43、旧中国の神仙

 旧中国、その山奥には神仙しんせんと呼ばれる男がんでいた。その男は一人山の奥深くに籠り、修行に明けれていたという。

 その男にとって、世の情勢じょうせいなどどうでも良かった。その男が求めたのはただ一つ武の究極系のみ。それ以外など一切気にける事もなく、ただ一人修行に明け暮れるのみだった。

 そんな彼を、旧中国に住む人々は神仙と呼びあがめていたという。何故なら、その神仙の住む山奥には古くから怪猿王かいえんおうセイテンタイセイとその配下達が数多く棲息しているからだった。

 そんな旧中国屈指の危険地帯に好き好んで住み、自ら武の研鑽けんさんに努める彼はまさしく人の世を捨てた神仙に他なるまい。そう人々は恐れ崇めたという。

 だが、そんな人の評価ひょうかなど彼は一切気にめる事は無かった。

 そもそも、他者からの評価を気にするような者が俗世ぞくせを離れ一人危険地帯の山奥に籠り続ける事など出来るはずがないだろう。

 彼が興味きょうみを持つ唯一の事こそが武の究極いただきだった。それだけだ。

 だが、そんな彼にも人生の転機となる出来事が訪れる事となる。彼のもとに、たった一人人間の少年がたずねてきた事だ。

 先ほども言ったが、その山は古くから怪猿王とその配下が棲息する旧中国屈指の危険地帯だ。そんな山に好き好んで立ち入るもの好きなど神仙と呼ばれた彼以外に一人として居ない筈だった。

 だが、そんな山に彼を訪ねて立ち入ったのみならずきてたどり着いた。それだけでも驚嘆すべき事象ことだろう。

 一言、ありえないと言っても差し支えない。驚天動地きょうてんどうちだ。

 それ故、神仙と呼ばれた彼はその少年に興味を抱いた。武の研鑽以外に一切興味を抱かなかった彼が、唯一それ以外に興味を抱いた例外だった。

「神仙様、どうか僕の村をすくって下さい!」

「神仙様はせ。俺の事は零龍れいろんと呼べ」

 零龍。それが神仙とばれた彼の本当の名前なまえだった。無論、その事実を知る者はもはや本人以外に居ないのだが。

 彼の親族しんぞくは、彼のかつて住んでいた村ごと怪物の襲撃により滅びた。彼がそれを知ったのは彼が山奥やまおくに籠った少し後だった。

 少年は、改めて零龍に頭を下げる。

「零龍様、どうか僕の村を救って下さい」

「ふむ、何かあったのか?まずは話をこうか」

 まずは話を聞くだけは聞く事にした。無論、話を聞いて興味をかれなければ少年を山から追い払うつもりだった。

 零龍に武術の研鑽以外の興味はない。故に、少年の話を聞くだけは聞く。それだけでも一種の異常事態なのだ。同時に、少年が勝ち得た功績こうせきだったと言っても良い。

 少年もそれは理解りかいしているのか、話だけでも聞いてもらえるその事実にほんの僅かに興奮をしていた。だが、今はそんなひまは無いのも理解している。故に、少年は零龍に事情の説明を始める。

「……実は、つい最近になってここからセイテンタイセイとその配下が下りてくるようになりまして。その被害ひがいが既に幾つも出ているのです」

「ほう、あの猿どもがついに山を下りたか。で?」

「既に幾つもの山々や村がセイテンタイセイとその配下によりし飛ぶ被害が出ています。僕の村も、もう滅びる一歩手前でしょう」

「まあ、あの猿どもの力ならばその程度ていどはたやすいだろうよ。で?」

「どうか、零龍様のお力をして貰えないでしょうか?」

「うむ、あいかった」

「っ!?」

 零龍の即断そくだんに、少年は思わず目を見開みひらいて頭を上げた。だが、それに対して零龍は一つ指をてて言った。

「だが、無論条件がある。それをまもるならば俺はお前たちに力を貸してやろうぞ」

「そ、その条件とは?」

 少年はつばを飲み込み、問う。その問いに対し零龍はにやりと意地いじの悪い笑みを浮かべて断言した。

「なに、簡単な話よ。少年、お前は今より俺の弟子でしとなれ」

「零龍様の、弟子ですか?」

「うむ、俺の弟子となる以上はかなりきびしくするぞ?その覚悟かくごはあるか?」

 真っ直ぐと、零龍は少年をにらむ。それに対し、少年も覚悟かくごを決めたような目で零龍を真っ直ぐと見た。

「少年じゃありません。僕の名前は老虎らおふーです、師匠」

「あい分かった。では山を下りようか、老虎」

 ・・・ ・・・ ・・・

「驚いたな、まさかお前が山を下りてまで人をたすけるなんて驚天動地だ」

 そう、一匹の猿が言った。その背丈せたけは成人男性の大きさ程あるだろう。彼こそ怪猿王と呼ばれたおうの一角、セイテンタイセイだった。

 そんな彼を前に、神仙と呼ばれた零龍は意地の悪い笑みで真っ直ぐ向き合う。

「なに、唯一の弟子の頼みとあっては俺も無下むげに出来んからな」

「弟子、ねえ?」

 セイテンタイセイはそう言って、少年の方を見る。少年は一瞬だけひるむが、それでも真っ直ぐと猿の王をにらみつけた。

 その勇敢ゆうかんな姿に、セイテンタイセイはとてもたのしそうに笑った。

「なるほど?ずいぶんと面白そうな人材を確保かくほしたじゃないか。まあ良い、俺も此処で退くのは面白くない。久々にお前と本気の喧嘩けんかをするのも面白いだろう」

 その言葉に、零龍も笑った。お互いに闘争心とうそうしんは十分だった。その闘争心だけで、天地が揺れ動く錯覚さっかくさえ覚えた。

 静寂せいじゃくは一瞬だった。刹那せつなの後、セイテンタイセイと零龍は同時に動く。

 その衝突は、天地をき飛ばしたという。

 ……その後、三日三晩において両者の戦いは続く。セイテンタイセイと零龍、互いの拳がぶつかり合うそれだけで天がふるえ、大地がくだけた。その光景はまさしく生ける天変地異と言っても過言かごんではないだろう。

 川は消し飛び、山はくずれ、互いに血を吹き出しながらそれでもわらっている。

 そんな激しすぎる戦闘が三日三晩にもおよんだ。

 だが、そんな戦闘にもわりが来る。三日三晩にも及ぶ本気の決闘。それによりセイテンタイセイも零龍も互いに疲弊ひへいしていた。もう、ほとんど体力が残っていないと言っても良いだろう。

 互いに息も絶え絶えだった。

「もう、俺もそろそろ限界げんかいだ」

「ああ、俺もだよ……」

「じゃあ、互いにあと一撃にすべてを籠めないか?」

「そう、だな……ははっ、たのしい喧嘩だったぞ……」

 そう言って、セイテンタイセイと零龍は深くこしを落とした。一瞬の間を置いて両者は睨み合う。やがて、二人は残像ざんぞうすら置き去りにして……

 セイテンタイセイと零龍の拳が互いのほおにめり込んだ。しばらくした後、ゆっくりと崩れ落ち膝を着いたのはセイテンタイセイの方だった。

「……今回は、俺のけだ。だが……次こそは…………」

「ああ、次こそは……今度こそ息の根を、めてやるよ。猿の王よ……」

 そう言って、零龍は立ったまま意識を失った。

 ・・・ ・・・ ・・・

 数日後、零龍は約束通り老虎を弟子に取った。のだが、老虎が山奥やまおくに籠るのを納得できないと彼の妹がき出したのだ。

「おにいちゃん、どうしてもいくの?」

「ああ、これは約束やくそくだからな。どうしてもかなきゃいけないんだ」

「う~……」

 そんな二人の様子に、やがてしびれをらしたのか零龍はそっとため息を吐いて至極面倒くさそうに言った。

「ああ、分かった分かった。老虎をれていくのは止めるよ」

「っ、師匠!?」

 その言葉に、誰よりも老虎がおどろいた。

 だが、零龍は苦笑くしょうを浮かべて一つ指を立てた。

「ああ、だがお前を弟子にするのは絶対にあきらめない。俺もしばらくこの村で共に過ごす事にするぞ。お前の修行はこの村で過ごしながらやる事にするさ」

 そう言って、零龍は豪快ごうかいに笑みを浮かべた。

 零龍。彼にはたった一つだけ弱点じゃくてんがあった。彼は武の究極に到達する事にのみ興味を抱き、人間社会には一切の興味きょうみを抱かない。そんな人物だった。

 だが、それと同時にじょうに流されやすいという弱点もあった。

 人の世には興味はない。それは本当だ。だが、同時にたのまれれば今一つ断り切れないという弱点もあったのだ。

 それを自覚じかくしていたが故に。そしてそれを面倒めんどうに思っていたが故に、彼は山奥にたった一人でこもっていたのだ。

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