第2話 帰還 〜その①〜

 化け物が潜んでいた雲を抜けることができた飛空艇はそのまま進路を北東へと進めていき、やがて大陸に上陸してもその翼を休めることなく前進を続けていく。


 そんな飛空艇の足元に広がっているのは、どこまでも黒々としている大地だった。

 そこにはかつてこの星に存在していた緑豊かな草木もなければ、動物たちはおろか、種族の中で最も繁栄していたはずの人間たちの姿でさえ見当たらない。


 見えるのはただ、異形の姿をした植物類だけだ。

 本来ならばこの星に存在するはずのない異界の植物たちが、まるで樹海のごとく地上のほとんどを侵食しているのだ。


 一歩足を踏み入れればそんなおぞましい植物か、はたまたそこに棲みつく凶悪な魔物たちの餌食になってしまうような荒れ果てた大地の真上を、飛空艇は悠然とした姿で進んでいく。

 長い旅路と任務を終えた彼女たちが目指しているのはもちろん……


「おっしゃーッ! やーっと帰ってこれたぞ!」


 コロニーのデッキに飛空艇が到着するや否や、開放感をたっぷりと感じさせる声を上げたリリックが甲板から飛び降りる。スタンと華麗に鉄板の上に着地した彼女は、そのままぐるりとドーム状の大きなデッキ内を見渡した。


「やっぱ自分の家が一番だな! ここならバカ亀だって追ってこれねーし」


ついさっきの出来事を笑い話しにするかのように、声高らかにそんな言葉を口にするリリック。


 ここは標高七千メートルを優に超える山々が連なる山脈地帯。

 かつてヒマラヤ山脈と呼ばれたこの地帯は、世界に僅かに残る生存圏の一つとして大小合わせて様々なコロニーが存在している。 

 そしてそんな数あるコロニーの中でも、彼女たちが属するコロニーは最強の飛空艇『メビウス』を有することで一目置かれていた。


「ひゃー、今回ばっかりはほんとに死ぬかと思った」


飛空挺の搭乗口が開くと同時に、そんな疲れ切った声を漏らして階段を降りてくる少女の姿が一人。

 金色にも近いショートカットの髪を揺らし、若さゆえだろうか、リュックを背負う彼女の姿はその瑞々しい肌を惜しみなく晒すような軽装だ。

 そしてそんな彼女の頭にもリリックと同じように狐の獣耳が生えている。


「けっ、なーにが死ぬかと思っただよコルン。テメェは大亀と戦ってねーだろ」

「無茶言わないでよ。あんな化け物相手に生身で戦えるわけないじゃん!」


 デッキに足を下ろすや否や仲間から嫌味を言われてしまい、コルンがむっと頬を膨らませる。それに合わせて短パンのお尻の部分から生えている尻尾がふるりと揺れた。


「それに狐族の私は高いところが苦手なんだから甲板なんかで戦えないよ」

「べつに狐族は関係ないだろ。ってかお前、高いところが苦手なくせになんでメビウスの団員やってんだよ」


 飛空艇の団員としてはあるまじき言葉を何故か胸を張って堂々と口にしてくるコルンに、思わずリリックが呆れた表情で言葉を返す。するとそんな二人の耳に今度はやたらと元気いっぱいな幼女の声が届く。


「こらーっ! リリックもコルンもケンカはしちゃいけません!」


搭乗口からまたも現れた女性に抱き抱えられている幼女が、可愛らしい瞳をきゅっと細めて二人のことを睨みつけていた。少し癖っ毛のある銀色の髪に、ぴょこんとその頭から生えているのは小さく白い馬耳だ。


「せっかくみんなで帰ってこれたんだから仲良くしないとダメだよ!」

「ふふ、そうだね。ユーニの言う通り二人とも仲良くしなきゃダメだよ」


 ユーニと呼ばれた幼い少女の発言に、彼女を抱き抱える女性がクスリと微笑みながら言葉を添える。

 艶のある黒髪を腰上あたりまで伸ばし、同じ色をした瞳には親しみやすさと優しさが滲み出ていた。

 いかにも面倒見が良いお姉さんという言葉がピッタリと似合う風貌だが、そんな彼女もリリックたちと同じくメビウス飛空艇団の一員。くびれが美しい腰の左右には、敵の身体に風穴を空けるためのハンドガンが装備されている。ちなみに彼女はこの飛空挺団の中では珍しく、唯一の人間である。


「けっ、どうせテメェらもアタイが大亀と戦ってる時はどっかに隠れてたんだろ。ユーニにシズク」

「違うもん! ユーニはリリックがガメラと戦ってるときずっと応援してたもんっ」

「へぇ、よくそんな大昔に流行ったキャラクター知ってるね」


 リリックからの文句もなんのその。ユーニとシズクは相変わらずマイペースに会話を続ける。この世界では炎豪として一目置かれ恐れられている相手だとはいえ、彼女たちにとっては常に行動を共にする仲間であり気の知れた家族といっても同然なのだ。


いつものように四人であーだこーだとたわいもない会話を続けていると、搭乗口から最後の団員が姿を現す。


「相変わらずあなたは無能無策が尽きないわねリリック」


 冷静かつ透き通るような声音で、そんな手厳しい言葉が彼女たちの耳に届いた。その瞬間リリックが「あぁ?」とあからさまに不機嫌な顔をして声の主を睨み上げる。


「アタイのおかけで予定よりも早く帰ってこれたじゃねーか」

 

 リリックが刺々しい声でそんな言葉を向ける先、優然とした態度で階段を降りてきたのは雪のような純白の長髪を靡かせる女性だった。

 白く滑らかな肌とルビーのような紅い瞳、そしてどこか着物にも似た白色の服装も合わさってその姿はまるでおとぎ話しの世界から抜け出してきたかのようだ。


 そんな幻想的な雰囲気を纏い、リリックたちと同じく獣耳を持つ彼女こそがメビウス飛空艇団の副団長にして『鉄血の白兎』の異名を持つ兎族の獣人、アイリス・ミハールである。

 アイリスは静かにデッキに足を下ろすと、目の前にいるリリックを見て小さくため息を吐き出す。


「それは結果論の話しでしょ。だいたい今回の任務は地上に降りてコロニーの人たちの生活資源を調達すること。それなのにあんなところで大亀『ゲンブ』とやりあって、もしも飛空艇が破壊されたら元も子もなかったのよ」


 そうでしょ? とまるで子供にお説教をするかのように淡々と言葉を紡いでいくアイリス。

そんな彼女の発言に対して、リリックの頭の中でプチンと音が鳴る。


「るっせーな! その資源だってたんまり持って帰ってこれたんだから別にいいじゃねえかっ」

「はぁ……これだから頭の悪い虎は嫌なのよ」


「なんだと!」「何かしら?」ともはやメビウス飛空艇団にとっては日常のワンシーンとなっている二人の言い争いに、周りにいる団員たちはやれやれと呆れたように肩を落とす。するとアイリスといがみ合っていたリリックがその怒りを今度は別の人物へと向けた。


「ってかそもそもなんで今回の任務に団長はいなかったんだよ。団長がいれば幻影雲に突っ込もうが問題なかっただろ!」

「有給よ」


 端的かつ即答で返ってきたアイリスの言葉に、思わず「……はい?」と虚を衝かれたような表情を浮かべてしまうリリック。

 するとそんな彼女の反応に呆れたのか、それとも自由気ままな自分の上司に呆れているのか、アイリスが小さく息を吐きだした。


「だからあの人は有給休暇中なのよ。ちなみに大好物の鯨を釣り上げるまでは戻るつもりはないらしいわ」

「らしいわって……じゃあこれからの任務はどうすんだよ?」


 怪訝そうな顔で最もなことを質問するリリックに、副団長は迷うことなく当たり前な答えを返す。


「どうするもこうするも、しばらくは団長抜きで任務をこなす事になるでしょうね」

「でもでも、団長抜きでまた王魔獣みたいな怪物に襲われた時はどーすんのさ?」


 アイリスの告げた今後の予定に、今度は隣からコルンが不安げな表情で尋ねた。

 いくら数ある飛空艇団の中でも最強と謳われるメビウス飛空艇団とはいえど、あんな化け物とまともにやり合えるのは今のメンバーだとリリックとアイリスぐらいである。

 同じようにユーニとシズクも不安げな表情を浮かべていることに気づいたアイリスは、先ほどとは違いにこりと微笑み優しい口調で答える。


「大丈夫よ。そんな無謀な戦いが起こらないように馬鹿な行動を取る団員は甲板に縛り付けておくから」

「おいテメェ、それ誰のこと言ってんだ?」


 口を開けばすぐに責め立ててくる相手に対して、リリックが虎のごとく噛み付かんばかりの勢いで突っ込みを返す。

 するとそんな彼女たちの賑やかな空気に惹きつけられてくるかのように、今度はコロニーに住む住人たちが続々と集まってきた。

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