名高きハトとタカ

コラム

01

羽間はざまは今、自宅でお客さんを部屋に入れている。


彼は、神奈川県藤沢市にある築36年の木造アパートに住み始めてから、他人を招いたのは初めてのことだった。


この部屋は、洋室5帖、キッチンとユニットバスに床はフローリングでロフトも付いて家賃は月21000円。


ちなみに最寄り駅は小田急江ノ島線 藤沢本町駅で、歩いて20分のところにあり、現在は入居者も羽間以外にいないアパートだ。


「水くらいしか出せないけど、どうぞ」


羽間が皿に入れた水道水を差し出すと、お客さんは丁寧に頭を下げてそれを飲み始めた。


皿に顔を近づけ、ゴクゴクと喉に流し込む。


水道水を出す羽間も羽間だが、お客さんのほうもお世辞にも行儀がいいとは言えない。


「ありがとうございます。とても喉が渇いていたので生き返りましたよ」


「はぁ……」


それでもお客さんは、呆けている羽間にお礼を言い、再びその頭を下げた。


そして急に前のめりになり、彼との距離を詰める。


「それで先ほども言いましたけど、羽間さんにお願いがありまして――」


「ちょっと待ってッ! 待ってよッ! いろいろ確認や整理をしたいんだけど」


「そうですよね。突然押しかけていきなりお願いとか、人としてどうかとわたしも思います」


「いや、あんた人じゃないだろ……」


お客さんは鳥だった。


細かくいえば、人の言葉を話すはとである。


どうしてこんなことになっているかというと、それは数時間前に羽間が外を歩いていると、突然空から鳩が落ちてきたからだった。


そのときの状況――。


「うわぁッ!? なんだ急に……って、鳩?」


「イタタ……。いやいや、助けてくださってありがとうございます。わたしは鳩です。ハトさんと呼んでください」


「へ……? なんだよこれッ!? 鳩がしゃべってるッ!?」


落ちてきた鳩を偶然にもキャッチしてしまった羽間は、いきなり名乗りだしたハト目ハト科の鳥に動揺を隠せなかった。


手に抱いたまま右往左往し、ここ数年、いや数十年で一番の大声を出してしまっている。


「落ち着いてください。こうやって話す姿を見られては不味いのです。大変厚かましくは思うのですが、あなたの家に連れていってもらえないでしょうか? それとさらに申し訳ないのですけど、別のお願いもありまして」


羽間は腕の中にいるハトさんと名乗った鳩のことを見つめると、なんだか気持ちが落ち着いてきている自分に気が付いた。


鳩が話す声や態度のせいだろうか。


彼にも理由はわからなかったが、ともかくこうやって丁寧に他人に接してもらえたのは久しぶりだった(人ではなく鳩だが)。


それから家にハトさんを連れてきて、水道水を入れた皿を出したというわけだった。


ちなみに羽間がコップではなく皿を使ったのは、別にハトさんが鳥だからではなく、彼の家には余分な食器がないからだ。


「では、改めて自己紹介させてもらいます。わたしは鳩のハトさんです。よろしくお願いします」


「ああ、今でも信じられないけど。これが夢じゃなくて、あんたが現実で話せるのは受け入れたよ」


引きつった顔で答えた羽間に、ハトさんはムッと表情を強張らせた。


だがすぐに深呼吸をして、再びそのくちばしを開く。


「ぶしつけですけど、羽間さん。わたしのことは“あんた”ではなくハトさんでお願いします」


「わかったよ、ハト……さん。というかあんた、俺のことを知っているのか?」


「羽間さん……。“あんた”ではなくちゃんと名前を」


「ごめんごめん。ハトさんがなんで俺の名前を知ってるんだ?」


「まあまあ、そこはいいじゃないですか。ハックがきちんとしている生活に耐えられなかったのと一緒ですよ」


「ハック? ドラッグストア……じゃないよな?」


羽間の言葉を聞いたハトさんは、大きくため息をついて呆れた様子で言う。


「ハックルベリー·フィンのことですよ。ご存知ないですか? マーク·トウェイン」


「知らんけど」


「そんな!? 彼の名前や『不思議な少年』『人間とは何か』ならまだしも、まさか『トム·ソーヤーの冒険』も『ハックルベリー·フィンの冒険』も知らないなんてッ!?」


ハトさんはいくつかの本の名前をあげ、それらの著作を知らないという羽間が信じられないようで、その場で動き回り出していた。


何もないフローリングの部屋に、ハトさんの羽がバサバサと振られて抜け落ちていく。


暴れるハトさんのせいで部屋が散らかり、羽間は慌てて止めようと声をかける。


「ちょっとハトさん! やめてくれ! 俺の部屋があんたの羽で埋まっちまうよ!」


「はッ!? 申し訳ございません……。まさかトムやハックを知らない人がいるなんて思わなくて……。それよりも羽間さん。また“あんた”って言いましたね。気をつけてください」


「は、はい……。以後気をつけます」


羽間はなぜ自分が怒られているのだろうと思いながらも、ハトさんが冷静さを取り戻したので良しとした。


この鳥にとってトム·ソーヤーとハックルベリーは余程重要なことなのだろう。


でなければ、あんな急に暴れたりなどしないはずだ。


「それでは、羽間さんのいう整理と確認ということで、まずはわたしのお願いについて話していきますね」

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