第32話
「あたしは隣の部屋を使うから。ふすま一枚隔ててるだけだからさ、何かあったら声かけてくれれば聞こえるから。遠慮しないで声かけてね」
「うん」
「じゃあ夕飯までちょっとここでダラダラ過ごしてよっか? おじいちゃんおばあちゃんの前で喜多川くんも気を遣って疲れたでしょ?」
あたしに勧められて座布団に座った喜多川くんは、肩の力を抜くと少しくつろいだ姿勢になった。
「うん……やっぱり初めてのお宅は緊張するよね。でもおじいさんもおばあさんも気さくでいい人で、今日初めて会ったけど、どことなく岩本さんと雰囲気が似てるなって思った」
「そう?」と小首を傾げながら隣に腰を下ろしたあたしを見やり、喜多川くんは頷く。
「うん。分け隔てなくあったかい感じが似てて、血の繋がりっていうのかな、そういうのを感じた。……ノラオ―――
「野良猫っぽかったでしょ?」
「確かに、それっぽい印象だったね。整ってるけど、どことなく警戒心が強そうっていうか―――でもきっと、心を許した人の前では表情豊かだったんだろうな。岩本さんを介して見ている彼は、スゴく感情が豊かで表情がくるくる変わるから。そういうところは岩本さんにも通じているよね」
「えっ、そうかなー? あたし、そんなに顔に色々出てる?」
自覚ないけど、血は争えないというヤツなのかな。
目を丸くするあたしに喜多川くんは柔らかく微笑んだ。
「うん。見ていて飽きないよ。次はどんな表情を見せてくれるのかなって、ずっと眺めてたくなる」
「えっ……」
意味深にも思えるその言いように、あたしは思わず頬を染めて喜多川くんの整った顔を見つめ返した。そんなあたしの反応に驚いた様子で自分の発言を顧みたらしい彼は、一拍置いてあたしよりも赤くなった。
「あっ、今のは別に変な意味じゃなくて……! その、いろいろ気が抜けて、何も考えずに思ったままを口走っちゃったっていうか……! ―――ゴメン、忘れて。今のオレ、かなりキモかった……」
慌てて弁明しながら、途中からだんだんと青ざめて最後の方は顔を覆ってしまいそうになる喜多川くんに、あたしは苦笑しつつそんなことはないと訴えた。
「全然キモくないよ。何も考えずにそう言ってくれたんなら、喜多川くんがあたしといて楽しいって、素でそう思ってくれてるんだなって、そういうふうに受け取る」
だから、そんなふうに謝らないでほしい。あたしとしてはかなりキュンとしちゃう発言だったんだから。
「そう受け取ってもいい?」
額を押さえんばかりの勢いの彼を覗き込むようにしてそう確認を取ると、形の良い頬が再びほんのり赤く染まって、ためらいがちに頷き返してくれた。
「良かった。へへ、何ならずっと見ててもいいよー! 今日は思いがけず時間もあるしねっ」
あたしはニカッと歯を見せて軽口を叩いた。
元々今日はいつもより気合入れて、でも気合入れ過ぎて引かれないように気を付けてメイクもおしゃれも頑張ってきたんだから、見てもらうんなら今だし。
「でも明日はちょい控え目にしてくれると助かるー。メイク道具持ってこなかったし、すっぴん確定だからー」
別に普段のメイクが濃いわけじゃないけど、メイクありとナシではやっぱり違うし、素顔はどうしても子どもっぽく地味になっちゃうから、あんまり自信持ってお勧めは出来ない。
そんなやり取りをしながらふと、自分が今日気合を入れてきたみたいに、喜多川くんももしかしたら服装とか、そういうのを色々考えてくれてたりしたのかなぁと思って、あたしは伝えそびれていた今日の喜多川くんに対する印象を述べた。
「喜多川くんの私服姿、初めて見たけれどいいね。キレカジ良く似合ってる。あたし、こういうシンプル系のコーデ好きー」
「……そう? ありがとう。おじいさんの家へお邪魔するのに失礼じゃない格好がいいかなって、何を着て行こうか結構迷ったんだけど、そう言ってもらえて良かった」
照れくさそうに頬を緩めた喜多川くんは、改めてあたしに視線を移すと、少しはにかみながらこう言った。
「岩本さんの私服もいいよね。駅でひと目見た時、今時っていうか、やっぱりオシャレだなって思った。元気で可愛い感じが岩本さんに良く似合ってるなって……」
きゃー! 褒められたー!
嬉し過ぎて、両手で口を押さえながら足をジタジタさせて転げ回りたくなる。
―――ヤバ! 好きな男子からの褒め言葉の破壊力、半端ない!
「マジ? 嬉しい! あたしも実は何着て行こうか結構迷ったんだ~。今日のコーデの一番のお気に入りポイントはね、この鎖骨下の切れ込みなんだー! 可愛くない? これ。ヘルシーな肌見せがいやらしくない感じで抜け感あって―――……」
必要以上に饒舌になって、着ているタンクトップの切れ込みを示しながら笑顔を向けると、喜多川くんは何故か目を合わせてくれなくて、その温度差に、あれ? と瞳を瞬かせたあたしは、そこで初めてやらかしたかもな? と気が付いた。
ファッションの話とはいえ、密室で好きな男子と二人っきり、隣り合わせで座ってる状況で、自分から服の切れ込み指さして、
明らかに目のやり場に困った様子の喜多川くんを見て、やらかしを確信したあたしは、気まずい空気を振り払おうと、大きめの声で言い繕った。
「あっ、え、えっとー、しょ、初夏だから! ちょっと夏を先取りみたいな!? そんな感じでね!?」
「あ、あぁうん、そうか……確かに涼し気だし、ね」
目を合わせてくれないまま微妙な相槌を打った喜多川くんは、不自然に眼鏡の真ん中を押さえながら話題を変えた。
「―――そ、そういえばノラオ……武尊さんの様子はどう? 相変わらず黙ったまま?」
「う、うん。呼びかけてみても反応ない。でも、ずっと胸の奥の方がざわざわしてる感じがするから、きっと色々思い出したことを繋ぎ合わせて整理している最中なんだと思う」
記憶の再構築―――以前ノラオが言っていた言葉を思い出しながら、でも伝わってくるこの感じから、多分、受け入れるのに時間がかかることもあったりするんだろうな……と思った。
例えば―――すれ違ったまま死に別れてしまった、お父さんのこととか。
「そうか―――とりあえずは彼の気持ちが落ち着くまで待つしかない感じかな。これがきっかけになって、いい方向に進むといいんだけれど」
「うん。これでノラオ自身がエージのことを思い出してくれれば、一気に色々加速するんだろうけどね」
「確かにね。それが一番だけど、おじいさんも実家のお姉さんに名簿のことを聞いてくれるって言ってくれたし、あせらずにいこう」
「そうだね。少しずつだけど、確実に前に進んでいるのは間違いないもんね」
「うん。そういえば念の為、オレの祖父母にもエージって名前の親戚か近しい関係者がいないか尋ねてみたんだけど、やっぱりそういう人はいないって。……施設にいる父方の祖父には直接聞けていないんだけど、祖母によると祖父の親戚関係でそういう人はいないそうだから、オレの親戚筋からエージさんを探すのは、現実的に難しそうかな」
そうかぁ……。ノラオ曰く見た目も性格も似ているという喜多川くんとエージは、血縁関係が濃厚なんじゃないかって思っていたんだけどなぁ。
おじいちゃんの実家に名簿が残っている可能性も、経過年数を考えるとあんまり当てには出来ないだろうし、これはいよいよ、ノラオの記憶頼みになっちゃうかもしれないなぁ……。
降りしきる雨の音をぼんやりと耳にしながら、あたしはそんなことを思いつつ、胸の奥でざわめき続けるノラオの気配をそっと抱きしめたのだった。
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