第35話

 夜九時を過ぎた頃、就寝時間を迎えたおじいちゃん達は寝室へと引き揚げていった。


 あたし的にはまだまだ夜はここから! っていう時間帯だけど、朝が早いおじいちゃん達は、その分眠りにつくのも早い。今日はあたし達がいるから、これでもいつもより長く起きていた方なんだそうだ。


 おじいちゃん達とおやすみの挨拶を交わしたあたし達は、そのまま今夜休ませてもらうことになっている客間へと足を向けた。


 喉が渇いた時にとおばあちゃんが持たせてくれた麦茶のペットボトルを一本ずつ持って廊下を歩いていると、カーテン越しに遠くの方で稲光がチカチカ光っているのが分かった。


「ねえ蓮人くん、今日はもう疲れちゃった? 眠たい感じ?」


 そう尋ねると、解禁されたばかりの名前呼びにまだ慣れない様子の蓮人くんは、若干くすぐったそうに答えた。


「いや、まだ大丈夫だけど」

「良かった。じゃあさ、ちょっとふすま開けて布団に寝っ転がりながら話さない? 眠たくなったらそのまま寝ちゃってかまわないから」

「うん。いいよ」


 やったー! なかなかない機会だし、こんなに早く寝ちゃうのもったいないもんね!


 しとしと降る雨の音をBGMに、しばらくはふすま越しのトークを楽しんだあたし達だったけど、小康状態を保っていた雨が再びその勢いを増してくると、屋根や窓を強く打ちつけるその音に、やがて会話もままならなくなってしまった。


「うわ。何かまたひどくなってきちゃったね……」


 雷の音も近付いてきている気がするし、勘弁してよと思っていると、カッと稲妻が光った直後、ドガーン! と思いのほか大きな音が近くに轟いて、思わずビクッと肩を跳ね上げてしまった。


 ビ、ビックリしたー! 今の、かなり近かったんじゃない!? さっきまではそうでもなかったのに!


 ドキドキする胸を押さえながら上空のゴロゴロという響きを追っていると、あまり間を置かないうちに再び空が光って、稲妻がピシャーンと夜の闇を斬り裂きながら、唸りを上げて大地に落ちた。


 ドオォォォン!


 轟音と共に家が細かく震える衝撃が伝わってきて、隣の部屋から「だいぶ近いね」という蓮人くんの声が聞こえた。


 それに応えようと口を開きかけた瞬間、今度は今までで一番大きな雷が落ちて、耳をつんざくような轟音と共に部屋が大きく揺れ、その凄まじさに、あたしは小さく悲鳴を上げた。


 一瞬遅れて、枕元に置いてあったレトロなスタンドライトがブツッ、と切れて光源がなくなり、辺りが真っ暗闇に閉ざされる。


 ―――ウソ! 停電!


 ヒュッ、と息を飲んだ時、再び走った雷光が部屋の中を不気味に照らし出し、反射的に布団を抜け出したあたしは、少しだけ開いていたふすまを勢いよく開け放つと、雷鳴が轟く中、蓮人くんの元へと走っていた。


「わっ!」


 布団の上で上半身だけ起こしていた蓮人くんにタックルするような勢いで抱きつき、自分のものよりたくましいその身体に無我夢中でしがみつく。


 あたしに勢いよく抱きつかれた蓮人くんは、大きく上半身をのけ反らせながらもどうにか堪えて受け止めてくれて、怯えるあたしを気遣ってくれた。


「だ、大丈夫? 岩本さん」

「ゴ、ゴメン。ちょ、こうしてていい?」


 もう、雨も雷もスゴい音で、真っ暗な中、稲妻が走った時だけ映し出される白黒の風景が何とも言えない薄気味悪さを醸し出していて、この状況で一人でじっとしているのが無理だった。


「雷、苦手?」

「苦手、ってほどじゃないんだけど……」


 ゴロゴロと不気味に尾を引く雷の残響に肩を強張らせながら、あたしは無意識に蓮人くんにしがみつく指に力を込めた。


「ここまで近くて停電も重なるとか、無理」


 蓮人くんにしがみついた掌が、冷たい汗でじっとりするくらいには怖い。


「―――明りがあれば、少しはマシかな?」


 蓮人くんが片手であたしの背中を支えたままもう片方の手で何かを探る動きを見せた後、視界の端に眩い光源が灯った。


 ―――あ!


 それを確認したあたしは今更ながらその存在を思い出した。


 そうか、スマホ! テンパってて忘れてた。


 スマホの青白い光を整った顔に映した蓮人くんは、スイスイッと画面に指を滑らせながら呟いた。


「……やっぱりこの辺り一帯、落雷の影響で停電になっているみたいだね。すぐに復旧するといいんだけど」


 その時スラッと客間の障子戸が開け放たれて、ハッとそちらに視線をやったあたし達の視界の先に、雷光に映し出された不審な人物の影が浮かび上がり、恐慌状態に陥ったあたしは、背中の毛を逆立たせた猫みたいに蓮人くんの首にしがみつきながら、引きつった金切り声を上げてしまった。


「キャッ……キャアァァァ―――ッッ!」

「―――陽葵ひまり! じいちゃんだ、じいちゃん!」


 えっ!? おじいちゃん!?


 よくよく見てみると、確かにその人物は懐中電灯を手にしたパジャマ姿のおじいちゃんだった。


「おっ……おじいちゃん! おどかさないでよー、もう! 怖かったー! 不審者かと思ったじゃんー!」

「停電したから困っとるだろうと思って、予備の懐中電灯を持ってきてやったんだ。お前は昔から暗がりが苦手だったから怖がっとるだろうと思って」

「あ……ありがとう。ごめん……」

「……とりあえず、喜多川くんを離してやりなさい。困っとるから」


 へっ?


 おじいちゃんの指摘を受けて目線を下げると、あたしに頭を抱き込まれるようにした蓮人くんが、持って行き場のない手を左右に広げたまま、窒息しそうになっていた。


 ―――!!!


「ゴゴゴ、ゴメン、れ、喜多川くん! 大丈夫!?」

「……う、うん」


 あたしのせいでずり上がってしまっていた眼鏡を直しながら答えた蓮人くんのダメージは大きそうで、若干動きがおぼつかない。


 やらかしたー!


 力いっぱいオッパイ押し付けちゃってたし、あやうくそれで窒息させちゃうトコだった!


 その様子を見ていたおじいちゃんが溜め息をつきながら、少々苦い顔であたしを諭した。


「陽葵、こういう状況だから一緒の部屋にいるのは構わんが、あんまり喜多川くんに迷惑を掛けんようにな。お前は女の子なんだから、簡単に抱きついたりせんように」

「うん、分かった……気を付ける」

「……。じゃあじいちゃんはその辺をちょっと見回ってからばあちゃんのとこへ戻るけどな、何かあったらすぐに声をかけるんだぞ。そういうわけで喜多川くん、悪いけど陽葵を頼むな。兄ちゃんも憑いてるってことだから滅多なことはないだろうが、大事な孫娘をくれぐれも宜しく」

「―――っ、はい」


 おじいちゃんから少々圧のある視線と言葉を受けた蓮人くんが、気持ち背筋を正す。おじいちゃんはそんな彼にひとつ頷いてみせると、予備の懐中電灯を置いて客間を後にした。

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