グリード×グリード

美紅(蒼)

第1話

 無機質な白い部屋に、微かに漂う薬品の匂い。

 そこで俺は、立ち尽くしていた。


「――――金仁かねひと

「母さん……」


 目の前の弱弱しい母の姿。

 俺はただ涙を堪えることしかできない。


「うあああああああああん」

「やだよぉ……おかあさぁん……」


 幼い陽児と月子は目の前の母を見て、泣きじゃくっていた。


「そんなに泣かないでちょうだい」

「なら……元気になってくれよ……前みたいに叱ってくれよ……!」

「無茶言うんじゃないよ……」


 母さんは困ったように笑うと、震える手を俺に差し出す。


「受け取りなさい」

「え……?」


 そして渡されたのは、古びた一枚の硬貨。

 どこの国の硬貨なのか分からないが、不思議な文様が刻まれていた。


「これから先、自分たちの力じゃどうしようもないことに直面したら……それに強く願いなさい。必ず貴方を、助けてくれるから……」


 意識が朦朧とし始めている母さんは、最後の気力を振り絞って俺たちを見ると、優しく笑った。


「月子、陽児……これからは、ちゃんとお兄ちゃんの言うことを聞くのよ……?」

「やだやだやだぁああああああ!」

「おかあさん……おかあさぁん!」

「金仁……月子と陽児を……お願いね……」

「なんで……なんでそんなこと言うんだよ……一緒に家に帰ろうよ……!」

 ついにこらえ切れず、泣き始める俺を見て、母も涙を流した。


「ごめんね……こんな母親で……ごめ――――」

「母さん……? 母さん……!?」


 母さんはそう告げると、そのまま二度と目覚めることはなかった。


***


「――――ま。……ぬま。欲沼よくぬまッ!」

「いっ!?」


 突然、俺の頭に衝撃が走る。

 思わず飛び起き、辺りを見渡すと、クスクスと笑うクラスメイト。

 そして目の前には――――。


「私の授業で居眠りとは……いいご身分だなぁ? 欲沼」

「た、太刀風先生……」


 数学の教科書を手にした、長い黒髪を一つにまとめた女性……太刀風斬那たちかぜきりなが仁王立ちしていたのだ。

 ま、不味い……よりにもよって太刀風先生の授業で寝ちまうとは……!

 内心焦りまくる俺に対し、太刀風先生はため息を吐く。


「はぁ……お前の家が大変なのは知ってるが、授業中に寝ることを許可した覚えはない」

「す、すみません……」

「フン……まあいい。授業を続けるぞ」


 太刀風先生はそう言うと、授業を再開させた。

 ひとまずそんなに叱られなかったことに安心していると、隣の席の茶髪の軽薄そうな男子生徒……酒井公也さかいきみやが、笑みを浮かべながら声をかけてきた。


「金仁。お前が授業中居眠りするなんて珍しいな?」

「うるせぇ。少し気が抜けてただけだ」

「やっぱバイトが忙しいのか? 何にせよ、休めるときには休めよな」


 それだけ言うと、公也は前を向いた。

 コイツとは腐れ縁であり、俺の家の事情も大体知っているのだ。

 今もからかいつつ、俺のことを心配してくれるいいヤツだが……気恥しいので、そのことを口にする機会はないだろう。

 それにしても……懐かしい夢を見たな。

 最近は月子たちのためにバイト漬けで、夢を見る暇すらなかったわけだが……。

 ――――今の俺に、昔のことで悲しんでいる暇はない。

 俺は、月子と陽児を成人するまで見守るという使命がある。

 母さんに託されたってのもあるが、俺自身が兄としてそうしたいから頑張るのだ。

 ただ……。


「どうして今になって昔の夢を見たんだ……?」


 俺は首にぶら下げた小さな巾着に目を向ける。

 この中には、母さんが死ぬ寸前に託してくれた、あのコインが入っていた。

 ……結局、このコインも何なのか分からないんだよな。どこの国の硬貨とも違うし、パチンコやゲーセンのコインってわけでもない。

 形見とはいえ、月子たちのためになるなら売り払うことも考えていたが、価値すらまったく分からないのだ。

 昔の夢を見たことで、色々モヤモヤした気分になったものの、その後は何事もなく授業を乗り切るのだった。


***


 すべての授業が終わった後。

 帰りのホームルームで担任の太刀風先生は連絡事項を口にした。


「――――最近、不審者による妙な事件が多発している。部活や学校に用事のない生徒は、速やかに帰宅するように。それでは号令!」


 帰りの挨拶後、それぞれが帰り支度をしていると、一人の女子生徒が近づいてくる。


「金仁―」

「ん? 夢野か」


 その女子生徒……夢野望美ゆめののぞみは、緩いウェーブのかかった金髪に、耳にはピアスと、全体的に派手な印象を受けた。


「今日暇? もし暇なら、遊びに行かない?」

「悪い、今日もバイトだ」

「また? いつもバイトって言ってるけど、ちゃんと休んでるんでしょうね?」

「まあほどほどに……」

「ちゃんと休まなきゃ、体壊すよ?」


 どこか心配そうな表情を浮かべる夢野。

 中学時代からの付き合いだが、こうして心配してくれるのは純粋に嬉しいものだ。


「確かに大変だけど、俺が頑張らないといけないからな」

「そうかもしれないけど……」


 何とも言えない表情を浮かべる夢野に、俺はふと先ほど太刀風先生が言っていたことを聞いた。


「そう言えば、先生が不審者がどうとかって言ってたけど、何かあったのか?」

「アンタ、知らないの?」

「――――『豚男』だよ」

「豚男?」


 俺の言葉に夢野が驚いていると、公也が会話に参加してきた。


「何だ、その変な呼称は……」

「そのまんまの意味だよ。てか、本当に知らねぇのか?」

「……なんか見たことあるような、ないような?」

「……最近、世間はその話題で持ち切りなんだけどね」


 そういえば、配達する新聞にそんな記事が書いてあったような気がする。

 残念ながら、バイトで配達する新聞以外に情報を仕入れる手段がないのだ。

 テレビもなければスマホもないからな。

 一応、妹たちには持たせているが、俺のぶんまで用意する余裕はない。


「その名の通り、豚の頭をした男が、何かを探し求めて徘徊してるらしいぜ? 今のところ目立った被害はないみたいだが、そのうち何かあるんじゃねぇかって……何より本物の豚の顔をしてるって噂だ。被り物にしたって不気味だし、もし本物ならなおさらヤバイだろ」

「何だそりゃ。気味が悪いな……」

「警察も捜索しているらしいけど、全然見つからないみたいね」


まだ捕まってないってのは気になるな。

 もし月子たちに何かあったら大変だ。


「ひとまず月子たちには気を付けるように伝えるか……」

「アンタこそ気を付けなさいよ。バイトで早朝まで活動してるわけだし」

「それもそうだな」


 そんなことを話しながら三人で廊下に出ると、ふと人だかりができていることに気づく。


「何だ?」

「あー……生徒会長さんか」


 苦笑いを浮かべる公也の視線を辿ると、そこには爽やかな笑みを浮かべる女子生徒の姿があった。

 肩の上らへんで切りそろえられた黒髪と、妖しく光る赤い目。

 その容姿はどこかの貴公子のようで、彼女を一目見ようと各学年の女子生徒が集まっていたのだ。

 そんな彼女――――炎ノ宮雅えんのみやみやび先輩は、この学校の生徒会長だった。


「なんでまたこの階に?」

「さあ? 生徒会の仕事じゃね?」

「相変わらずの人気っぷりね」

「今回は神屋敷先輩も一緒みたいだし、余計にな」

「ほんとだ」


 公也の言う通り、生徒会長である炎ノ宮先輩の隣には、これまた容姿の整った女子生徒が。

 流れるような薄い水色の長髪に、藍色の瞳。

 どこか無機質な印象を受けるその顔立ちは、恐ろしいほどに整っている。

 生徒会長の隣にいる女子生徒――――神屋敷麗華かみやしきれいか先輩は、周囲の様子など気にも留めず、淡々とした表情で佇んでいた。


「あれだけ熱烈に歓迎されてるのに、ああも無表情でいられるのはある意味すごいよな」

「確かに。でも逆に、あの性格がいいって人気なんでしょ?」


 生徒会長の炎ノ宮先輩は女子生徒から人気があり、副会長の神屋敷先輩は男子生徒から人気が高い。

 今も生徒会の仕事で校内を回ってるんだろうが、いちいちあんなに人に集まられるとまともに仕事なんてできないだろうな。

 そんな風に思っていると、ふと生徒会長の視線が俺を捉えた。

 しかも俺の顔を見て、その整った顔に爽やかな笑みを浮かべてきたのだ。

 俺と生徒会長に面識はないので、気のせいかと思ったのだが、どう見ても俺を見つめている。

 すると、生徒会長はそのまま自然と俺から視線を外した。

 何だったんだ……?

 思わず首を傾げていると、その様子に気づいた夢野が、何とも言えない表情を浮かべながら聞いてきた。


「……ねぇ、もしかして、金仁も生徒会長とか副会長に興味がある感じ?」

「興味? ……そうだな」

「そうなんだ……」


 俺の返答に何故かショックを受ける夢野。


「だってあの二人、特に芸能活動とかしてないんだろ? それなら俺が他の事務所より先に目を付けて、芸能系の仕事に引っ張って行けば金になるなって」

「何の話だよ!?」

「二人の話だが?」

「今のはどう考えてもおかしいだろ!? お前の視点どうなってんだよ!」

「他にどんな視点があるんだよ? 今でさえ芸能人以上のオーラ纏ってんだし……ますます金の匂いしかしねぇな」

「清々しすぎる……」

「なんていうか、金仁って感じがするわね……」


 どこか呆れた様子を見せる夢野だが、少し嬉しそうな表情を浮かべていた。何なんだよ。


「ただまあ、スカウトなんざされまくってるだろうし、純粋にそういう方面に興味がねぇんだろうな。俺としては、お前ら二人でも全然いけると思ってるぜ? 顔はいいし、オーラがある」

「えっ!?」

「おいおい……俺だって興味ないからな?」


 俺がどこか狙うように二人を見つめると、公也は呆れかえり、夢野は顔を赤くしていた。

 夢野の反応はよく分からんが、どのみち希望は薄そうだ。せっかく金の匂いがするのに……つまんねぇの。


「……まあいいや。ここは通れなさそうだし、別の階段使うか」

「それもそうだな。ってか、本当に金という点以外では興味なさそうだな……」

「当たり前だろ? 一円でも価値があるかどうか……それがすべてだ」


 どれだけ人気者だろうが、俺には関係ない。

 俺はただ、妹たちのために金を稼ぐだけだ。

 仕方なく回り道をしつつ、校門前で公也たちと別れると、俺はそのままバイト先へと向かうのだった。

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