なら、窓際で海でも眺められるを確保できるところだが、我が高校は無慈悲な名前順の席並びである。主人公になるには、最低限『わ行』の苗字に産まれつくという強運が必要だ。


「はい。そんな訳で、一時期はマジやばいんじゃないかと思われた世界の情勢も、すっかり落ち着きました。むしろ、ネトゲ&ピースって感じです」


 クタパンは黒板に意味のない落書きを始める。今や、板書なんて過去のもの。授業のやりとりは手元の電子端末で行われる。黒板は一応残されてはいるものの、もはや今のクタパンのように落書き帳程度の意味しか有していない。


 そう。皮肉なことに、騒動以降、世界は平和になった。みんな、国内のモンスターへの対処でいっぱいいっぱいで、他国・他民族にちょっかい出している暇がなくなったからである。


「しかも、魔法のお薬とかのおかげで、みんなハッピーになりました。よかったね。でも、童貞は病気じゃないから治りません。頑張れ思春期男子。あ、女子はノリで処女を捨てると後でめっちゃ後悔するって、ネットのおじさんたちが言ってたよ」


 クタパンは煽るように手を叩いた。ちなみに、ここでお前も処女じゃねえか! と罵倒してはいけない。クタパンのカロン・ファンタジア内での職業はまんま『教師』だった。彼女の身の周りのものは、全て凶器だと考えていい。


 ハッピーかどうかは知らないが、ポーションやら万能薬パナシルとかいうふざけたものが現実化して、この世から『不治の病』という概念は消滅した。もちろん、治療薬系のアイテムの値段は高騰しまくり、未だ誰もが手に出来る治療薬ではないが、現実世界で冒険者たちが材料の入手ルートを確立したり、医療分野の研究が進んだりすれば、いずれ皆に行き渡ることになるだろう。


「ついでに、モンスターによる経済への打撃よりも、貴重な資源と未来の産業に対する投資が生み出す効用の方がでかいって、日経が言ってたよ」


 クタパンは自分の発言の責任を適当に全国紙へと転嫁しながら授業を勧める。


 俺は下敷きで自分を仰いだ。今日はさすがに暑すぎる。そろそろ、クーラーを入れてもいいだろう。さすがに。


 でも、まあ、たぶん。クタパンの言うことは正しい。医療だけではない。工業から軍事技術から化学、おおよそこの世にある全ての職業は、国内に膨大な遺伝資源とまだ見ぬ素材という『未知のフロンティア』を獲得した。これから数十年で、世界は産業革命以来の変貌を遂げるだろう、とあらゆるメディアがこの奇跡じみた現象を誉めそやしている。


「あー、もうダメ。糞暑い! おい! 石上ぇ! 窓開けて、窓! 入口は私が開けるから!」


 クタパンが苛立たしげに教壇を叩き、教室の入り口のドアを乱暴に開け放つ。


「え……でも、危なくないですか」


 机に突っ伏していた、窓際の席の石上がのっそり身体を起こして眉をひそめる。


「うるさいなー、小っちゃいこと言ってるんじゃないよ。そんなんだから童貞なんだぞ♪」


 クタパンが唇に人差し指を当てたもったいぶった仕草をする。ものすごくむかつく。


「……はい」


 石上は、窓に歩みより鍵を外して窓を開けた。僅かに潮の匂いを孕んだ涼風が教室内を吹き抜ける。


 ふうー、涼しい――、と思ったのも束の間。


「うわっ――突っ込んでくるぞ! みんな、隠れろ!」


 石上がそう叫んで、机の下に避難する。


 椅子と床が擦れる耳障りな喧噪が、教室を満たす。


 俺も慌てて、『裁縫師』の武装を展開して、皆に倣った。下から見上げる形で状況を窺う。


「はっは。仕方ないなあ。先生が愚かな思春期諸君を守ってあげよう。教師の十八番、スキル『先導者の懲罰ピュニシオン』」


 そう宣ったクタパンは五指に挟んだ武器を窓際に向かって投擲する。


 仰々しい名前がついているが、何のことはない。ただ、チョークを投げただけだ。しかし、そもそもチョーク自体、今の時代はほとんど使わなくなっている代物なので、本来なら持ち歩いているはずはない。


 クタパンはこの手の技がやりたいがために教師になったのだと、俺は確信している。やたら、『いいことをした』的なドヤ顔が、俺の推測を証明しているように思えた。


「あっ……やべ。ミスった」


 クタパンが不吉な呟きと共に、ぶりっこみたいな仕草で自分を小突いた。


 ポウ!


 ポウ!


 過去の偉人、M.ジャクソンみたいなポップな鳴き声が、教室に響き渡った。不安をかきたてる羽音が上空を旋回している。おそらく、敵の数は二体。


(クックだな)


 クックとは鳩に似た、鳥型の雑魚モンスターである。騒動以前はただの武器の試し切り要因だったが、今はその個体数の多さも相俟って、身近な脅威として存在していた。体長は鳩を二回りくらい大きくした、チャボくらいのでかさである。


 『学校』はあくまで人が常時寝泊まりする住居としては認定されてないため、結構モンスターが突っ込んでくるのだ。


「ま、いいや――ピュニシオンのクールタイムは短いし、すぐ倒せるわよ……あっ、チョーク切らした。テヘ」


 クタパンがとぼけた顔と共に教卓の下に隠れる。


「ふざけんなー! お前が何とかしろや、クタパン!」


「氏ねー、万年処女―!」


「ズボラ、行き遅れー!」


 生徒たちから次々に罵声が上がる。もちろん、電子端末のボイスチェンジャーアプリを使っているので、正体はばれない。


「うっせえ! この性獣共がああああ! ことが収まったら、三角定規でぶん殴ってやるからな――、おーい、鶴岡くーん。早く何とかしなさーい」


 クタパンはそう逆切れをかました後、ねこ撫で声で俺に丸投げしてくる。


「えー、なんで、俺っすかー?」


 騒動前からのカロン・ファンタジアユーザーは何も俺だけじゃないはずなのに、なぜ白羽の矢が立ったのか。


「あんたのスキルが一番、まともに使えそうだからよー。どうせ、服作りまくって儲けてんでしょー? ちょっと前までは、裁縫と言えばゴミスキルだったけど、今や希少な神スキルだもんねー」


 なんか拗ねたようなことを言ってくる。


 確かに今までの職業の価値も、この騒動以降は一変した。例えば、騒動以前は有用な生産スキルだった鍛冶は、多くの地域で無意味なスキルと化した。もちろん、スキル自体は有効だ。しかし、現実世界には『超古代金属を打つための火の大精霊の加護を受けた3万度の炉』も、『一トンあるドワーフの大槌を振るえる人間』も存在しない。スキルはあっても生産設備が整ってないのだ。


 反面、現実と乖離のないスキルは一気に有用なものに踊り出た。例えば、俺の『裁縫師』は現実で生産するのに、針と糸さえあればいいので、ゲームの時代と比べても何の遜色もない。まあ、糸紡ぎ機を手に入れるのがちょっと大変だったくらいだ。


「いや、そういう営利目的なのは俺の裁縫道に反するんで、全然儲けてないです。つーか、俺が儲けることと、クックを退治しなきゃいけないことの因果関係がわからない」


「うるさいなー、細かいことを気にする男はモテないわよー。凶暴なモンスターからクラスメイトを救うなんて厨二的に憧れのシチュエーションでしょー?」


「いや、俺高1ですし」


 七里ならともかく、俺にそうした英雄願望なんかは全くない。守るべきものを守れればそれで十分だ。


「わかった! 世界史の成績上げてあげるから! これで文句ないでしょ!」


「うーん、わかりました。でも、俺は戦闘職じゃないんで、上手く倒せるかわかんないっすよ」


「いいから、早くやって! 学校のガードマンに駆けつけられたら、私の勤務評定が下がるでしょ!?」


 クタパンがついに本心を吐露した。危機に備えて、学校には騒動前からのカロン・ファンタジアユーザーの警備員が配置されている。


 俺はのっそり机の下から這い出した。


 クックは前戦ったワイルドハウンド未満の弱いモンスターである。攻撃を受けても、ダメージは大したことはない。


 問題は――


「攻撃が当たらねえんだよなあ」


 クックは腐っても飛行モンスターである。でかい針の武器で戦うのは至難だ。


 ガン!


 ガン!


 時折、滑空して嘴で突こうとしてくるクックを何とかいなす。野球のバントみたいな感じで凌ぐことはできるのだが、タイミングを合わせて細い針の先端を当てるのはやはりきつい。


(試してみるか)


縫い止めアレニエ!』


 道具袋から、飛び出したのはもちろん糸。しかし、一本ではない。複数の糸を寄り合せた、いわば網のような形だ。


 スキルがこちらの思い通りにならない代わりに、俺たちには工夫という余地が残されている。


 ポウ!


 ポウ!


 二匹が上手いこと網に引っ掛かって落ちた。網が教室の入り口の空きスペースにビタリと張り付き、針が床に突き刺さる。前よりはコントロールもマシになったみたいだ。


 机の上を跳ねるように移動し、大上段から振りかぶった針を突き刺す。


(やった!)


 確かな手ごたえ。


「ピジョオオオオオオ」


 断末魔の叫び声を上げて、クックが息絶える。茶色く濁った血が溢れ出した。


「ポッポウ!」


「っつ! やべっ! くそっ、まだ、六秒だぞっ!」


 俺は、針を突き刺したままのしゃがんだ姿勢で毒づく。真っ直ぐに、俺の目玉を狙ってくるクックに、思わず目を瞑る。


 ブウン。


 ザシュ。


 耳の横をなぶる風切音。


「ポウッ?」


「ちっ。ウチの武器じゃ攻撃通らないから、早く殺ってよ」


 うっすら目を開けると、茶髪の女生徒がこっちを横目で睨み付けていた。彼女の手に握られたのは柄のない短めの日本刀――、いわゆる『ドス』だった。刃には血こそついてないが、羽毛が数枚張り付いている。


 クックは彼女の一撃に、翼をくの字にして怯んだ。


「蜂の一刺し!」


 念のためにクリティカル補正を加えた一撃で、クックを葬り去る。


「お、おう、腰越。助かった――つーか、それ、『本物』か?」


 俺は針に深く突き刺さったクックの死体を脚で引き離しながら問う。


 つまり、カロン・ファンタジアの装備アイテムじゃないという意味だ。


「だから? 今更銃刀法も何もないでしょ?」


 腰越は冷めた口調でそう吐き捨てた。耳のピアスをいじりながら、自分の席へと戻って行く。それから、制服の胸ポケットから取り出した正方形の紙で、刀身を拭きはじめた。


 改めて腰越の容姿を観察する。髪は茶髪のセミロング。耳にはイヤーカフス。マスカラのついた睫毛に、薄いグロスを塗った唇。二十年ぐらい前に流行ったギャル系のファッションというものらしいが、最近、一周回ってブームだとか、七里が言ってたっけ。


 とにかく、流行に聡い美人。それが、腰越の印象だ。


「ああ。そうだな。余計なこと言ってすまん」


 俺は軽く頭を下げ、『解体』のコマンドを押す。


「やったのね! ほら、石上、早く窓を閉めて! 鶴岡GJ!」


 教卓の下からひょっこり顔を出したクタパンが、巨大な三角定規を振り回しそう命令する。


「成績上げてくださいね」


 俺はため息と共にそう念押しする。


「それは無理。だけど、後で先生からご褒美のチューがあります」


 あっさり約束を反故にしたクタパンが目を閉じて口を突き出す。


「なにそれ臭そう」


 定規が飛んできた。




 Quest completed


 討伐モンスター:クック2


 戦利品:鳥の羽根 2

    羽毛(粗悪) 2

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