第75話 ヴァレットの領主

ヴァレットの街の領主としての業務はブランド(ヴァレット子爵)の長男であるワルドマが代行している。ブランドは、三年前に起こったダンジョンの氾濫スタンピードで大怪我を負ってしまったからである。


自然のままのダンジョンというのは、定期的に氾濫スタンピードという現象が起きる。安定したダンジョンと言われていたペイトティクバでも、それは例外ではなかった。


スタンピードという現象は、ダンジョン内の生態系のバランスが時間とともに徐々に崩れていくため、それをリセットするために起きるのではないか? と高名なダンジョン学者であるカルヴァンは提唱している。


通常、ダンジョンの階層には出現する魔物の種類が決まっており、魔物達の他の階層への移動は制限されている。だがつまりそれは、ダンジョン内の生態系が歪になってしまう原因ともなる、というわけである。


実はダンジョンの中の魔物は、ダンジョンの魔力を吸収するだけで生きていける。だが、やはり食べるという本能はなくなってない。また、縄張り意識が強い魔物や、妙に好戦的な性格の魔物もいる。そこで階層内にいる動植物、そして他の魔物(時に同種の魔物)を捕食したり、時には無意味に殺し合ったりするようになるのだ。


そもそもダンジョンの階層というのは生物や魔物の種類が限られている。そのため、バランスが崩れ、一種類の魔物が増えすぎてしまう事があるのだろうとカルヴァンは言う。


ダンジョン内で死んだ魔物はダンジョンに吸収され魔力に還元され、一定期間でリポップするのだが、特定の種の魔物が死なずに増えすぎると、リポップの速度を凌駕してしまうのだろうと。


一つの階層だけでなく、ダンジョン内の階層の多くで生態系バランスが歪となった時。その歪が一定の閾値を超えると、ダンジョンの保全機能が働き、階層の移動制限が解除され、魔物たちが移動を開始する。深層の魔物が上の階層へと移動し、上の階層の魔物はそれを恐れてさらに上の階層へと逃げる。逃げるから魔物を下から上がってきた階層は追ってさらに上に移動していく。上の階層の魔物もそれを見て上に逃げ出す。その連鎖・・が始まると、魔物たちはやがて、一気に全てがダンジョンの外に出てしまう事になる。それがスタンピードと言われる現象というわけである。


ペイトティクバの場合は、十~二十年に一度、小規模なスタンピードが起きると言われていた。


さらに、百年に一度くらい、特に規模が大きい “大氾濫” が起きると言われている。


そして、三年前に、その大氾濫が起こってしまった…。


冒険者を多く抱え、常にスタンピードに備えていたヴァレットであるが、大氾濫の勢いは激しく、かなり危険な状況となってしまったのだ。


この時、冒険者や兵士と共に、領主であるブランド自らが前線に立って活躍した。貴族は魔力が多いから貴族なのである。この街で最も強い魔力を持っているのは領主である。つまり、最も戦闘力が高いのは領主という事になるのだ。


ブランドは領主として、また王都を守る役目を負った貴族家の責任として、大氾濫に立ち向かい、八面六臂の活躍をし、事態を収めるのに多大な貢献をしたのである。


だが、その戦いで、ブランドは片足片腕を失う大怪我を負ってしまったのだ。


この世界では、医学はそれほど発達していない。治癒魔法、そして同等の効果を持つ治療薬があるからである。


だが、そんなファンタジーの世界でも、身体欠損を治すのはハードルが高い。一般的な治療薬ポーションでは欠損の復元まではできない。高位の治癒魔法なら可能なのだが、それを使える治癒魔法師は非常に少なく、法外な料金を取られる上、何年も順番待ちという状態になるのだ。


そんな状況で、ブランドは自身の治療を諦め、息子に領主を引き継ぐ事にしたのである。


息子のワルドマは、当然、領主であり、スタンピードを収めた立役者である父の治療は当然行うべきだと主張したのだが……ブランドに欠損の治療を受けさせるには、街の経営が傾くレベルの金額が掛かるのだ。


もともと良心的な治世で安い税金しか取ってこなかったヴァレットの街である。財政は決して余裕がある状況ではなかったのである。


一時的に税率を上げて予算を捻出しようとワルドマは考えた。街を救った英雄の治療なのだ、住民も協力してくれるのではないかと。だが、ブランドはそれを良しとしなかった。


ならば家屋敷を売ってでもとワルドマは言ったが、代々受け継いできた家屋敷を自分のために手放すことにもブランドは同意しなかった。


ブランド 「幸い、助けてくれる召使いを雇う程度の財力はある。生活を補助する魔法も魔道具もあるから生活には不自由はしない。まぁ領主としては引退させてほしいがね。お前が一人前になるまでサポートはする」


ワルドマ 「私はまだ未熟です、領主などとても…」


ブランド 「自信を持て! お前も立派な領主になれる、そのために教育はしっかりしてきただろう? 魔力がゼロでも冒険者になって逞しく生きている弟に笑われるぞ」


ワルドマ 「…クレイですか。街を出てから6年も音沙汰なしで、はたして生きているのやら……」


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