第31話 唯一という存在

 大勢の人々に見守られるなか、王太子ノアール殿下との婚姻の書類に名を記した。それからかわいらしく着飾ったシエラを抱き、ノアール殿下の隣で殿下の言葉を聞いた。王太子としての決意だけでなく、僕やシエラへの感謝も含まれた言葉には胸が熱くなった。最前列にいたアールエッティ王国からの使者たちが大泣きしていたのが印象深い。

 大勢の人たちの視線には多少たじろく場面もあったが、大きな失敗はなかったと思う。招待客たちの間を歩いているときに「あれが男のΩか」というような言葉が聞こえたものの、それ以上の言葉を投げつけられることもなかった。代わりに最後までじろじろ見られた気がするが、それだけ男のΩが珍しいということだったのだろう。

 何はともあれ結婚式を無事に終えることができた。シエラのお披露目もできたし、僕は晴れて王太子妃候補から正式な王太子妃となった。それで何かが大きく変わったりはしていないが、式が終わった夜は「よし」と拳を握りしめて気合いを入れ直したりもした。


「式も終わったし、画材工房も稼働し始めたし、僕も本格的に絵を再開するかな」


 完成間近だったリュネイル様の肖像画を仕上げたのは、つい先日だ。それを持って久しぶりにリュネイル様に会ってきた。結婚式の前にシエラと一緒に会いに行ったときもだったが、絵を持っていったときもたくさんの子供服を頂戴してしまった。

 同じくらい王妃からも子供服を頂戴している。しかもシエラの顔を見せに行くたびに頂戴するものだから一体何人分かという量で、ノアール殿下と思わず顔を見合わせてしまったくらいだ。


「王妃にとってはもちろんのこと、リュネイル様にとってもシエラは孫のような感じってことか」


 リュネイル様からはまたシエラと遊びに来てほしいと言われた。シエラもリュネイル様が好きなようだから、近いうちに一緒に遊びに行くことにしよう。


「リュネイル様の美しさは赤ん坊にもわかるのかな」


 乳母相手にもぐずることの多いシエラだが、リュネイル様のそばにいるときは一切泣かない。それどころかにぱぁと笑い、いつまでもキャッキャッとご機嫌だった。

 そんなシエラが、完成したリュネイル様の肖像画を見たときにキャッキャと笑って手を叩いてくれた。それだけ実物そっくりのリュネイル様を描けたということで、画家としてこれほどうれしいことはない。


「やはりキラキラが足りなかったんだろうなぁ」


 ずっと何かが足りないと思い完成させられなかったが、足りなかったのはキラキラした溢れんばかりの生命力だったに違いない。

 僕はシエラを生むときに見たキラキラしたものを思い浮かべつつ、リュネイル様の肖像画と向き合った。あのキラキラした感覚を何とか絵に描けないか試行錯誤した。ただの光の反射ではない、内面からにじみ出るような美しさを描くのだと奮起した。

 そうして目や頬、唇に手を加えた完成品は自分で見てもすばらしい出来で、リュネイル様も大層喜んでくれた。今回のことは今後の僕の画家人生にとっても大きな出来事になるだろう。


「さて、今日は工房で作った絵の具の状態を確認することにするか」


 色合いや溶き油との混ざり具合、それに匂いも確認しておきたい。下絵が終わったキャンバスの中からケーキ皿ほどの大きさの花の絵を選び、「さぁ塗るぞ」と絵筆を取ったときだった。


「その前に昼食だ」

「殿下」


 声に驚いて振り返ると、部屋に入ってきた殿下の後ろに昼食を載せたワゴンを押す侍女たちがいる。


(しまった、また時間を忘れていた)


 あれこれ忙しくしているからか、たまに昼食の時間を忘れそうになる。いや、実際何度か忘れてしまい、シエラの授乳で思い出したくらいだ。

 そんな僕を心配したノアール殿下は、毎日必ず僕の部屋で昼食を取るようになった。王太子としてますます忙しくなった殿下を煩わせてはいけないと思っているのに、昼食だけは一緒に取るのだと言って譲らない。

 だからこそ時間には気をつけようと思っていたのに、また時計を見るのを忘れてしまった。


「わたしと一緒に取ることにしておいてよかっただろう?」

「あー……申し訳ありません」

「謝る必要はない。わたしがランシュと一緒に食べたいのだ」


 内容は気恥ずかしくなるものなのに、殿下の表情は少し暗い。いや、暗いというより機嫌がよくないときの顔をしている。


(せっかく一緒に過ごせる時間だというのに、僕がすぐに忘れてしまうからだろうなぁ)


 殿下は王太子としての執務が増え、僕はシエラの世話や画材工房、それに依頼された絵の制作があるため顔を合わせる時間が随分減ってしまった。本来なら王太子妃の仕事で殿下と一緒に執務をこなす時間が増えるはずなのに、そちらのほうは必要最低限のことしか任せてもらえない。

 そのことに僕は少しばかり不満を抱いていた。たしかに王太子妃としての教育は受けていないが、僕だって元は一国の王太子だ。説明を受ければちゃんと役目も果たせるだろうし、少しでも殿下の助けになりたいと思っている。

 それなのに王太子妃の仕事がほとんどないのは、殿下がそう指示を出しているからだ。とくに隣国の外交団との会食に僕が出席するのを嫌がり、親善のためにやって来た使節団に挨拶することすら控えるように言われてしまった。

 僕だって王太子時代にはそれなりに諸外国の王侯貴族と接してきたから、作法や会話には慣れている。それなのに頑なに駄目だと言うのは僕を信頼していない証拠じゃないのか、なんて勘繰りたくなっても仕方がないだろう。


(理由を聞いても言いたがらないしなぁ)


 口をつぐみ視線を逸らす殿下を思い出すと無性に腹が立ってきた。せめて理由を言ってくれれば解決できるかもしれないのにと、口がへの字になりそうになる。

 そういう小さなことが積み重なっているからか、僕が気にしすぎているせいか、こうして顔を合わせて食事をしているのに話が弾むこともない。結婚式が終わってからはベッドを共にすることも減り、殿下が寝室に来るときも僕が先に眠ってしまうことがほとんどだった。


(こんなことではよくないよな)


 わかっているが、僕も忙しくしているせいか心に余裕が持てない。それにシエラの授乳で寝不足気味が重なり、些細なことで苛ついてしまうことが増えてきた。


(これじゃあ駄目だ)


 王太子妃としてもだが、シエラの親としても殿下の妃としてもよくない状況だ。もっと広い視野で周りを見るようにしなければと、王太子時代に言われていたことを思い出す。


(まぁ、それが一番難しいというか……っていうか、今日のパンはやけに甘いな)


 ひと口囓ったパンは昨日と同じ種類だというのにやけに甘く感じる。もうひと口囓ってみるが、やはり甘い。


(……いや、これはパンの甘さじゃない)


 パンを飲み込んでから、殿下に悟られないように小さくくんと鼻を鳴らす。ほんのり香った独特の甘い香りは……これは僕のバニラの香りだ。もう一度嗅ぐと、今度は殿下の濃いミルクの香りが鼻をくすぐる。ほんのわずかだが二人の香りが混ざり合い、極上のミルクセーキのような香りがして体がじんわり熱くなった。


「もしかして……」

「ランシュ、体の調子がよくないのではないのか?」


 急に食べることをやめた僕を、向かいに座る殿下が少し眉を下げながら見ている。


「あぁいえ、何でもありませんから気にしないでください」


 しまった。「もしかして」という期待を悟られたくなくて素っ気ない返事をしてしまった。案の定、殿下はさらに無表情になっている。しくじったと思ったが、自分でもはっきりわからないことを殿下に話すわけにはいかない。


(これがそうだとして、五カ月というのはさすがに遅い気がする)


 これも僕が男のΩだからだろうか。それとも遅咲きが影響しているのだろうか。

 シエラが生まれて五カ月が経とうとしている。アフェクシィ殿に頼んで用意してもらったΩの解説本には、早ければ出産して半月後には発情すると書かれていた。ところがひと月経ってもふた月が過ぎても僕は発情しなかった。おまけにあれこれ勝手に忙しくしているせいで、妊娠中ですらしていた殿下との触れ合いもない。

 以前「発情していなくても抱きたいと思っている」と言ったくらいだから、殿下はベッドを共にしたいに違いない。そういう雰囲気を感じるときがあるが、疲労と気恥ずかしさから気づかない振りをしてしまった。


(でも、発情ならそんなことは関係なくなる)


 発情ならαとΩがベッドを共にするのは当然のことだ。男同士という気恥ずかしさや抵抗も消える。それに体だけでなく心から繋がれる発情なら、いまの僕たちの微妙なすれ違いも解消される気がした。


(そう思うと発情が待ち遠しくなるな……って、もしかして一年振りじゃないか?)


 最後に発情したのはシエラができたときだから、かれこれ一年ほど前の話になる。妊娠中に軽い触れ合いはしていたが、殿下のアレを入れるのは久しぶりだった。

 不意に最後の発情のことを思い出した。あのときは頭が痺れるほどの濃厚な香りに溺れるような感覚だった。実際、香りが強すぎて息ができなくなるときもあったし、それが苦しいのにたまらなく気持ちよかった気がする。それをまた感じられるということだ。


(……何だかお腹の奥が熱くなってきた気がする)


 これも発情が近づいている前兆なんだろうか。もし発情なら殿下も気づくはず。そう思って様子を伺ってみるものの普段と変わらないように見える。もしかして僕の勘違いかと思ったが、やはり体の奥がジクジクするのは発情前のような気がした。

 発情かどうか気になってしまい、食が進まなくなってきた。しかし食べなければますます殿下に心配をかけてしまう。パンを囓り、スープで流し込むようにしながら何とか食事を続けた。


(発情だといいな)


 そうしてまた殿下と一緒に発情を過ごしたい。昨日の夜までは発情を思い出すことすらなかったのに、いまはそのことばかりが頭を巡った。


 それから三日、僕の香りの強さはほとんど変化していない。シエラを出産したあともかすかに香ったままだったからか、殿下も気づいていないように見える。

 それでも僕には違うとわかった。僕はもうすぐ発情する。そのときはシエラのことも忘れて殿下のことしか考えられなくなるだろう。親としてどうなんだと思わなくもないが、それがαとΩだと本に書いてあった。後宮の侍女たちはそのことを十分にわかっているし、乳母やアフェクシィ殿もいるから問題ない。シエラはぐずるかもしれないが、あの子ならきっと大丈夫。


「早く発情が来ないかな」


 気がつけばそのことばかり考えていた。授乳中も発情が気になり、乳首への刺激にドキッとしてしまうほどだ。食事のときも入浴のときも、こうして絵を描いているときでさえ発情のことばかりが頭を埋めていく。


「早く殿下と発情を過ごしたい」


 発情は世界を僕と殿下だけにしてくれる。濃厚なミルクの香りとバニラの香りが混じり合い、その中で僕と殿下は交わり続ける。誰にも邪魔できないし邪魔させない。僕の香りは殿下を捕らえ続け、決して逃したりはしないからだ。


「僕のこの香りは殿下だけのものだ」


 殿下だけを呼び寄せる香りを目一杯放ち、僕だけのαをこの腕に捕らえる。僕が望む限り、殿下は僕に囚われ続ける。

 足元に何かがころんと転がった。床を見ると絵筆が落ちている。右手を見たら、持っていたはずの絵筆が消えていた。


「僕が落としたのか」


 おかしな話だが気がつかなかった。発情が近いせいか、こうしてぼんやりすることが増えてきたような気がする。絵を描くのはやめておいたほうがいいかと思いながら、筆を拾おうと立ち上がった。


「……何をしようとしてたんだっけ」


 何かをしようと思って立ち上がったはずなのに思い出せない。「ええと」と額に右手を当てたとき、ふわっとバニラの香りがした。


「そうだ、殿下の香りを集めないと」


 僕の香りが殿下の香りを集めろと言っている。殿下の香りをたくさん集めて、安心して発情できる場所を作らなくてはいけない。

 気がついたら寝室のクローゼットを開けていた。ふわりと漂っているのは大好きな濃いミルクの香りだ。くんと鼻を鳴らし、とくに濃く香るシャツや上着を何枚か手に取る。ズボンと夜着も手にしたところで、別の場所からふわりといいいい香りがすることに気がついた。


「あれか」


 ベッドの脇にタオルが置いてある。あれは今朝殿下が使ったもので、侍女が回収し忘れたのだろう。


「そうだ、昨日のシャツもある」


 今朝早くに目が覚めた僕は、本来なら回収されるはずの殿下のシャツを自分の枕の下に隠しておいた。枕をどけると皺が寄った殿下のシャツがある。昨日一日殿下が着ていたものだ。枕を床に落とし、代わりに自分の顔をシャツに押しつけた。

 すぅっと息を吸うと濃いミルクの香りが鼻一杯に広がった。クローゼットの中のシャツよりも濃厚な香りに唾液が溢れそうになる。


「ん……」


 シャツをかぷっと噛むと、口の中が香りでいっぱいになった。それだけでは満足できなくて、気がつけばシエラがお乳を飲むときのようにチュウチュウと吸っていた。


「駄目だ、全然足りない」


 もっと濃くで息が苦しくなるほどの香りがほしい。足の指から頭のてっぺんまでぐるぐる巻きにされるような、あの苦しいまでの香りがほしい。


「早く……早く、僕の香りに気づいて……」


 そうつぶやくと、僕の全身から目眩がするほど甘いバニラの香りが噴き出したような気がした。




「ランシュ、」


「待て」と言う前にうるさい口を自分の唇で塞ぐ。口づけだけでも濃い香りが体に入ってきて気持ちがいい。でも、全然足りない。これよりももっと濃密で苦しくなるほどの香りを僕は知っている。


「ランシュ」

「ぅるさい」


 僕はもう何も着ていない。すぐにでも殿下を受け入れられる状態だというのに、ついさっき寝室に現れた殿下はなぜかすぐに服を脱ごうとしなかった。

 それがたまらなく悲しかった。同時に腹が立ってどうしようもなかった。殿下は僕だけのαなのに、なぜ僕が求めるものをすぐに差し出そうとしないのか。こうして裸の僕をベッドの上に押さえつけるように覆い被さっているのに、邪魔な服を着たままだということに苛々してくる。


「少し落ち着け」

「ん……んぅ、」


 喉の奥に届きそうなほど舌を入れられて背中が震えた。シャツを掴んでいた指を解かれるのが嫌で頭を振ろうとしたが、舌を甘噛みされて動けなくなる。

 そのまま口の中をたくさん舐め回された。少し唇が離れても絡ませた舌が解けることはなく、貪り合うような口づけが続く。


「前回の発情もすごかったが、今回はさらにすごいな」


 唇が離れるのが嫌で手を伸ばしたら、指先をカリッと噛まれて首筋がぞわりとした。そのまま手のひらや手首、肘の内側や二の腕に口づけされる。そうして鎖骨のあたりを噛まれ、胸の近くにちゅうっと吸いつかれた。


「んっ」


 少し膨らんだからか、以前よりも敏感になったような気がする。

 そういえば、殿下はこの胸をじっと見るようになった。男の胸が膨らむなんて、やはり気持ち悪いと思っているのかもしれない。心配になり、そっと視線を下げる。

 少女のようにささやかに膨らんだ僕の胸と鎖骨の間に、殿下が触れるような口づけを落とした。そのまま唇で撫でるように肋骨に沿うように触れ、少しだけ肌から離れる。


「乳が出るからか、このあたりの香りも強くなったな」

「でん、か」


 鎖骨の近くをぺろりと舐められた。それほど強い刺激じゃないのに、触れられるだけでゾクゾクする。


「シエラが吸うのを密かに羨ましく思っていたが……」


 ちゅうっと肌を吸われた。


「んんっ」


 久しぶりの発情だというのに僕の体は何も忘れていないようで、急激に体が熱くなってきた。お腹の奥がじゅわりと熱を帯び、それが背中を伝ってうなじをも熱くする。


「殿下、はやく、」

「焦らなくていい。まだ発情は始まったばかりだ」

「はやく、いいから、早く僕の中に、」


 始まったばかりかもしれないが、僕の体は殿下がほしくて限界を迎えそうだった。お腹の奥がジクジク疼いて暴れ出しそうになる。発情で目覚めた僕のΩが、狂ってしまいそうなほど僕だけのαを求めていた。


「はや、く……っ」


 何度も訴えているのに、殿下は肌に吸いつくばかりで入れてくれない。まるで僕の声など聞こえていないかのように好き勝手に振る舞っている。

 そんな焦れったい刺激で僕が満足できると思っているのか。それに触れてほしいのはそこじゃない。体のもっと奥深くで殿下を感じたくて気が狂いそうになる。途端に濃厚なバニラの香りが広がり、頭の中でぐわっと熱が広がった。


「いい、加減に、しろ……っ」


 蹴り飛ばす勢いでのし掛かる殿下を押しのけた。なぜもっとたくさん触れてくれないのかと腹が立った。


「早くと、言ってるじゃないか……っ」


 早く中を満たしてもらわなければ頭がおかしくなってしまう。もっともっと強く求めろと叫びそうになる。

 いや、それだけで満足できるものか。僕だけのαなのだから、枯れるまで僕に注ぎ続けるべきだ。僕が満足するまで注ぎ続け、僕にαの胤を植えつけるのだ。

 その胤を僕は体の奥で抱きしめる。僕が選んだ僕だけのαの胤は、僕だけが実らせることができる。これは互いに唯一の存在である僕たち二人の間でしかできないことだ。


「あぁ、なんて濃く甘い香りなんだ」


 いつもとは違う、やや虚ろな殿下の声にゆっくりと殿下の顔を見た。

 膝立ちになった殿下がゆらりと近づいてくる。見据えるような眼差しの殿下がゆっくりと顔を近づけ、頬に口づけた。そのまま首筋や鎖骨口づけ、合間に祈りの言葉のように僕の名を呼び続ける。

 その声に、姿に、僕の心がゾクゾクと震えた。はやるように忙しくなる鼓動に思わず笑みがこぼれる。そうだ、僕だけのαなのだから僕だけを見ればいい。僕に囚われたまま僕の望みを早く叶えるんだ。


「僕の中に、さぁ、早く」

「ランシュ」


 うっとりとした声で僕の名を呼んだ殿下が、二の腕を力強く掴んだ。それだけで期待に胸も体も震える。そうして息が止まるほどの力で抱きしめられた。いや、拘束されているといったほうが正しいかもしれない。

 気がつけば意識が混濁するような発情に呑み込まれていた。互いの濃い香りで胸がいっぱいになる。

 しかし、まだだ。もっともっとほしい。濃くて甘いミルクの香りも足りない。僕をもっと溺れさせて、そうしてあふれ出てしまうくらいほしい。まだまだ続く交わりを想像して気持ちが昂ぶっていく。

 願ったとおり、僕と殿下はそのまま幾度となく交わり続けた。長い行為と気持ちよさでどんどん力が抜けていく。ベッドの上でくたりとしている僕を、それでも殿下は離さなかった。そうするように僕が望んでいるからだ。


「前回よりも、頭がぼんやりとして、まるで酩酊して、いる、みたいだ」

「んぅ」

「わたしの香りと、ランシュの香りが混じり合って、まるで濃厚なミルクセーキのような、ふっ、香りに、溺れている、気がする」

「ぁう!」


 殿下に耳を噛まれて悲鳴が漏れた。そのまま耳たぶを噛まれ、首筋を舐められ「はふ」と吐息のような声が漏れる。


「ここが、一番香りが濃いな」


 うなじに熱い息が触れた。ぞわりとした感覚に身震いすると、それを封じるように僕の体にのし掛かった殿下がうなじにガブッと噛みついた。


「ひぃっ!」


 ぞわっとしたのは一瞬で、すぐに強烈な快感が頭を突き抜けた。あまりに強すぎる感覚に、それが快感なのか恐怖なのかわからなくなる。剥き出しになった何かを直接噛まれるような感覚に、無我夢中でベッドを掻き乱した。


「ひ、ひっ、や、やめ、はなし、て……!」


 口からこぼれる声はほとんど悲鳴だった。殿下にも聞こえているはずなのに、鋭い歯は離れることなくますます肌に食い込んでいく。


「あぁ! あっ、ぁひ、ひっ、ひぅ!」


 恐怖と快感が入り混じり、体がブルブルと震えた。体のどこにも力が入らなかったのが嘘のように、いまは全身がカチコチになるほど力んでいる。そんな僕の体の中を信じられないくらいの快楽が走り抜けた。


「あぁっ、ぁあ! ぁ、あ、あぁ、あぁっ!」


 訳がわからなかった。うなじが熱くて焼けてしまいそうだ。気持ちいいのに怖くて気が狂いそうになる。

 そのくらい頭の中は大混乱だというのに、僕の体はこのまま噛まれ続けろと訴えた。訳がわからずブルブルと震えながら、まるで獣の獲物になったかのようにうなじを噛まれ続けた。


「あぁ……!」


 殿下の歯が肌を食い破ったような気がした。初めてうなじを噛まれたときよりも鋭い痛みと、それを上回る快感が駆け抜ける。頭が弾け飛んで体中から僕の香りが噴き出したような気さえした。


「まさか、Ωにここまで発情を促されるとはな。いや、これも互いが唯一の存在だからか。……あぁ、香りがますます強くなった。さぁ、またたっぷりとここに注いでやろう」


「ここに」と言いながらお腹を撫でられ、ぞくりとした。体の奥からじゅわりと香りが染み出し、もっと僕を味わえというようにねっとりと殿下に絡みつく。

 それはまるで無限に続く快楽の始まりのようだった。いや、発情とは本来そういうものなのだ。得も言われぬ多幸感を感じた僕は、微笑みながら「僕だけのα」とつぶやいた。


 こうして僕と殿下は、七日間もの間交わり続けた。三度目の吐精から何度もうなじを噛まれたせいか、発情が終わったときには初めて噛まれたとき以上の痕がついていた。僕自身は見えないが、周囲から「そんなに噛まれるほど激しい発情を……」と思われるのはさすがに恥ずかしい気がする。


「いっそ発情用の首飾りでも作るか」


 別に噛まれたくないわけではないが、あれは快感としてきつすぎる。殿下は「ランシュが激しく誘ったからだ」と言っていたが、そんな意識は僕にはない。ただ殿下と交わりたくて、早く入れてほしくてたまらなかっただけだ。


「って、それもどうかと思うが」


 僕はなんといやらしくなったんだろう。これもΩだからだろうか。そんなことを考えながらミルクセーキを飲む。

 発情が終わって半月と少しが経ったが、最近またミルクセーキが飲みたくてたまらなくなってきた。夏になり暑くなってきたから、いまは冷たいミルクセーキを作ってもらっている。シエラがお腹にいたときは温かいミルクセーキだったなと思うと、月日が経つのは早いものだ。


「さて、新しい画材の確認に行くか」


 最近、画材工房では小さな子どもでも扱える絵の具作りを進めている。アールエッティ王国にも子ども用の水溶き絵の具や色鉛筆はあるが、シエラができて初めて子ども用絵の具について真剣に考えるようになった。

 小さい子どもというのは、とにかく何でも口に入れたがる。それはシエラも同じで、僕が絵を描いている横で絵の具を口に入れようとしたときには心底焦った。


「シエラは成長が早すぎるんだ」


 生まれたときはあんなに小さかったのに、あっという間に大きくなった。これもαだからだろうか。まだ確定はしていないが、あの成長の早さはαに違いない。

 そんな急成長を遂げているシエラは、最近絵の具に多大な関心を寄せている。というより僕の真似をしたいのか、絵を描きたくてたまらないのだ。

 しかし、僕が使っている絵の具の中には口に入れると毒になるものがある。アールエッティ王国には子ども用の絵の具もあるが、あれでも赤ん坊には早すぎるだろう。では色鉛筆ならどうかと考えたが、細い芯が折れたときに飲み込まないか心配だった。

 そこで、万が一飲み込んでも大丈夫な子ども用の絵の具が作れないか職人たちに相談することにした。さすがに難しいかと思っていたが、アールエッティ王国から呼んだ職人たちは探求心が強いからかすぐに話に乗ってくれた。一緒に働いているビジュオール王国の職人たちも触発されたのか、いまでは工房あげて試作品作りに取りかかってくれている。

 そうして先日、何色か見本ができたと連絡が来た。今日はそれを見に行く予定だ。


「試作品をいくつかもらって、部屋で試し描きしてみるか」


 それなら殿下との昼食にも間に合う。そう思いながら、冷たいミルクセーキを一気に飲み干した。

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