第4話 旅へ

 黒いドラゴンがそこにいた。

 私の真横にいた涼華が姿を変えたものだった。

 何十ものリザードマンが水を打ったように停止し、遥かに大きなドラゴンを見上げている。

 まさしく竜の王の顕現であった。

 圧巻される私の意識が現実に帰ってきたところで、茂みに隠れてドラゴンを見上げるエルフの少女がいたことに気がついた。

「……涼華。キミはまさか、これをわかっていて?」

 巨大な涼華と目があった。表情は読み取れないが、私の質問を肯定しているような気がする。

 私から目を離した涼華は大きく口を開け、力強い咆哮を見せた。

「グルァァァァ!」

 耳をつん裂く叫び声が鳴り響き、森一帯が凄まじい衝撃に包まれた。何十秒か続いた咆哮がぴたりと鳴り止むと、リザードマンは泡を吹いて倒れ停止した。

 私は思わず、涼華をじっと見つめていた。純真無垢なその球を見つめているうちに、私と彼女は光に包まれ元の姿へと戻る。

 大地の上で愕然がくぜんとする私をよそに、涼華はエルフの少女に駆け寄り声を掛け、もと来た道を辿るように教えてあげていた。

 苦笑と共に戻ってきた涼華は私の方をじぃっと見つめてくる。

 

「……メリアにとって魔王が許せない敵だっていうのはわかってる。だから、殺さないでって言われても納得できないんだよね。でも、その気持ちを理解わかるとは、言えないな。

 ——私は死なせたくない。分かり合えるかもしれないし、救えるかもしれない。その希望を捨てたくない。

 甘い私の我儘を、どうか許してほしい」

 私は再び驚かされてしまった。

 魔王に対する恨みは筆舌に尽くしがたい。

 リザードマンが哀れな種族だったとしても、奴らの手で涙した人の顔を知る私が情けをかけることはない。

 誰も死なせない?

 今回うまくいっただけで、これからも成功し続ける保証はない。いや、どう考えても無理だ。彼女が傷つく未来だって容易に想像できる。

 それでも、だからこそ。

「いくら強くても届かない手を私は知っている。伸ばすことが正解とも限らない。

 私はキミの考えに叛逆はんぎゃくする。だが、否定はしない。キミの行動には理由があるとわかっているからだ。

 どうか今一度、共に戦ってほしい」

 私は涼華に手を差し出した。勢いで言葉を並び立ててしまったせいで恥ずかしくなって、彼女と目を合わせることはできなかったが。

 しばらく反応を待っていると、涼華は欣喜きんきの声と共に私の手を握ってくれた。

「もちろん。私の方こそ、足手まといになると思うけど……改めて、よろしくね」

 真っ赤な火輪が緑に差し込む森の中。

 私と涼華は、抗うことを決めた。



 それから一日が経った。

 魔王討伐に向けての旅となれば恐ろしい時間を要するのは確実。各地を巡りながら食糧を調達するにしても、最初の分は多めに持っておこうということになった。

 拠点の奥に閉まってあった貨幣を多めに持ってきて、一階のローテーブルで朝食を摂り終えた涼華の前にそれを出す。

「わ、すごい」

 じゃらじゃらと音を立てる硬貨の入った袋は劣化し穴が空いており、銅貨が一枚こぼれ落ちた。

「おっと……すまない、そっちに行ってしまったみたいだ」

「ん、あったよ」

 テーブルの下に転がった銅貨を拾い上げるところで、涼華はその絵柄に興味を持ったようだった。

 銅貨には長い髪に大きな魔道士の帽子を被った男の姿が刻印されている。

「メリア、この人って誰?」

「サジェス・リーブルという。こっちの銀貨にあるのはグロワール・アストロ、金貨にはオルビス・プラネータ。この地に魔王が君臨するよりも遥か前、人類を守る戦いで活躍した大英雄だ」

 そのうち覚えればいいと付け加えてみると、涼華は興味を持った様子で頷いた。

 肖像画の刻印を見せるだけでは満足していないようだったので、子供の頃に義兄から聞いた物語をそっくりそのまま話すことにした。

「……かつてこの世界を作った神々は、生命の戦争を俯瞰ふかんするために魔族という別種を生み出した。圧倒的な強さを持った魔族は人類を次々に滅ぼし、多様な人類をかつての半分以下にまで減らしてしまった。

 その戦争に終止符を打ったのは、だった。

 圧倒的な魔法と力で魔族を消滅させ、人間を滅亡から救った四人——その実力には際限がなく、世界をリセットしようと目論んだ神々さえも返り討ちにした。

 絶対的な防御魔法と研鑽の化身、全ての魔道具の祖とされるサジェス・リーブル。

 右に並ぶ者がいないほどの腕っ節と勇気から、「最後の栄光ラスト・グロワール」と呼ばれた男グロワール・アストロ。

 生まれ持った魔力は神々をも凌駕し、宇宙と一体化した大天才オルビス・プラネータ。

 最後の一人に関しては何もわかっていないが、一癖も二癖もあった三人をまとめあげた実力者だ。

 神も人類も、その功績を否定する者は誰一人としていなかった。

 ある時から彼らは「大英雄」と呼ばれ、伝説になった」

 大人から子供まで多くに知れ渡っている伝承として、私も幼い頃に義兄から詳しく聞かされたものだった。各地に根付く伝説が他にも残っており、挙げればキリがないのだが……それを話すのは、また適する時になってからにしよう。

 地獄のような世界を救ったかつての大英雄。それは今の私たちが実現しようとしていることに近く、いずれ私たちが越えなければならない壁なのだろう。

「……メリア。行こう」

 どうやら涼華も同じ思いを抱いていたようで、硬貨三枚を私に返すとこちらを真っ直ぐに見つめてきた。

 私はその手をぎゅっと握り、同じ志のつもりで言葉を返す。

「ああ。進もう」


 ◇


 それから、とメリアは買い出しに向かった。

 私たちが準備の場として選んだのは、アンファング・シュタットという名の街。多くの冒険者が旅立つ場所なのだそうだ。

 街の中心となる広場にはサジェス・リーブルの像が立ててあった。先ほどメリアから聞いたばかりの大英雄を前に、圧倒されると同時、闘志を掻き立てられるような錯覚に襲われた。

「第一の街に向かうまでに必要な食料と水は買い揃えた。今すぐ出ては夜が厄介だから、決行は明日の朝にしよう。他に欲しいものはあるか?」

 見慣れない街の光景に魂消たまげている間に買い出しは終わっており、時間経過の早さにまた驚いてしまう。

 しかし私は、一体何を買おうかという疑問よりも、第一の街というメリアの言葉に引っ掛かりを覚えた。

「第一の街っていうのは?」

「前に説明した通り、この世界は九つの悪鬼が支配しながら人間を虐げることを楽しんでいる。そして、奴らは恐らく完全復活を遂げている。私が挑んだよりも遥かに強いだろう。

 よって、私たちは仲間を増やす必要があると思う。ともすれば最初に向かうべきは、——エルフの砂漠だ」

 メリアの提案を聞いた私は、思わず目を見開いて停止してしまった。

 エルフの砂漠? 森じゃなくて?

 ただの偏見なのかもしれないけれど、エルフといえば森というのが多くの認識なはず。それが、よりにもよって砂漠?

 しかも、砂漠といえば私が龍に喰われた場所。もしかしたら、私が今ここにいることに繋がる手がかりがあるのかもしれない。

「……砂漠。砂漠ね。完全に予想外なんだけど」

「砂漠に住むエルフなんて私も聞いたことがない。現状そうあることは知っていたが、全く想像がつかないな」

 だよねぇと相槌を打って、私は食料品を抱えるメリアの姿を見る。

 私にとってもメリアにとっても、これから先は未知となるだろう。

 だが、頼りになる少女が目の前にいるのだから、怯えて止まっている暇はない。

「……よし、決行日は明日だね。今日はゆっくり休んで、これからの戦いに備えよう」

 会話をまとめるように言ってみると、メリアは快く頷いてくれた。


 昼下がりの青い空から、眩しすぎるほどに強い光が私たちを照らしていた。

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