第3話 静かな市民体育館の調査


桃瀬ももせさんは、何が原因だと思いますか」

 市民体育館へ向かう道中、青枝あおえだは桃瀬に聞いてみた。

 ミステリー研究会の女子高生3人と事務員の桃瀬は、なだらかな山道を登っている。

 トイレの、詰まりの謎を調査するのだ。

「とんでもない量の排泄物って事ではないと思うけどね」

 軽く笑いながら、桃瀬は首を傾げる。

 3人も苦笑いだ。

「業者さんからは、流す水に対して紙の量が多いんじゃないかとは聞いたけど。ハッキリした原因はわからないみたいなのよ」

「へー」

 桃瀬は腕時計を見ながら、

「利用者さんたちに聞き取りとかはNGでお願いね。これ以上、クレームになると困るし」

 と、言った。

「新しいトイレの詰まりの気配は、伏せてるんですか?」

「委託とはいえ、真緑まみどり市の市民体育館だから。新しい設備が出来ると、すぐ税金の無駄って言い出す人もいるのよ」

「ノイジーマイノリティーってやつ?」

「批判する事が目的な奴の主張なんか、少数派って呼ぶのも変だけどね」

 と、冷めた顔で青枝は言った。



 真緑高校の通学路の途中。

 Y字路を折れると、市民体育館の駐車場が見えてくる。

「給水管と、配水管が……」

 菅黄すがきは、スマホで水洗トイレの仕組みを調べていた。

「いいよ、スガ。プロの業者さんが調べても原因不明なんだから」

 と、青枝が言った。赤井あかいも、

「ほら、段差あるよ。転ばないようにね」

 と、声をかける。

「はーい」

「古いトイレは駐車場の近くよ」

 正面扉とは別に、駐車場側にも通用口があった。

 桃瀬を先頭に、赤井、青枝、菅黄も市民体育館の廊下へ進んだ。

 ヒンヤリとした狭い廊下だ。

 外からの光が明るく、照明は消えている。

「静かですね」

「今は午後2部の時間だから。このあと、夕方の教室との入れ替わりで賑やかになるわよ」

 と、桃瀬は答えた。

 すぐに『使用禁止』という紙の貼られた扉が見えた。

「これが古いトイレ。使用禁止だから水は流さないでね」

 そう言って、桃瀬は女性用トイレの扉を開けた。

「普通のトイレですよね」

「スガちゃん。一応、間取りも書いてね」

 と、赤井が言う前に、菅黄は鞄からノートを取り出していた。

「左右に個室が3つずつ。廊下側の壁際に水道が3つで……」

 呟きながら、菅黄はノートに間取りを書き込んでいく。

 その間に、赤井と青枝は個室を覗いた。

「こっちの一番奥だけ和式だよ」

「はーい。左側の一番奥が和式……」

 個室の扉や仕切り板も、ペンキ塗りの木製だ。

 どの扉にも、古いセロテープの跡が残っている。

「これ、使用禁止って貼り紙の跡ですか?」

 と、青枝は聞いてみた。

「そうよ。セロテープを使ったから、汚くなっちゃって」

「いつも決まった個室が詰まるわけじゃないんですね」

「ええ」

「じゃあ、とりあえず。新しいトイレも見に行ってみようか」

 そういう事になった。



 新しいトイレへ行く前に、3人は見学受付を済ませた。

 名前や入館理由を記入し、見学者用ネームプレートを借りた。

「防犯もキッチリするようになっててね」

 静かな廊下を進みながら、桃瀬が声を抑えて言っている。

 ネームプレートを首に下げた赤井が、

「部外者が勝手にトイレを利用する事はなさそう」

 と、言った。

 新しいトイレは、壁を突き抜いて新設したらしい。

 正面に多目的トイレがあり、左へ進むと男性用トイレ、右が女性用トイレだ。

 4人が女性用トイレに入ると、中から水を流す音が聞こえた。

「……館長?」

 女性用トイレの個室に、スーツ姿の中年男性が屈み込んでいた。

 扉を開けたまま、驚いたような表情で見上げている。

 館長と呼ばれた中年男性は慌てて立ち上がり、

「桃瀬さんが午後は休みだったから。この時間帯は静かだし、パパッと貼ってしまおうとね」

 と、言う。その手にはA4サイズの紙束があった。

 『万引き禁止』と書かれた横に、ロール紙のイラストをつけた貼り紙らしい。

「早い方が良いだろうと思ってね。今日明日は吹き矢の夜間部もあるし」

 と、館長は声をひそめて言う。

「あの、この子たちは姪っ子と、お友だちです。今日は見学で」

「そうかそうか」

 慌てた様子は始めだけだ。

 女性用トイレの中で、館長は堂々とした笑みを見せる。

「キレイなトイレですね。前は詰まりやすかったって聞きましたけど」

 と、青枝は聞いてみた。

「設備はキレイだけどねぇ。ほら、これこれ!」

 館長は、先ほど屈み込んでいた個室を指差した。

 使い掛けのロールが床に置かれている。

 ペーパーホルダーには、新しいロールがセットされているようだ。

「無芯タイプのロールを使ってるんだけど、残りが少ないと使いにくくなってくる。これは置いてあるからまだ良いけど。新しいロールを使うために、こういう使いかけを流しちゃうんだよ」

 そう言って、館長は大きな溜息を吐き出した。

 赤井、青枝、菅黄は顔を見合わせた。

「やっぱり僕は、これが詰まりの原因だと思うなぁ。なんで大切に使えないんだろうねぇ」

「……」

「……」

 いつまでも女性用トイレに居座る男性館長に、女子高生たちは正直な視線を向けた。

「館長。その貼り紙は私が貼っておきますから」

 苦笑いで、桃瀬が言った。

「そうだね。じゃあ、頼むよ」

 貼り紙を手渡すと、館長は周囲を気にする様子もなく出て行った。

 静かな時間帯とはいえ、度胸があると言うべきか。

 館長の足音が遠ざかると、桃瀬は軽く咳払いしながらスマホを取り出した。

「遅番の吹き矢の先生と友だちだから、話を聞いてみる?」

「聞いてみたいです」

 と、青枝が答えた。

「OK」

 すぐに桃瀬は電話をかけてくれた。

「スガちゃん。こっちの間取りも書いておいて。予備のロールの置き場も」

 と、赤井が言う。

「はーい」

 青枝はトイレの水を流してみながら、

「館長さん、普通に女性用トイレに入ってましたね」

 と、桃瀬に聞いてみた。

「これを貼るためって言ってもねぇ。私が出勤するまで待てばいいのに」

 と、桃瀬は渋い表情で言う。

 赤井は桃瀬の手にある貼り紙を眺めた。

 縦書きされた『万引き禁止』の右横にロール紙のイラスト。

 左側の空白にバランスの悪さを感じるが、トイレットペーパーの持ち帰りも万引きである事は伝わるだろう。

「館長さん、水も流してたよね。いつも女子トイレで水流したりしてるのかな」

「それはそれで問題ね」

「私から注意しておくわ」

 と、桃瀬は苦笑いだ。

 ペンを走らせながら菅黄は、

「館長権限で堂々と覗くために、トイレを詰まらせてたりして」

 と、言っている。青枝も苦笑いで、

「今はトイレを使う人が少ない時間帯だよ。館長も、スポーツ教室の時間割は把握してるんですよね?」

 と、桃瀬に聞いた。

「もちろんよ」

「流れ方は普通だよねー」

 個室の水を流して回りながら、赤井が言っている。

 ほぼ同時に水を流しても、水流が変化する事はない。

「なにか、わかりそう?」

 桃瀬が聞いたところで、キュッキュッと運動靴の足音が近付いた。

 桃瀬と同年代に見える、ジャージ姿の女性が顔を見せた。

「また詰まったの? 吹き矢教室に言われても……あら?」

「違うのよ、黒部くろべさん。この子たちは姪っ子とお友だち。真緑高校の生徒さんなの」

「見学?」

「地域的な下水の問題なら、高校の方も詰まってるかと思って聞いたの。ついでに体育館の見学もね」

 3人はペコリと頭を下げた。

「そう。それで、高校も詰まるの?」

「詰まりません」

「なんだ、そうなの?」

 黒部と呼ばれた吹き矢の先生は、肩を落として言った。

「もしかして、吹き矢教室が疑われてるんですか?」

 と、青枝は聞いてみた。

 黒部は、眉を寄せて息をつく。

「館長、全員に周知してるなんて言って。吹き矢の生徒さんたちにだけ、何度もトイレの注意事項を伝えてるの。他の教室の生徒さんまで、吹き矢教室に問題があるから何度も注意されてるんだろうなんて言い出してて」

 と、ご立腹な様子で話してくれた。

「そんなこと言われてるの?」

 と、桃瀬が目を丸くする。

「そうよ。館長だって、そう思ってる」

 ご立腹の向きは館長らしい。

 桃瀬は肩を落として見せ、

「自分の思い込みが正しいってスタンスの人だから……でも周知は平等にするべきね。問題のあった人が所属していた事は、吹き矢教室全体を疑う根拠にならないわ」

 と、話した。頷きながらも黒部は、

「館長は疑う根拠にしたいようだけど」

 と、言っている。

「私はそう思ってないし、もし館長が意識を変えてくれないようなら、本部に伝えるから」

「ええ。そうして欲しいわ」

 困惑の表情で頷き合う桃瀬と黒部に、青枝が、

「だいたいの見当はつきました。桃瀬さん、確かめてみて欲しい事があります」

 そう言って、自信ありげに頷いて見せた。

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