第10話 完全詠唱

 突然として現れた紺碧こんぺきの髪を持つ槍使い。

 彼女との出会いをきっかけに、私たちの冒険に大きな変化がもたらされることになる——。


 ◇


 特別な薬草とやらを探すため、私たちは王都を離れ、砂漠へ出向いていた。襲いかかってきた巨体の何かを相手取っていた時、窮地に追い込まれた私たちを一本の槍が救った。

 当然、涼華はその人物に覚えがなく、敵か味方かもわからない。

 しかし、私はその女性を知っていた。

 見るたびその美しさに嫉妬した、紺碧の髪とオーシャンブルーの色をした瞳。私に戦う術を教えてくれた、見紛みまがうことなどあり得ない青の槍。

「……ネリネ? その顔、ネリネか!?」

 私を育ててくれたもう一人の存在、ネリネだった。



 巨大なそれ——涼華はスフィンクスと呼んでいた——を軽々と気絶させてしまった後、ネリネは微笑みと共に私たちに水を提供してくれた。

 気絶したスフィンクスの体を陰に利用して、私たちはしばしの休憩を挟んでいた。

「王都から散歩に出ていただけで、食料は持っていないの。ごめんなさいね、二人とも」

「いや、助けてくれただけで十分ありがたいよ。涼華、紹介する。彼女はネリネ。幼い私の面倒を見てくれた、姉のようなヒトだ」

「ネリネさん。メリアの友達の涼華と言います」

 友達!?

 動揺する私をよそに、ネリネは優しく微笑み、涼華に握手を求めていた。

「一緒に旅をしてくれてありがとう。よろしくね、涼華ちゃん」

「はい、よろしくお願いします」

 

 二人の挨拶を済ませた後、私たちは砂漠の探索を再開しようとした。

「では、ネリネ。久々に会えたのは嬉しいが、私たちにはやるべき事があるんだ。この辺りでお別れに」

 言葉の末尾が喉元まで出かかった時、ネリネの声が私のそれをさえぎった。

「二人揃ってに攻撃してたくらいだし、砂漠には詳しくないのよね? 放っておくのも心配だし、オアシスの散策を手伝ってあげるわ」

「いいのか?」

「ええ。退屈していたところだし」

 

「そういうことならネリネさん、ぜひお願いします。何せ私、魔法のこともよくわかっていないくらいですから」

 涼華がそう口にした際、彼女の綺麗な顔に動揺が見られたのを私は見逃さなかった。

 私は自然な流れでネリネの横に移動して、そっと耳打ちする。

(涼華はこの世界に流れ着いた漂流者らしい。魔力を体の中でコントロールするのが苦手だそうだ。この先、少し戦いに行く必要があるんだが、教えてあげてはくれないだろうか)

(わかったわ。お姉さんに任せてちょうだい)

 ネリネはどこか色気のある雰囲気を纏わせながら立ち上がった。

 それに合わせて涼華、私と続く。

「出発か?」

「ええ。オアシスを探しつつ魔法の練習というのはどう? 砂漠の向こうにどんな用があるのだか知らないけれど、この世界で生きていくのに魔法は欠かせない代物だわ。使えるに越した事はないはずよ」

「そうですね。メリア、何か意見はある?」

「方針に関しては同意する。ネリネ、集落の場所はわかっているのか?」

 王が無理難題として押し付けるくらいなのだから、オアシスの発見には相当な時間を要するはずだ。その際、夜も歩くわけにはいかないし、砂漠のど真ん中で専用の装具もなしに寝るのは自殺行為。

 野宿用の道具も揃えて持ってくるべきだったのかもしれないが、移動手段が徒歩で、収容できる魔法も魔道具もない私たちでは、備えていてもかえって邪魔になるくらいの物だった。

 ともすれば、ネリネに聞くべきは一泊を過ごせる場所の位置を把握しているかどうか。

「うんっと、心配しているのは泊まる場所? それなら私の魔法で何とかできる。心配はいらないわ」

「わ、すごい。便利な魔法ですね」

 両手を合わせて目を輝かせる涼華に対し、ネリネはウインクを返した。

「了解した。魔法の練習はリザードマンと遭遇した時に行うとしよう」

 そうして、私たちは果てしなく広がる砂漠への歩を再び歩み始める。

 すぐ後ろにあると思っていた王都は、もうぼんやりとした形しか見えなくなっていた。



 再出発から一時間ほど。

 じりじりと照りつける太陽と灼熱の大地には植物の影すら見つからない。私たち二人では、今ごろ集落を探すのに躍起やっきになっていたかもしれない。

 しかし、普段と違ってここにはネリネがいた。

「どう、少しは違う?」

「つめたい……。メリアもこっちおいで」

「わっ、わかったから落ち着け。しかしネリネ、水魔法の応用というのは便利だな」

 ネリネの魔法属性は水。魔法と言霊コードがイメージによって形成される以上、ネリネが扱う水も冷たいものだと想像すれば、熱気を少しはマシなものにしてやることもできる。

「そうね。最低限の水さえ摂取していれば、あとは魔力のサイクルでまかなえる。けっこう便利なのよ」

 

 日常的な他愛もないやりとり。

 その最中、私たちを砂嵐が襲った。——リザードマンの登場は容易に予測できる。

「メリア、ネリネさん!」

 一番に警告を出したのは涼華だった。

 凄まじい重量が砂漠に響くのがわかる。ずしっという重い音と共に、煙の向こうから大量のリザードマンが姿を現した。

「あれはエルフの子……? 涼華、ネリネ。先に行かせてもらう」

 リザードマン自体の強さは知っているため、油断が原因で敗北することはあり得ない。しかし、エルフの子は速攻で救わなければならない。涼華が知ることのなかった残酷な現実を、一生知ることのない悪夢で済ませるため。

「了解。砂嵐くらいならどうってことないわ。そうね、涼華ちゃん……魔法の詠唱はわかる?」

「えっと、言霊コードを読み上げることですか」

 涼華とネリネの説明など気にも留めず、無粋なリザードマンは私たちをなぶり殺そうと歩み寄ってくる。

 子供を救うため、私は先んじて言霊コードを詠唱した。


「溢れ出る雷よ、我が力となりて地を穿うがて——『稲妻の波エクレール・ヴァーグ』」

 そう宣言した瞬間、平常時よりも大規模な魔法がリザードマンの地面を駆け抜けた。

 威力は授業のために抑えたもの。直撃を避けて地面と衝突したそれは、我々のいる場だけが山場になるよう、大地を抉り取った。

 エルフの少年を担いだリザードマンの一頭だけを天高く吹き飛ばし、蹴りで意識を奪い去ってから少年を救う。

「子供は無事だ。おそらく奴らの群れに出くわした。一掃は任せるぞ」

 エルフの少年を救出して戻ってきた私を見ながら、ネリネは講義を開始する。

「ちょうどメリアがやってくれたように、言霊コードの前に省略されていない呪文を告げることを完全詠唱って言うの。魔力が目的のために動いてくれるから、力のコントロールがしやすくなるのよ。

 接戦になったら、相手を拘束でもしない限り完全に詠唱したりはしないのだけれど、コントロールは格段にしやすくなるわ」

 少し前に私がやったのと同じように、ネリネは涼華の腕に手を添える。

 完全詠唱。魔法が万人に普及している以上、コントロールの練習として子供の頃に学ぶ技能だ。

 見て学ばせる私と違って、説得力に足る言葉を選び、まとめてくれるネリネが頼もしかった。

 もし旅に協力してくれたらと、ふと思ってしまう。

「グルゥゥア!」

「残念。貴様の相手はこっちだ」

 理性を失った奴らがよじ登ってくれば、私が直接出向いてそれを蹴落としてやる。……涼華の手前、なるだけ殺さないように手加減しながら。

 やはり群れをなすリザードマン、谷を乗り越える数は絶えず多い。雷を脚に纏わせてそれらを吹き飛ばしつつ、二人の様子を窺うことを繰り返した。

 

 それから二分ほどが経ったところで、私の肌が二つの魔力を感じ取る。

 あったのは赤と青の二色をした柱。涼華とネリネが合わせて生み出した魔力——それは、最初の灯火プルミエ・フラムとは違うもののように見えた。

「私の魔法はただ一つ。その火はあらゆる善を護り、雨にも消えぬ灯に」

 ネリネに促された涼華は、言葉を一つずつ選ぶように、絞り出すように並べていく。

 二人の体から発せられる魔力はたかぶり、集約し、ただ彼女の手に収められる。

「喰らえ我が魔法——!」

 涼華は右腕を高々と掲げ、言霊コードを再び口にした。

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