異世界創作史実伝

ヤン・デ・レェ

第一章 ノルド人の歴史

第1話 ギョーム・パウザーとノルド人の歴史について

『ノルド人の歴史』

原題:北辺ノルドの古典的偉人に関する伝記

編纂年:大陸暦1200年3月3日〜1202年3月5日(ueAInn/u/u〜ueAInI/u/ui)

編纂対象年代:ノルド暦189年〜大陸暦65年

(iuAOuOe〜ueOaO)


トラクラッチ・ベンバー・"パラ=ヴェリヌス"著

(Tuo ru a ku ru a ti・Bu en bu ar・Pu ar ua・Vu er ui nu asu)

((訳:真実を掘り起こす鉋の使い手"編纂者ヴェリナを越える男")


○前書き

まず初めに、何故私がノルド人の中でも古典時代に分類される人々に目を向けたのかに関する説明をしたいと思う。意外にも思われるが私の生まれは北辺ノルドから見て海を挟んで対岸に位置するヴァランク帝国の没落貴族家であり、今回取り上げるような特段に名のあるノルド人との血統的な連結を辿ることはできない身である。しかし、事実として周知のようにヴァランク皇帝の正統を遡ればノルド人の流寓者の一団に行き着くことができる。ヴァランク帝国は今や西域第一の国家へと成長した。その偉大なる隆盛は正に古代東域の覇者となった大ノルド王国をも彷彿とさせる。本年はまた我が皇帝ヴァルテュール1世陛下が戴冠された。このように有難い本年はまたと無いであろう。故に、今日に至るまで連綿とその権力と武威とを大陸に轟かせてきたノルド人の原点について明らかにし、我が帝国の栄えある未来に貢献するであろう最も新しい評伝を書こうと思ったのである。


○目次

nn:ギョーム・パウザーとノルド人の歴史について

A:グスタブ・ノルン

I:ノルドラ1世大王

U:編纂者ヴェリナ

E:ケルデク2世

O:ユディト1世


○nn:ギョーム・パウザーとノルド人の歴史について

「ノルド人の歴史とは困窮と征服の歴史である。」そう書き遺したのは大陸暦800年代のエルマン人の大英雄ギョーム・パウザーである。ギョームは当時の南北ヴァランキア以東にあった統一エルマニア王国で最も有力な軍事指導者であった。ギョームはヴァランク帝国の前身であり、当時は分裂期を迎えていた南北ヴァランク王国の連合軍を撃退したのみならず、対岸で拡大を続けていたコルビン帝国への大遠征を敢行して勝利を重ね、史上初となるエルマニア東方領を成立させた人物である。古今多くの者たちにとってギョーム・パウザーと聞いて思い浮かべるのはこれらの一大事績であり、そして、その事績に纏わる苦難の記憶こそがギョームをしてノルド人の歴史とは何たるかを遺刻させた理由である。


東方の覇権国家コルビン帝国の西部を小国エルマニアが劫掠したことは前代未聞の大事件であった。当初こそ野蛮国の奇跡的な勝利として扱われたが、以降10年に及びコルビン帝国を侵食し最盛期には帝国の3分の1を掌領する頃にはギョーム・パウザーの名を知らぬ者は東方は愚か大陸において誰一人居なかった。10年に渡り戦い続け、勝ち続けたギョームは遂にその食指を南方に遷都したコルビン帝国最後の要所である南都ウルスに向けた。ウルス攻囲戦によってコルビン帝国の終焉は約束されたかに思われたが、しかし今日知られている事実ではこの時敗北したのはかの名将ギョームの方であった。敗因は本人の謂う所に依ればコルビン帝国と敵対関係にあったノルド人諸国が連帯してウルス救援軍を派遣したためであった。


「ノルド人は甚だ強靭な肉体を有しており、その武力たるや西域では体験した試しがなかった。その蛮勇と忍耐、一頭の巨獣の如く堅固な軍事統率の極みを前にして、10年の継戦は疲労と慢心を持て余すのに十分過ぎた。彼らは南方から来たかと思えば、同時に北方からも押し寄せて来た。」

『ギョーム・パウザーの弁明書 大陸暦865年』より


「彼らはヴルシャ(ウルス)を囲む我が軍を睥睨するような巨体と、色水晶を嵌めたような青い目をしていた。逞しい戦斧や肉厚の剣を振るい、兵士も指揮官も先頭を競うように戦った。雑兵など存在せず、私は束の間に自軍が数的優利を掌握しているという事実すら忘れてしまうほどだった。」

『ギョーム・パウザーの弁明書 大陸暦865年』より


「程なく前線は圧壊し、同時に前線の立て直しに向かった弟マドリゴ・パウザーの戦死を知らせる伝令が駆け込んできた。」

『ギョーム・パウザーの弁明書 大陸暦865年』より


「諸将の青褪めた顔を見廻してから、東方総督(ギョーム)は言った。「これより撤退戦に移行する。殿軍は私が務める。各軍順次、淡々と撤退を開始せよ。」

『東方総督実録 大陸暦990年』より

*ただし、実録はギョーム当人が著した弁明書の発見から100年以上後に散逸していた資料をまとめて作成されたものである。


この時ギョームは初めて敗北した。撤退戦こそ全体の半数以上を東方領に帰還させ、成功裡に終わったとは言え。真のノルド人(*ギョームはノルデン人をノルド人と勘違いしていた説がある)との死闘を経験し、この一戦以来ギョームはノルド人の打倒を誓い、更に10年近くの間幾度となくノルド人と戦った。そして幾度かの勝利の後、ギョームはノルド人の大英雄プブリウス・コルビヌススに"コルビン川の戦い"にて敗北した。ギョームは追撃戦を巧妙に受け流し、僅かな残存部隊を完全に近い状態で東方領からエルマニア本土に帰還させた後、捕虜として遇されるのを嫌い自裁して果てた。


ギョーム亡き後、エルマニア王国の東方領土は瞬く間にコルビン帝国により奪還された。西域においてもエルマニアは南北ヴァランク王国連合軍による第二次侵攻を受け、これに何とか持ち堪えるも再度飛躍する為の余力を完全に喪失した。後には三十年と待たずエルマニアは分裂期を迎え、南北エルマニアへと身を窶した。


このような背景からギョーム・パウザーの評価は毀誉褒貶が激しいものとなる。片やエルマニア人の民族的大英雄であり、片や長期戦役による浪費で南北エルマニア王国の団結を砕いた戦闘狂。いずれにしろ、エルマニア人が大陸に覇を唱え得たかも知れない最初の機会であったことは間違いなく。その機会を無駄にせず、王国の伸長を一身に背負ったギョームは今日においても大陸史における無二の傑物であったという点に関して言えば今後も変わることはないであろう。


さて、長々とギョーム・パウザーという一エルマン人とノルド人の確執を記した所で、本題について語ろうと思う。


私の知る限りノルド人の歴史は北辺ノルドより始まった。大陸で最もまずしい土地で芽生えたノルド民族は最も困窮した民族であり、その旅路は初めから困難を極めていた。寒冷で常に雪が大地を覆うノルドの地、特に北辺ノルドでは狩猟と漁猟のみが食糧を得る手段であった。しかし、特別に厳しい冬季間はそれすらもままならない。結果、ノルドに芽生えたノルド人がその民族的な豊かさを享受するためにはより南方の温暖な領域へと移住して糧を得るか、或いはまだ見ぬ西方へと漁猟を行いつつ長く厳しい船旅に出るかの2択であった。殆どのものが前者を選び、極一部の冒険者たちが西の対岸を目指して船を漕ぎ出した。南下したところでそこは泥土質の荒野が広がる農耕に適さぬ痩せた土地である。多くの場合、このような土地に他の民族が侵入することはそのまま既存の民族との紛争を意味するように思われる。


しかし結論から言えば侵略されたのはノルド人の方であった。ノルド人は南下するよりも前に、北上してきた東ノルデン人によって大いに略奪の被害を受けたのである。


しばしば混同されがちなことだが、ノルド人とノルデン人は全く異なる民族同士である。ノルド人が北辺ノルドという大陸でもとりわけ寒冷で雪と森に囲まれた土地に芽生えたのに対して、ノルデン人は東ノルデンと西ノルデンという冷涼で泥土質の荒れ野に芽生えた民族である。この場合、前者がより温暖な南方での豊かな狩猟採集を目指したのに対して、後者はそもそも農耕よりも略奪を生業とするような民族であったため、存在すら怪しかった北辺にも獲物が居ると知って大挙して押し寄せたのである。


ノルド人とノルデン人が甚だ異なる民族であることはお分かりいただけただろう。果たして、このような苦難をしかしノルド人は乗り越えたのである。


冬季以外を南方へと略奪遠征をするノルデン人は、冬季には挙ってノルド人の領域を侵犯する。何故なら、冬季は厳しい冬を越すためにノルド人が最も潤沢に物資を溜め込んでいる時期だからである。これらを強奪せんがために武装したノルデン人が集落丸ごと北辺ノルドへと押し寄せることも珍しくなかった。凶暴なノルデン人は脅威であり、その恐ろしさに慄くことは当然である。しかし、ノルド人は元来その厳しい環境下で生き残るために適した頑強な肉体と並外れた忍耐力、そして本当に過酷な環境下で少しでも長く、一人でも多く生き残る為に必要な堅固な団結力を有していた。それらは何よりの武器であり、その有用性は間も無く発揮された。危機に際して英雄が誕生することは珍しいことではなく、それはノルド人の場合も例外ではなかった。ノルドラ1世大王を起源として、ノルド民族の代表者たるノルド人の王の名の下に、彼らはノルデンの野蛮人達の撃退に成功した。その後もノルド人は度重なるノルデン人の侵攻に打ち勝ち、遂には今日において最も雄弁な偉人の一人であるジェベル=ザイン1世の名の下で北辺ノルド、東西ノルデン、西ロルマンを含むモンケ王国(これは便宜的な後代の呼称であり、当時は依然としてノルド王国を名乗っていた)を建国するに至ったのである。


ほとんどの歴史家が述べる様に、ノルド人の歴史が大陸の歴史に大きな影響力を与えるようになったのは正にこのモンケ王国が誕生した頃からである。その重大性は当時から権威ある血統としてノルドラ家や旧エルザール王室の血統に並んで、モンケ王国初代国王ジェベル=ザイン1世を開祖とするモンク家の血統が正統として認知されたことからも明らかであり、またモンケ王国がその滅亡以後に生まれた大陸東方の覇権国家の殆どの生みの親となった事実からもその重大は自明の理のことである。


ノルド人は古典時代(ノルド暦189年〜大陸暦200年)から大諸侯時代(大陸暦201年〜大陸暦628年)の終わりにかけてまでにその勢力拡大に勤しんだ。特に、群雄割拠の大諸侯時代の直前、即ち大陸暦500年代はノルド王国の最盛期であった。中原を完全に征服し、大陸の南端エルザリア地方をも掌握していた当時、成熟した文化と軍事行政制度を有するノルド人の王国に楯突くことは何人にも許され得なかったのだ。


しかし、繁栄を極めたノルド王国はその巨体故に自壊した。度重なる征服戦争の結果、各地方を統治する軍閥色の強い諸侯達が強権を有するに至り、様々な腐敗や不平の根に端を発して中央への不服従を表明したのである。事の発端はジェベル=ザイン1世の最も正統な血筋が不運にも断絶してしまったからであろう。統治者は最早王国で最高の権威を振るうことが難しくなり、結果としてその求心力を加速度的に喪失したのである。


そして呆気なく王国は崩壊した。モンケ王国は三つの国家に分断された。一つは最大の版図を継承したコルビン帝国、初代皇帝ユリウス・コルビン1世はモンケ王国の名家に生まれた。コルビン家は後に大英雄プブリウス・コルビヌスス将軍を排出した。一つはエルザール教国、教皇と国王が共同統治する宗教国家である。そして最後の一つが復古ノルド王国、この国家が唯一正統なノルドラ1世の血の権威に裏付けられた国家であった。


このような複数の有力諸侯や軍閥による群雄割拠の時代が100年続いた。そして後世にこの荒廃した東方の大地を再興せんと立ち上がったのが、言わずと知れたグリューキン将軍である。本来ならばグリューキン将軍に関して詳らかに述べるべきなのだが、世にはグリューキン将軍に関する著作が溢れており、また私が評伝で中心的に物語るのは古典時代である以上、無闇矢鱈とこれ以上の時を進めることは慎みたいと思う。


実は対岸の西域へもノルド人は植民を始めていたのだがこのこともまた、古典期に分類するべきなのかは議論が分かれるところであるから省かせていただく。さて、ここまで申し上げたとおりノルド人の歴史とは豊かさを求めてひたすら拡張を繰り返してきた歴史である。これより紹介するのはそんなノルド人の中でも最も古く、中でも特段に名の有るノルド人の民族的偉人達である。ノルド人を知らなかった方々はこの評伝を最初の一歩として、我こそはノルド人であるという方々は正に彼らこそ我らが誇りであると胸を張られると宜しかろう。

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