第六話 天狗の座

 二人は〝うるか山〟に寄り添う隣の山の尾根伝いに岩だらけの斜面を駆け上がっていた。高く昇った太陽が澄んだ空気の中で明るく輝いている。

 川葉は大岩をひとっ飛びで越えると、背後を振り返った。すぐに白香の足音がして、すぐ隣に彼女が膝を突く。念のために用意しておいた蔦の縄は結局必要ないようだった。川葉は微笑んで彼女の肩に手を置いた。

「少し休もうか」


***


 川葉は尾根の向こうに聳え立つ〝うるか山〟の頂を指さした。青い空を背景に微かに霞がかっているが、よく見える。

「あれが見えるか?」山頂に鎮座する四角い大岩──。「〝天狗の座〟だ」

「あそこに、天狗が……」

 白香は拳を握り締める。それを見逃さなかった川葉は彼女の肩を掴んだ。

「心を穏やかにしろ」

「分かってる」

「いいや、分かってない。心に任せていたら殺されてしまうんだぞ」

 白香は川葉を突き飛ばした。

「自分の命が惜しいとでも?! 私は兄を失った! 住む場所も追われた! 何もないんだよ!」

 川葉は短く返した。

「俺がいる」

 自分よりも真っ直ぐな眼に、白香は思わず顔を背ける。川葉は静かに先を続けた。

「天狗の名前は鹿声かせい。なぜあそこにいるのか分かるか?」

 白香は首を振った。川葉は〝天狗の座〟を指さした。何か細い物が突き立っているのが辛うじて見て取れる。

「鹿声はあれを守ってる」

「何を守ってるの? そしてなぜ?」

 白香は目を細めて〝天狗の座〟を見つめた。

「あそこに突き立っているのは、つるぎだ。伝説がある。天狗を斬り伏せた、と」

「それを取られないように守ってる?」

 川葉はうなずく。

「もし鹿声を倒せるなら、あの剣を使うしか俺たちに道はない」

 それは二人にとって雲を掴むようなことだ。そして、それだけが希望だった。

「本当にあの剣で天狗を倒せるの?」

「伝説によれば、そうなる」

 白香の身体が打ち震える。恐怖ではなかった。武者震いだ。

「なら、私はそれに賭けるだけ」

 川葉は彼女の放つ闘志に気圧され、思わずうなずいた。

「日が高いうちに行こう」

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