第3話 希望 

① 陽はまた昇る


  絶望の後には希望がありました。

  太陽は毎日必ず昇る。月の満ち欠けは永遠に繰り返される(空気がない宇宙空間、摩耗することがないんですから)。本当の伝統は継承されていくという安心感。


  宮本武蔵という男は、生きるか死ぬかという真剣勝負を生涯60数度実践し、空の境地に入った引退後、その強烈な体験を霊巖洞という大自然の中で思い出す(真剣勝負のごとく向き合う)ことで、臨場感のある哲学書ともいえる「五輪書」を書きあげました。

  それを大学日本拳法に置き換えてみれば、府立(全日)を含む多くの公式戦や合宿を含む4年間の活動すべてが「60数度の真剣勝負」であり、そこに生じた感想や感慨・教訓を、文章ばかりでなく現代的に写真や映像によって表現したものが(引退間近の)4年生のブログである、と考えることができます。


  私たちが武蔵の戦いを見ることができなくても「五輪書」と「二天記」によって「宮本武蔵の世界」を知ることができるように、彼や彼女たちの試合を見ることができなくても「彼らの人間性」や「彼らの大学の日本拳法」をその片鱗とはいえ、部外者の私が知り・楽しむ(教訓とする)ことができるのです。


  大学日本拳法というのは、実に奥の深い世界です。

  中国料理のように、バラエティに富んだ各校の拳法を楽しむこともできるし、(ウーロン茶ではなく)きめ細かな味わいのある静岡か鹿児島の知覧茶で一息ついた後は、ブラックコーヒーで、更に大学日本拳法世界を、様々な角度からじっくりと味わうことができます。


  彼や彼女たちの真摯でストレートな試合映像や、ブログの文章や写真は私たちの心をピュアに柔らかに、そして豊かにしてくれるのです。(40年前の私には、とても5年生の時点で彼らのようなことは書けませんでした。私の場合、卒業後30年して、ようやく在学中の日本拳法的なる生活を「正しく思い出す」ことができるようになった、というわけです。)


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  各大学の日本拳法部員の4年生が、毎年、府立が近づく頃になると「部員たちへのメッセージ」をブログ上に書くようになったのはいつの頃からか。ブログの体裁やその内容に、彼ら・彼女たちの日本拳法と同じく、各校の伝統が線となり面となっていく姿が感じられて面白い。


  彼らは道場や試合会場のみならず、ブログという「仮想空間」でも、大学日本拳法をやっているかのようだ。100パーセント物理的な現実の日本拳法ではできない「仮想空間」ならではの(心による)バラエティに富んだ突きや蹴りや組み打ちの妙技を見せてくれます。


  現実の世界では、その肉体的な戦いの中から彼ら大学のアーキテクチャーを知り個人のアルゴリズムを知るという楽しみがあり、ブログという仮想空間では、逆にその設計思想や問題解決能力から彼らの部としての存在と個人の存在感を実感することができる。

  大学日本拳法を「帰納と演繹」という二本立て(両面)で楽しめるわけです。


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2022年 10月の「府立前最後の防具練習︕(とつぶやき)」


(https://ameblo.jp/rikkyo-kempo/entry-12778359378.html)


というブログは、同年3月に卒業された彼女の先輩と同じく、彼らの形而上世界を感じさせてくれました。

  去年と今年の2点によって線になったというか、彼女たち大学日本拳法部のアーキテクチャー(基本設計思想)とアルゴリズム(問題解決の手法・手順)が継承されている、ということが実感できます。彼女たちそれぞれの個性は違えど、同じ理性とフィロソフィーが継承されているということを実感させてくれることで、たとえ私とは関係のない大学であったとしても、そこに見る「伝統」は、同じ日本人としての安心感を与えてくれるのです。


「数学の上で、一点は線を決定しないが二点によって線が引かれる、という。中国の歴史学においても、『史記』の次に『漢書』が現れて、初めて歴史記述の正式な体裁が紀伝体と決定された」。(宮崎一定『中国に学ぶ』「中国人の歴史観」)


  2点によって線となり、点が増えることで面となり空間となり位相が増していくという「空」とは、老子の「無用の用(空があるからこそ実が生きる)」のことであり、武蔵「五輪書」空の巻(空の心によって自由な発想・変幻自在な攻撃ができる)と同じ意味なのです。



② このブログを読んだ(見た)時、すぐに連想したのがこの5本の映画でした。


○ 「怒りの葡萄」(1940年 アメリカ)


  映画のラストで、母親に別れを告げる息子がこう言います。

  「人の魂は大きなひとつの魂の一部に過ぎない。万人の魂はひとつだ。」

  「だから、オレは暗闇のどこにでもいる。飢えて騒ぐ者がいればその中にいる。警官が人を殴っていればそこにいる。怒り叫ぶ人の中に、食事の用意ができて笑う子どもたちの中に。人が自分の育てた物を食べ、自分で家を建てれば、そこにもいる。」


○ スタンド・バイ・ミー 『Stand by Me』(1986年 アメリカ)

  子どもたちの友情を描いたこの映画以上に、思い出したのはこの映画の主題歌です。

When the night has come

And the land is dark

And the moon is the only light we'll see

  夜が来て

  大地は暗くなり

  見えるのは月明かりだけ


No, I won't be afraid

Oh, I won't be afraid

Just as long as you stand, stand by me

  怖くない

  怖くなんかない

  ただ君がいてくれる限り

  僕のそばに


○ 「道」(1954年 イタリア)

  ザンパノという旅芸人と夫婦のように暮らしながらも「自分は役立たずだ」と独り悲しむ、純粋無垢な主人公ジェルソミーナに、旅の途中で出会った、やはり旅芸人のイル・マットはこう言います。「ただの小石でさえ、この世にあるものは何かの役に立っている。俺には小石が何の役に立つかわからんが、神様はご存じだ。お前が生まれるときも死ぬときも。これが無益ならすべて無益だ。空の星だって同じだとおれは思う。」


  また、村々を移動する修道女は、その理由(わけ)を彼女に話します。「住む土地に愛情がわいて一番大切な神様を忘れる危険がある。だから、私は神様と二人連れで方々を回るわけなの」と。


  2人だけで町々を巡業の途中、道ばたに置き去りにして捨てたジェルソミーナの死を、何年か後、再び通りかかった近くの町でザンパノは知ります。

  その晩、泥酔して酒場を追い出され、ヨロヨロと海辺にたどり着いて倒れ込み、砂を握りしめ呻(うめ)くようにして泣き崩れます。「誰もいなくても平気だ。一人で居たいんだ。」と。

 → 修道女の言葉は、ザンパノの孤独に対する救済という意味での伏線だったのかもしれません。


○ 「ビッグ・ウエンズデイ」(1978年 アメリカ)

  3人の仲間が兵役(戦地)から復帰し、再び青春の心に還ろうと、超巨大な大波に(サーフィンで)チャレンジする。(大波は水曜日にやってくる、という伝説)


  戦争という人間的な葛藤から解放されたくなった3人は、危険なビッグ・ウエンズディへの挑戦という一瞬のなかに、ピュア(純)な青春の心を再び見い出そうとする。

  かつて、都会で警察という国家権力(人為的な法)との追っかけごっこ、に倦んだ暴走族たちが、波乗り(大自然)へ向かった(転向した)のも同じ心理なのでしょう。


○ 「アリ」(1996年 アメリカ)

  プロボクサーであるモハメド・アリが、ハーバード大学の卒業式でスピーチを行なった。最後に2000名の卒業生の中からの「詩を Give us a poem !」という声に応え、彼はこういう詩を即興で述べた(詠った)という。

  「Me ,We. 俺、俺たち」  世界で最も短い詩。


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③ 人によって感じ方や連想することは様々でしょうが、私はかのブログに仲間同士の愛というか、アリの示した「Me ,We.」を感じました。


<引用開始>

「1年生の頃の私にとって、自分の他に上級生の選手しかいないという状況はかなりしんどかった」


「副島の強さを支えているのは、実は沢山の人からかけてもらったアドバイスを1つずつ吸収していくその素直さ」


「身近な人の努力に気づいてそのやる気を上げられるマネージャー」


「どんな人でも「面白いですよね」と言って受け入れちゃう度量の広さと、一人一人の気持ちを考えて行動できる綺麗な心を持っている」


「どこかで揉め事があれば仲裁に入り、暗い表情の部員には話しかけにいってくれて、澤田がいてくれたおかげで部のみんなが繋がっていった」


「決して後ろに下がらず最後の1秒まで戦い抜いてナイスファイト」


「痛みに対する底なしのタフさと拳法部一の負けん気の強さを持っている」


「周りに気配りできて仕事も着実にこなす子でありながら、恐るべく笑いの沸点の低さでいつも賑やかな声を道場に運んでくれて」


「強さと試合の結果が当然のように求められる中で、いつも安定した強さを見せてくれた開米は、沢山の選手やマネージャーを勇気づけてきた」


「いろんな人に相談しながら自分なりの闘い方を模索していく真面目な姿」


「井上のチャレンジ精神と実行能力を拳法部にフル稼働してくれたおかげで、拳法部が年々組織として成長していっているような気がします。来年も変わらず、拳法部の縁の下の力持ちとしてみんなのことを支えてあげて」


「自分自身へのプレッシャーに潰されそうだった期間もめげずに頑張ることができました。一緒に決勝の舞台に立って最強の景色を見た時のこと、今でもよく覚えてます。私の隣で頑張り続けてくれてほんとにありがとう。」


「思ったことがすぐ口に出る私」


「自己主張がなかったり天然すぎる部分に「︖」が浮かぶ時もあった」


「マネージャーから選手へ距離を縮めることがいかに難しいか身をもって知りました。


そんな中で、あみが意識的に選手一人一人に声をかけてくれていたことにも気づきました。」


「夏合宿でも、1人で抱え込みすぎて共有が出来ていなかった私に、ちゃんとそのことを指摘した上で話しを聞いてくれたあみ。あみがいなかったらここまで頑張れませんでした。」


「試合が始まる前から諦める人間でした。そのくらい豆腐メンタルの持ち主でした」


「強い選手でありたいという理想と大会で結果を出せていない現実に挟まれ、自分自身を不必要に追い込んでいた」


「期待を担うということは、活躍できる喜びと同じ分だけ応えなければいけないという不安やプレッシャーを背負うことでもありました。それでも、拳法部に入って多くの人から期待してもらい、心強い仲間と挑戦し続けてきた経験」


「大学生活の貴重な4年間を拳法部に費やすことに尻込みしていた当時の自分に、胸を張って頑張ってこいと伝えたい」


「拳法部を支えてくださる全ての方、また大会や昇段級を運営してくださる方々のおかげで4年間走り抜けることができました」

<引用終わり>


  ○ 拳法の強さに「人を勇気づける」という側面を見いだすことのできるような、豊かな心。

  ○ 個人のことばかりでなく、拳法部という組織として、人や部活を見ているところはこの人の大きな心を示しています。

  ○ 「パンのみで生きるのではない」 → 精神的な力によって、人は前へ進むことができる・成長できる、ということを教えてくれています。

  ○ 他大学の日本拳法部の人にも、また、拳法とは関係の無い人たちにとっても(一般論として)意味をなす言葉や考え方を、ここに見ることができるでしょう。


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④ この大学の「伝統」を感じさせてくれたのは、去年と今年の「最後のブログ」に於けるはじめの口上(序言)でした。


  去年のキャプテンと今年の(女子)キャプテンとは、その個性において全く異なりながら、かの大学の日本拳法部としてのポリシー(考え方・ものの見方・信念)は全く同じ。


  これはミッション系ということもあるのでしょうか。  個人の自由を大切にし最大限発揮させながらも、チーム(組織)としてのアイデンティティ(自己同一性)は麻雀の清一色(チンイツ)のように、一つの色にまとまっている。  「自由と規律」。これも「アナログとデジタル」ということでしょうか。


<引用開始>

〇 2021年  「本大会をもって、4年生は引退となります。この場をお借りして、今までお世話になった方々にお礼を伝えたいと思います。本当は手紙を書こうと思ったのですが、ブログでやれと言われたので頑張って書きます…長くなってすみません。」


〇 2022年  「では、最後のブログになりますので、これまでのありがとうとこれからのファイトを込めて部員にメッセージを送りたいと思います 。覚悟してください。長いです。」

<引用終わり>


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  紹介しきれませんが、こちらの大学は4年生全員が「Me ,We.」を感じさせてくれるブログを書かれています。


  もちろん、どこの大学日本拳法部でも、同期・先輩後輩同士、仲間としての競争とか友情はあるでしょう。「ポリシーも愛もなかった」私の5年間の大学日本拳法部時代でも、友情くらいはありましたが愛はなかった(私自身もそうだったかもしれません)。  卒業後40年経って、多くの大学日本拳法のブログを見て読んで感じることは、何に対しても愛がなければ長続きしない、ということでした。形だけクラブやOB会をやっていても伝統にはならない、ということです。

  関東学院大学は、(言い方は悪いですが)10年以上も鳴かず飛ばずで低迷しながら、OBたちの地道な愛によって、昨年見事に復活し、どこよりも楽しそうにやっているのを見るにつけ、指導者のポリシーとクラブに関わる人たちの愛というものを感じざるを得ません。


⑤ 楽しい画像

  また、「愛という調味料」があれば、ただの写真も、きれいな写真・面白いアングル・ちょっとひねった写真になって、人を引き込む力を持つ。


〇  道場の畳に西日が差す写真。また、練習後、先輩や後輩が一緒になってキャッキャ言いながら皆で一緒に駅へ歩いて行く後ろ姿。  池袋でもあの辺は治安がいいのでしょう。名曲「大阪で生まれた女」も一時期住んでいたようです(You-Tube「大阪で生まれた女」 完全版)。


 〇  合宿先の山の写真など、日本にこんな綺麗な景色があったのかとため息が出ます。


〇  以下の写真は個人的な好みですが、大学日本拳法的なるリアリティと「Me ,We」を感じさせてくれます。〇  有名な「日大の女装写真」も、いかにも日本人的な「バカになれる」体質を感じさせてくれて私は好き(趣味で好きなのではない)なのですが、URLアドレスが見つかりません。〇  青学・2021年度キャプテンの卒業ブログも、4年間、真剣に組織としてのクラブ活動に取り組んできたという証明ともいえるでしょう(大学日本拳法的なる現実的で双方向・多様で奥深い思惟・ものの見方・考え方が伝わってきます。)


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