第3話 目覚め

 私の夢に連日現れ助けを求めてきた少女——メリア・アルストロ。

 不思議な出来事によってメリアと出会った私は、その表情を見て彼女を救おうと決意した。


 そして。

 私はメリアが向かっている途中だという朝食の確保に付き合うことにした。

 これからどんな難題が待ち受けているのかはわからないけれど、まずは仲良くならないと。

「魚って釣り竿がなくても取れるの?」

「魔法を使えば簡単だ。属性によっては難しいこともあるんだけどな」

 私が歩幅を早めて追いつこうとしたのを察してくれたのか、メリアは柔和な笑みと共に歩く速度を抑えてくれた。

 そのまま少しの間雑談を繰り広げた。カフェの窓から見た砂漠の景色はどこに行ったのか、辺りは緑一色の森だった。小鳥の囀りと足音だけが響くそこは落ち着いた空間として完成されていた。

「時に、涼華。……少し、話をさせてもらってもいいかな」

 メリアは真剣な表情で問うてくる。歩く速度はさらに落ちていた。

 その目が真っ直ぐこちらを見つめていたので、私は真意を察知した。

「もちろん。聞かせてほしいな」

 

 メリアからいくつかの説明を受けて、私は衝撃を受けた。

 世界に千年以上君臨し続ける魔王とそれに仕える九つの種族がいる。魔王に屈していない種族もいるにはいるが、九つの種族の力が大きすぎて逆転を狙えないとのことだった。

 カフェの件を受けて世界の異常性に察しはついていたが、実際に聞くとまた現実味がない。

「多くの種族が既に絶滅した。千年間の侵攻があって人間がまだ生存できていることが奇跡なんだ」

 悔しそうに拳を握り、空を見上げてメリアは言った。

 先ほどからメリアが口にしていた「魔法」。それこそ人間が魔王に対抗するための限られた手段なのだろう。

 果たして私に戦うことができるのだろうか? 恐怖だってある。ゲームの世界で遊ぶのと、実際に戦うのでは訳が違うのだ。千年間叛逆を成功させなかった魔王の軍勢がいかに強力か、想像に難くない。

 ……それでも。

 夢の中の少女を放っておくことはしないと、先ほど決めたばかりだ。

「わかった。やるなら私も全面的に協力する。手伝わせてくれるかな」

 想像よりも早く言葉が返ってきたことに驚いたのか、メリアは驚いたような表情を浮かべた。出掛けた言葉を飲み込んだ様子で、再び私の目を見て言った。

「そう言ってくれるのなら、魔王討伐を手伝って欲しい」

 もちろん。

 言葉を返そうとしたその時、メリアが左腕で私の進行を遮った。

「今すぐ後ろに飛べ!」

「っ!?」

 瞬間、目の前を真っ赤な刃が落ちていく。少しでもタイミングが遅れていたら、メリアが指示を出してくれなかったら——そう思うだけで、体を嫌な汗が伝った。

「よりによって今か。面倒な」

 メリアは舌打ちと共に刃の先を見た。

 トカゲのような鱗に三メートルはあろうかという身長、それぞれが手に武器を持っている。棍棒に剣、槍と、殺傷能力が高いものばかりだった。

「少し下がっていてくれ。奴らはリザードマン……魔王の僕、私たちの敵だ」

 リザードマンは充血した目をこちらに向けた。

 その瞳には正気がない。




「リザード……、マン?」

 似たようなものだと思っていたが、リザードマンはドラゴンとは大違いだった。

 彼らにあの尊大な瞳や雰囲気はない。膨張した筋肉が肉体の異常性を示していた。

「あぁそうだ。魔王の手下として洗脳され、罪なき人々の命をたくさん奪ってきた魔物だ。一つ一つの実力は高く、魔法を使えない一般人にとっては対処のしようがない脅威。魔法が使えても、数の多さに殺されることだってザラにある」

 リザードマンと対峙した途端、メリアの纏う空気が変わった。

 メリアは小さく数を呟いていた。どんどん増えていくカウントはリザードマンの数だろうか。リザードマンを睨みつける双眸は少女とは思えないほどの鋭さを帯びていた。

「格下とはいえ、侮れば数の暴力に命を奪われる——だから、容赦なくいかせてもらう」

「グォォ!」

 緊張感に包まれた静寂を切り裂いて、リザードマンの一体がメリアに棍棒を振り下ろす。しかし涼華の視線は棍棒ではなく、リザードマンの体を捉えていた。

 棍棒が落ち始めるのと同時、メリアの脚を眩い光が包み込んだ。

電光脚ブリッツ・バイン

 風より疾くメリアが動く。

 瞬間。

「ギャアアアアアア!?」

 リザードマンが言葉にならない悲鳴を上げる。……その右肩から先は消滅していた。

 光景の物々しさや残酷さに驚いたのはもちろんだったがそれだけではない。

 メリアがこんなに強いなんて思わなかった。苦しみ足掻く少女の像と今の彼女はまったく一致しない。

 それも僅かな間に動揺へと変わる。

 動揺が生んだ一瞬の隙をついて、メリアは右腕を失くしたリザードマンの腹へ拳を叩き込んだ。リザードマンは震えてその場に倒れ伏し動かなくなった。

 メリアはリザードマンの命を奪っていた。簡単に、モノを壊すのと同じように。

「殺したの」

 メリアは頷いた。

「残忍な動物に情けをかける理由はないよ。それに命を狙われた。私が殺さなければキミが殺されるだけだ」

 当然といった様子で、メリアは二体目のリザードマンの顔面へ蹴りを叩きつけた。

 バランスを崩したリザードマンの上に馬乗りになると同時、三体目は一瞥さえせずに心臓を魔法で撃ち抜いてしまった。

「洗脳されたんだったら罪なんて……っ」

 口にしてすぐ失言だと気がついた。

 夢の映像が事実なら、メリアの中にある死生観は生態系の食物連鎖と何ら変わりなくて当然だ。

 自分だって大切なモノを奪われている。

 奪い返す気にならないわけがなかった。

「そうだな。キミがもといた世界の話を聞く必要がありそうだ」

 乗りかかったリザードマンにトドメを刺してすぐ、メリアは別のリザードマンへと飛びかかり命を絶った。

 同じ少女とは思えない冷徹で事務的な戦いをしていた。

「話を聞いて!」

「手を止めれば死ぬとわからないのか! キミも今見たはずだ、自分を襲った刃のむごさを!」

 私は言葉を詰まらせた。

 道中他の生き物を殺してきたことは言うまでもなかった。でも、だからって死んでいいわけがない。生きていれば罪を償うことだってできるのに、その機会を奪うの?

 私が自問自答する間にもリザードマンは大量に死んでいく。

「油断は命取りなんだ! 理解してくれ!」

 時々こちらを振り向きながら、メリアは巨体の上を駆け巡っていく。何度もリザードマンを仕留めては戻ってくるが、その数にはキリがない。

 すると、メリアが戻ってきた。

「やむを得ない。広範囲攻撃で仕留めさせてもらうぞ」

「殺しちゃダメ!」

 なんとか手が届く距離になって、私はメリアの肩を掴んだ。

 彼女はこちらを振り向いて、哀しみを含んだ表情を私に見せた。

「すまない。今の私には、キミの要望に答える力がない」

 ——そこで私は気がついた。

 メリアに殺すことを止めるように言っていながら、肝心の私には闘う力すらない。力も持たないくせに命令ばかりして、これじゃ何も変わるはずがない。当たり前のことなのにどうして気づけなかったのだろう。

 私は愚かだった。

「しゃがめ、全力で魔力を放出させてもらう。『稲妻の波・最大出力エクレール・ヴァーグ・フルパワー!』」

 身動きの取れない私の頭を無理やり下げて、メリアはその言葉を宣言する。

 瞬間、凄まじい電流がリザードマンを飲み込まんとして勢いよく迫っていく。目には追えぬはずの速度だった。


 

 もはや追うことは諦めていた。力がない私が彼女にどうこう言う権利などなかったのだから。

 ……しかし、私は見てしまった。

 リザードマンの群れの奥に、茂みに隠れる女の子の姿があったことを。

 夢の中の少女を救いたくてメリアに協力することを決意した。それなのに、今の私は? 手を伸ばせば届くかもしれない少女を前にして、ただ跪いて狼狽えることしかできないの?

「違う!」

 メリアの魔法発動とほぼ同時、私は叫んでいた。

 夢の中の少女を救うなら、次元の違う強さの魔王を倒すならば、こんなところで項垂れる暇がどこにある。

 メリアだって悩み続けてここにいるはずだ。私だけ座っているなんて許されない。

 そうだ、立ち上がれ。

「うああアァァァァァ」

 喉の奥から私のものと思えぬ声が飛び出してくる。

 次の瞬間、体中を真っ黒な粒子が包んでいた。私の体は勢いよく宙を舞い、メリアの放った魔法さえ飲み込んで黒い粒子と一体化し始めた。

 気がついた時には、私の体はそこになかった。

 全身が黒い鱗に覆われている。リザードマンを見下ろす高さに私はいた。

「黒い……ドラゴンだと?」

 メリアの言葉が微かに耳へと入ってくる。

 私は龍になっていた。

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