第2話 極悪チワワvs俺
叫び声の主を俺は知っていた。それは紛れもなく、先ほどまで俺を癒してくれた由比ちゃんの声だった。
「お義兄ちゃん! 私――」
七里がベッドから跳び下りて、俺に視線をくれる。その顔は、決意に満ちていた。
「ああ、行こう」
ここまで来たら、七里を止める理由はなかった。止めたとしても七里は行くだろうし、俺としてもさすがにこの状況を看過できるほど、男を辞めてはいない。
俺らはドアを蹴破るように開けて、一軒家の急な階段を駆け下りる。
足先だけを靴に突っ込んで、踵を踏む形で玄関のドアを開けた。
ちょっと、遅れて七里もやってくる。
ゲーム内では戦士様でも、現実世界では当然ながら俺の方が走力は上だ。俺も特別運動が得意という訳ではないが、さすがにネトゲ廃人に負けるほど身体はなまっちゃいない。
「由比ちゃん! 大丈夫!?」
家を飛び出した俺の、100mくらい先に『それ』はいた。
ライオンを一回り大きくしたような形のモンスター、筋骨隆々とした胴体に、それとは不釣り合いなチワワのような顔がくっついている。
元は飼い犬だったらしく、アスファルトには引きちぎられたリードが散乱していた。飼い主らしき人物はいない。その口を濡らす赤い液体が何かなのかは、あまり想像したくなかった。
「お、お兄さん……」
由比ちゃんが尻もちをついて、こちらを潤んだ目で見つめている。
「由比ちゃん。訳がわからないと思うけど、『カロン・ファンタジア』のコマンドメニューを見たいって念じて。それで、下の警告でYESを選択して欲しい」
俺は他人に強要する前に、まずは自分の行動で示す。どうなるかはわからない危うい選択肢に躊躇なくYES。
「うおっ」
俺の身体を纏っていた服が、瞬く間に消え失せ、カロン・ファンタジアの装備に切り替わる。軽装の生産職装備とはいえ、金属を組み込んだ服は普段着に比べるとずっしりと重い。手にした巨大な針は、剣道の竹刀くらいの大きさでちょうどいい感じだ。
いや、でも――、重さがリアルに反映されるということは――。
「なんだ! ワイルドハウンドじゃん! 雑魚モンスだよ! 待っててね! 由比、今すぐ、こいつぶった切って、助けてあげるから!」
七里がそう宣言すると同時に、虚空に手を触れた。瞬間、身体が魔法少女の変身シーンみたいに光り、そして、七里は――
「ふぎゅっ」
鎧と剣の重みに押しつぶされた。
「グルルルルル」
七里の挑発めいた言葉に、巨大チワワはこちらに身体を向ける。
「お、お義兄ちゃんー、な、なにこれー、動けないよ!」
「どうやら、現実はゲームみたいに甘くはいかないらしいぞ。重い剣を振り回したけりゃ、マッチョになれってことだ」
巨大チワワを真っ向から睨み返して、俺は巨大針を構える。実際の威圧感はともかくとして、『理論上は』、俺の職業とスキルでもこの相手なら対処できるはずだった。
「そんなー! 無茶言わないでよー」
「何か軽い装備はないのか? なんなら、初期装備でもいい。レザーアーマーと木の棒ならいくらお前でも装備できるだろ」
「そんなゴミ装備とっくに売り払ったよ! 軽量装備は倉庫にぶちこんでるから、アイテム袋には入ってない!」
背中越しに七里の舌打ちが聞こえる。
そりゃそうか。七里はスピードで翻弄するというよりは、大火力の力押しを好むタイプだし。
仕方ない。正直、やばい賭けだが、あれをやるしかない。
「お兄さん! できました!」
そうこうしているうちに、現実との同期を終えたらしい由比ちゃんが、装備の杖を支えに立ち上がった。
「よしっ。それじゃあ、プロテクトの魔法で、防御力付加をお願い――七里に」
「え! 私? お義兄ちゃんが戦うんでしょ!?」
「戦うよ! たが、考えても見ろ! 現実ってことは、回避システムも
ウォールはつまるところ『身代わり』で、他のキャラクターが受けたダメージを他のキャラに移し替えるスキルだ。ネトゲの『壁役』にはつきものののあれである。
「ええええ、理屈は分かるけど、もし、スキルの効果がなかったらどうすんの!」
「その時は――、俺が食われている間に逃げろ!」
「っつ……!」
俺の宣言に、七里がくぐもった声を漏らす。
「お、お兄さん――、魔法、どうやら本当に詠唱しないとダメみたいで――、時間が――」
由比ちゃんが狼狽したように口をあわあわさせる。
「くそっ――」
プロテクトなしでも、七里が食らうダメージは大したことはないはずだ。だけど、その『ダメージ』の内容がどんなものかわからない。もし、身体に傷が残るような類のものなら、できることならば避けたいのが本音だ。
「ガルアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
そうこうしている内にこらえきれなくなった巨大チワワが、唸りと共に飛び掛かるように前肢を曲げる。
「うおおおおおおおおお!」
それは、全くの思いつきだった。
アイテムボックスから反射的に取り出した球状の物体を、振り返り様に投擲する。
「なっ、毛玉っ!?」
呆然とする七里の顔を越えて、物体は放物線を描いて遠方に着地した。
編み物の素材たる毛糸の塊を粗略に扱うのは断腸の思いだったが、命には換えられない。
「わふううううううん」
予想外にかわいらしい声を出したチワワが、球体に向かって爆速で走って行く。
「由比ちゃん、今の内に詠唱して! 七里はウォール!」
俺は、巨大チワワとの彼我の距離の差を測りながら命令した。
もうちょっと距離があれば、家に逃げ込めたのだが、俺の肩ではそれだけの距離は稼げなかったらしい。
「は、はい。ええと、慈悲深き光の精霊よ。そのあまねく愛をもって、七里を守る柔き層を成せ――プロテクト!」
由比ちゃんが、カンペを読むような棒読みで、詠唱を開始する。大方、コマンドメニューのところにテキストメッセージでも表示されているんだろう。
「ウォオオオオオオオオオル!」
一方の七里は、単純なものだ。さすがに戦士スキルに詠唱のタイムラグがあったら使い物にならない。
「よしっ」
俺は七里と由比ちゃんを庇うように、前に出た。できるだけ距離をつめた方が、後ろの二人に被害が及ぶ可能性が低まる。
「があああああああああああ」
毛玉をその犬歯に絡みつかせた巨大チワワが、こちらに向かって突進してくる。どうやら、俺の毛玉は彼の狩猟本能を満たすには大きさが足りなかったらしい。
「うおおおおお!」
武道の心得なんてさらさらない俺が出来るのは、相手の突進に合わせて針を突き出すことだけ。
「ぐっ!」
凶暴な歯がこちらに迫って行く光景に、俺は思わず及び腰になる。それでも、一瞬、手に肉を刺す感触を得ることができた。
しかし、そのささやかな反撃の代償に、噛みつきと前脚のひっかきが俺を襲う。
反射的に目を閉じたが、予想していた衝撃は訪れなかった。
「ひゃっ!」
代わりに聞こえてきたのは、背中に氷を入れられたような七里の声。
「大丈夫か!?」
「うん! ちょっと振動が来たけど、全く痛くないよ! でも、忘れないでね! ウォールの効果持続時間は3分、クールタイム一分だよ!」
クールタイムとは、言うまでもなく、一回使用したスキルが再び使えるようになるまでの待ち時間のことである。
当然、クールタイムをやり過ごす案なんてないので、実質三分で片を付けなければならない。
「わかってる!」
俺は頷いて、前方に突進した。ウォールが機能したことを確認できたので、さっきよりは大胆に打って出られる。
相手の攻撃はシカトして、ひたすら針を突き出すが、前脚と噛みつきのブロックのせいで、かすり傷しか与えることしかできない。
だが、大丈夫だ。俺には、あのスキルがある!
「
俺は自信満々に口を開く。虚空の道具袋から飛び出した糸を繰って、俺は投げ縄の要領で、前脚に糸を引っかけた。先端についた針が目に見えない力と共に、地面に突き刺さる。
しかし――
スルっ。
「嘘だろ!? 最低でも十秒は持てよ!」
ものの二秒で、チワワは糸から抜け出してしまう。
「……あくまで、スキル表示はカタログスペックって訳だ」
俺は引きつった笑みを浮かべて、冷や汗を垂らす。確かに糸は引きちぎられてはいないし、針はしっかりと地面に固定されたままだ。だが、俺の引っかけた角度が悪かったせいで、スキルは十分な性能を発揮しなかったらしい。
(ダメ元で『蜂の一刺し』を使うか? でも、急所の場所もわかってないのに、スキルとして機能すんのか?)
生物の急所というと、脳か心臓だろうが、犬、しかも化け物の心臓の位置なんて正確には知らない。
「お義兄ちゃん! 後一分!」
「ああ!」
七里の報告に、俺は焦りと躊躇を抱きながら、再びステータスメニューを開いて、スキルを確認する。
パッシブスキル
裁縫lv99(AT・MT共通)……繊維を組み合わせ、装備品を生産する スキルです。プレイヤーの熟練度が、生産品の質に影響します。
鑑定(素材)lv40……(MT)素材の良し悪しを判別するスキルです。
(クリックで、対象素材ごとの習得率にジャンプします)
アクティブスキル
蜂の一刺しlv40……巨大な針で、急所を狙った一撃を繰り出します。
縫い止めlv99……強靭な針と糸で敵を拘束します。効果の程は使用する道具の品質と、裁縫スキル熟練度に左右されます。 敵行動停止基礎値10秒+α 再使用制限120秒
構造把握(繊維)lv99……(MT)裁縫師専用スキルです。対象の繊維の細胞レベルでの絡みつきを把握し、繊細な作業を可能にします。プレイヤーの生産品の質によってスキル達成率が判定され、レベルが上下します。
当然、同じ――、いや、おかしい。
パッシブのはずの『構造把握』が、アクティブスキルで表示されている!
「くっそ! こうなりゃ、使えるものは何でも使ってやる! 『
(なにっ!?)
一瞬、耳の奥でキーンとした音が鳴ると同時に視界が一変する。通常の視界と重ね合わせるように、レントゲンを通したような透き通った映像が、頭に流れこんでくる。骨格はもちろん、それについた筋肉、血管の一本一本まで、俺の脳は完全に把握していた。
(そうか! 生き物の肉体は――)
俺は巨大チワワの身体の下に、スライディングの要領で滑り込む。
(つまるところ繊維だ!)
俺は巨大針を構え、首から下に55cmの位置を狙う。
俺には見えていた。
その犬臭い剛毛の先にある、鮮血を送り出すポンプが。
「うおおおおおお、
俺は腹筋と腕に全ての力を込めて、針を突き上げる。
巨大チワワの回避行動も、緊張のせいの手振れも、俺の一撃の障害にはならない。不可視の力が針の軌道を捻じ曲げ、俺の攻撃が巨大チワワの肌に吸い込まれていく。
ブツっ!
「きゃおおおおおおおおおおおん!」
ゴムのようなぐにゃっとした感触を突き破り、俺の針がチワワの背中を貫いた。
勝利を祝福するような鮮血のシャワーを浴びて、崩れ落ちてくる巨体をかわし、俺は七里たちに向けて満面の笑みを浮かべた。
Quest completed
討伐モンスター:ワイルドハウンド(弱)
戦利品:猛獣の牙 1
犬の毛 1
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