カロン・ファンタジア 『オフ』ライン――鎌倉住みの裁縫士――

穂積潜@12/20 新作発売!

第Ⅰ部 第一章 義妹動乱編

プロローグ 最後のゲーム――俺と義妹とその友だち――

 俺は編んでいる。


「お義兄ちゃん!」


 二本の先の尖った棒――棒針が俺のパートナー。


「ちょっと、お義兄ちゃん!」


 糸はライバル。時には倦怠と言う名の壁となり俺を惑わせ、時には作品という形で俺に達成感を味あわせてくれる。


 編み物は人生。いや、俺を高みへと導いてくれる浪漫の詰まった宇宙。


「早くこっちに戻ってこい! この編み物馬鹿!」


「うおっ!」


 装着した高性能ヘッドギアが伝えてくるきつめのバイブレーションに、編み物の手を止めた俺は意識を現実へと戻す。


 いや、現実っていうのはおかしいか。ここはオンラインゲームの中なのだから。

 ここは、俺が所属しているギルド、『ザイ=ラマクカ』所有の家屋だ。


 とはいっても、大した人数もいない中級ギルドに毛が生えた規模のウチが持てるのは、せいぜいマンションの一室のような小さいスペースだが。


 俺はリアルに隙間風の入ってくる窓の外を見た。


 30分ごとに昼夜が入れ替わる節操のない空が、そこには広がっている。ちなみに今は夕暮れ時だ。


 痛覚以外の五感はほぼ、現実と同じに再現されているこの空間だが、やっぱりこういうところは所詮はゲームなのだということを如実に感じさせられる。


「なんだよ。今、良い所だったのに。極彩鳥の羽で作った糸はな、すぐ切れちまうから編むの難いんだよ。その代わり、完成した瞬間に全ての繊維が完全に噛みあって――」


「もう、編み物の話はいいよ! 大体、せいぜい中級装備しか生産できない『鍛冶』の下位互換の『裁縫ゴミスキル』をカンストしてるなんて、全世界10億人の『カロン・ファンタジア』でもお義兄ちゃんだけだよ。絶対! ちゃんと、私たちの話聞いてた?」


 やたらごてごてした重装鎧を着込んだ我が義妹――鶴岡つるがおか 七里ななりが、俺の隣のソファーに座っている。鞘に収めた大振りな両手剣で、俺の頭をばしばしと叩いてくる。ダメージ判定はされないものの、リアルを旨とするこのゲームはしっかりとその衝撃を伝達してきた。


 そんな彼女の職業は『重装戦士アーマーソルジャー』――オーソドックスな前衛職だ。


 義兄のひいき目を抜きにしても妹はかわいい方だと思う。


 髪は腰までのびたツインテール、顔は多人数アイドルユニットに入れば、上位4位くらいには入れるのではないかという程の美形。身長は150cmくらいの小柄で、胸は正直ぺったんこだが、そんな発達途上なところを含めて、小動物っぽい愛らしさがある。


 もちろん、所詮はバーチャルなので、見た目はいくらでも偽れる。だが、妹も含め、このギルドのメンバーはリアルでも面識のある『内輪ギルド』のため、敢えて現実そのままの造形でプレイしていた。


「聞いてるよ。今度の遠征の話だろ。でもさ、どうせ、俺はお前らの後ろでうろちょろアイテム回収してるか、ここで留守番してるだけなんだから、別に俺が会議に参加する必要はなくね?」

 俺の職業『裁縫師』は、言うまでもなく生産職である。一応、単体でも素材を回収できるように、いくつかの戦闘スキルも有してはいるが、あくまでメインではない。


「何言ってるの! ギルドで大事なのは一体感なんだから! 絆が大事なの、絆が。メンバーの戦闘参加率が下がると補正がなくなるでしょ!?」


 七里が頬を膨らませてそう熱弁を振るってくる。


「完全、後半が目的だろ……それ。いっそのこと、前衛か中衛職をウチのギルドに入れるか? お前の容姿ならちょっと愛想を振りまけば、出会い厨たちを集めて姫プレイができるぞ」


 俺はうんざりした声でそう呟いて、編みかけのブツをコマンド選択でアイテム袋へと戻した。ささやかな光の粒子だけを残して、俺の手元から消えていく棒針を名残惜しげに見つめる。


「や、やだよ。そんなの、恥ずかし――キモいじゃん……このギルドに入っていいのは、お義兄ちゃんと、私の友達だけだもん」


 妹が唇を尖らせて下を向く。

 結局、今のこのギルドには俺を含めても総勢三名しかいない。


「くすくす……」


 俺の対面に腰かけた少女――もとい、純白のローブを着込んだヒーラーが忍び笑いを漏らす。彼女の名前は藤沢由比。七里の友達で、一言で言えば天使だ。身長は七里よりちょっと高いくらいだが、胸はゆったりとしたローブでも隠せないほどに大きい。顔は、彼女を多人数アイドルユニットに入れると聞いたら、役不足だとぶん殴りたくくらいの可愛さである。せめて、国民的美少女コンテストくらいもってきてもらわないと釣り合わない。


「由比(ゆい)ちゃん、そりゃ笑いたくもなるよな。廃人の癖にコミュ障とか、七里さんマジぱねえっす」


「違うよ。お義兄ちゃんの編み物馬鹿をプギャられたんだよ。そうだよね? 由比?」


「ううん、いつもながら七里ちゃんとお兄さんの漫才はおもしろいなって思っただけだよ」


 そう言って、由比ちゃんが自然な仕草で俺と七里のカップに、紅茶のお代わりを注ぐ。さりげない気遣いができる女性って素晴らしいと思う。


「漫才なんかしたくないだけどなー、私はこのメンバーで何とかグラフィコ火山を攻略したいのー。早くみんないい案出してよー」


 七里が手足をばたつかせてだだをこねる。


「だから、無理だって。最低、後一人、援護射撃する中衛か後衛を入れないとさー。実質、戦力は七里と由比ちゃんだけなんだから」


 俺が至極まともな結論をくだす。七里はかなりの廃プレイヤーだが、ぶっちゃけ、俺はそれほどこのゲームに情熱を燃やしている訳ではないのだ。由比ちゃんが何を目的にプレイしているのかは知らないが、レベルは中堅といった感じで、俺的には七里のお遊びに付き合ってやっているようにしか思えない。


「じゃあ、お義兄ちゃんが転職してよ! カロン・ファンタジアの戦闘操作なんて糞簡単なんだから、すぐ慣れるでしょ!」


「いやだね。このファンタジーでしか味わえない編み物の感触がたまんねえんだよ」


 カロン・ファンタジアは対人交流とアイテムの豊富さに重きを置いたゲームだ。そのため、細分化された職は8万にも及び、ほぼ現実世界の全ての職に加え、ファンタジーな職業も無数に存在しており、ユーザーの好みに合わせたあらゆる種類の調度品・装備品を入手することができる。もちろん、世界観の許す限り戦闘職もありとあらゆる種類を網羅している。ただ、間口を広くとって多数のユーザーを獲得するためか、戦闘には複雑な操作を要求せず、簡略化された戦闘コマンドとスキル選択のみによって行う形式をとっているのだ。そのため、普通のオンラインゲームにはつきものの、STR、DEFなどのステータスパラメータは存在せず、職業ごとの漠然とした適・不適が存在するに過ぎない。唯一存在するゲージは、体力とMPゲージだが、これも具体的な数値ではなく、赤い棒と青い棒が視界の隅に表示されて増減し、状況を把握できる程度のものでしかない。


 反面、生産職はやけにリアルで、相当細かいところまで気をつけないと良いアイテムはできない。そこらへんのやり込み要素が、カロン・ファンタジアの人気の理由の一つなのかもしれない。


「まあまあ。七里ちゃんの気持ちもわかるけど、しばらくはもう少し簡単な所で我慢しようよ。お金を溜めて、火の耐性と物理防御を両立した装備で固めれば攻略の糸口をつかめるかもしれないよ」


「まあー、由比が言うなら仕方ないなー。じゃあ、お義兄ちゃん。素材アイテムいっぱい取ってくるから、どうせ編むんなら売れるやつを作ってよね! もちろん、コスパの悪いMN(マニュアル)モードじゃなくて、AT(オートマチック)モードでだよ」


「わかったよ。本来、そういう商業主義的な目的で編むのは、編み物道に反するんだけどな」


 俺は不平をこぼしつつも承諾する。


 このゲームの生産職にはATモードとMNモード、二つの操作体系が存在する。


 例えば、同じ『布の服』を生産するのでも、ATモードならスキルボタン『裁縫』を脳内で選択するだけでものの数秒で完成するが、MNモードなら俺みたいにちまちま編んだり縫ったりして、時間をかけて完成させなければいけない。出来上がる品の防御効果はどちらも大差ないが、見た目はまるで違う。ATモードでできるのは、全く味気のない無地の布の服。反面、MNモードなら、刺繍をするも、相手の体型に合わせて形を変えるも自由自在だ。


 コミュニティ重視のカロン・ファンタジアでは、効率重視の戦闘職ギルドでもなければ、身だしなみに気を遣ってMNモードで作られた品を購入する人間も多い。


 自慢じゃないが、俺の作るアイテムは中々に好評なのだ。純粋な防具としての質は大したことないのだが、見た目や履き心地がいいため、街中で着るのに重宝がられているのだ。


「じゃ、由比。早速、稼ぎに行く?」


「うん……行きたいけど、今日、結構たくさん宿題出たよね。このまま、出かけちゃうとずるずるいっちゃいそうだから、先に終わらせちゃわない?」


 ありがとう。由比ちゃん。七里が社会から辛うじて卒業しないでいられるのは、全部君のおかげだ。


 俺は心の中で感謝して、彼女の淹れた紅茶を口に含んだ。清涼感のある香りが口中いっぱいに広がる。


「ええー、めんどくさいー」


「でも、数学の真理先生、宿題忘れたら、怖いよ?」


「……わかった。じゃ、一緒にやろ」


「うん! それじゃあ、今から、七里ちゃんの家に行くね? お兄さんもいいですか?」


「ああ。もちろん。俺は構わないけど、わざわざ由比ちゃんが家に来なくてもいいんだよ? どうせ、七里は由比ちゃんにほとんど教えてもらう立場なんだから、足を動かす動力を割くべきなのは七里の方だ」


「いえ。私のことは気にしないでください」

 由比ちゃんが静かに首を振る。


「本当に? なんだか悪いなあ」


「そうですねえ……じゃあ、前の続きで、かぎ編みのやり方を教えてくださいます?」


「マジで!? うん。喜んで教えちゃう」

 ああ、何ていい子なんだろう由比ちゃんは。


「お義兄ちゃん。顔がキモい。葉っぱの裏にびっしついた蛾の卵並にキモい……由比、家で待ってるから」


「うん。じゃあ、私は一回落ちるね」


 由比がこちらに向かって手を振って、この世界から消えて行く。


「じゃ、俺たちも一回ログアウトすっか?」


「何言ってるの。お兄ちゃん! 由比が来るまで一狩り行くよ!」


 妹に引き摺られるようにして、俺たちはギルドの敷地から外へと向かった。




「ふはははああああああああ。死ねええええええええ、ゴミ虫どもがあああああああああ」


 嬉々として、大剣を振り回す七里が容赦なく敵を屠って行く。


 ここは、初心者~中級車向けのフィールド、ニルサカスの森。なんてことはない雑魚しかでないステージだが、裁縫師の俺にとっては、有用な糸や染めものの原料が取れるので、馴染みのステージだった。


「うっひょおおおおおおお」


 そこら中にうごめき回る巨大な芋虫上のモンスターを両断し、空中から飛来する蜂型のモンスターを衝撃派で消し飛ばしていく。


「うわっ、きっしょ」


 そんな七里の後ろで、いそいそと糸の原料の綿花を積んでいた俺の前に、七里が斬りとばした芋虫の半身が、体液を飛散させながらべちゃりと着地した。こんなところまでリアルにつくらなくてもいいのに。



 そう。


 それは、全くいつも通りの光景で。


 くだらない時間の無駄で。


 義妹と触れ合えるささやかな幸せのはずだった。


「いくぜえええええ、必殺ううううう大……回……」


 ブツ。


 七里の恥ずかしい必殺技の名乗りを始めたのと、俺の視界が暗転したのは全くの同時だった。


「転斬りいいいいい、ふえっ!」


 それまですぐ近くから聞こえてきた七里の声が、くぐもったものに変わる。それが、現実の俺の部屋の、壁一枚挟んだ隣室から聞こえてきたのだと気付くのに、3秒とかからなかった。


 大方、現実で大立ち回りを演じようとした七里が、勢い余ってずっこけたのだろう。


「なんだこれ……サーバー落ち?」


 俺は戸惑い気味にヘッドギアを脱いだ。


 見慣れた俺の部屋が戻ってくる。いくらカロン・ファンタジアが精巧にできているといっても、やっぱり現実には敵わない。


 無意識的に、机の上にある作りかけの編み物を手繰り寄せ、手を動かしはじめる。


「珍しいこともあったもんだな」


 カロン・ファンタジアは、運営が安定していることで有名だった。俺が知る限り、今まで一度もサーバーダウンしたことはなかったし、メンテナンスを必要とするようなバグが見つかったことすらなかったはずだ。


「ま、そのうち直るだろ」


 俺は暢気に呟いた。


「お義兄ちゃあああああああああん! やばいよ、やばいよおおおおおおおお。世界の終りだよ。黙示録だよ、ラグナロクだよおおおおおおおおおおおおおおお」


 しかし、廃人様にとってはそうでなかったらしい。


 ノックもせずに俺の部屋に飛び込んできた七里が、顔を覆ってベッドにダイブした。


「落ち着け。どうせ、もうすぐ由比ちゃんが来るだろうし、宿題が終わる頃には直るだろ? なんならお前も編み物セット貸してやるよ。落ち着くぞ」


「そんな悠長なことを言ってる場合じゃないんだよ! 完璧な運営で知られるカロン・ファンタジアが、全世界同時で接続不能になったんだよ! 今世紀最大の大事件だよ!」


「そうか。ちょうどいい。これを機に廃人を卒業したらどうだ。そして、もうちょっと外に出ろ。ここは古都鎌倉だぞ? 外に出れば、海でも文化財巡りでもショッピングでも何でも楽しめるんだから」


 俺は網目に鈎針を差し入れながら、そう諭してやる。


「だから、そんな悠長なこと言ってる場合じゃないんだって! 今外に出ると危ないよ! 呟やキングや6ちゃんねるなんかでは、接続不能になると同時に、現実世界に変な化け物が出現しているって噂だよ! ヤバイよ、ヤバイよー、ファンタジーだよ。クライシスだよー」


 昔流行ったらしい、ピン芸人のギャグみたいなセリフを連呼しながら、七里が手元の腕時計型デバイスをいじくって、俺の部屋の壁面に、SNSサイトの内容を投影する。


「いや、ネタに決まってんじゃんそんなの……外でも見て落ちつ……け?」


 そう言ってカーテンを押し開いた俺の目に飛び込んできたのは――庭を縦横無尽に動き回る柿の木だった。まだ、季節は初夏だというのに、枝に禍々しい紫色の実をつけ、幹には三角形の釣り目と、深く裂けた唇が張り付いている。


 そう七里は正しかった。



 その日を境に、俺らはオンライゲームから締め出され、世界は少しだけ不便になった。



 日常に、危険と冒険のロマンだけを残して。

  

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