序章①

推敲したものを再投稿しています。よろしくお願いします。

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 「——『精霊資源』。それはこの近代の世を語る上で決して欠かせぬ物です」


 簡素な木造の公演台に、隻腕の老人が立っていた。


 様々な機械が展示された博物館の大広間。厳かな空気感が満ちるその空間には、多くの一般客達が立ち並んでおり、壇上に立って講演を行う老人へと視線を注いでいる。


 「精霊——それはこの世の万物を構成する原子に干渉し、物理法則を無視して超自然的現象を引き起こす存在として知られています。精霊資源とはつまり、この精霊という形而上的けいじじょうてきエネルギーを膨大に内包した化石燃料の事なのです。皆様も一度は見たことがあるでしょう……これ・・がそうですね」


 老人は懐から青い燐光を漂わせる石炭を取り出し、そのまま頭上に掲げた。


 『モリア蒼銀』。その内に膨大な精霊を宿した石炭であり、同時に近代の世において最も普及している精霊資源である。


 「精霊は原則として『ルーン文字』を使用する事——より正確に言えば、ルーン文字を・・・・・・物理的に近づける事・・・・・・・・・で、その超常の力を発揮しますが……一般的には、精霊資源に直接ルーン文字を彫ったり、文字を書いた紙を近づけるなどの手法が有名ですね。

 勿論、他にも手法はありますが、大前提として、ルーン文字との物理的な距離に応じて精霊による現象は引き起こされ、また、その文字に付随した現象を精霊は引き起こします」


 ——「では、これら精霊資源は、どのような形で我々の生活に関わっているのでしょうか?」、と。


 老人がした問い掛けに、自然と一般客たちの視線は、公演台から少し離れた場所で稼働する物々しい機械に向けられる。


 「そうですね。今、皆様が自然と見た蒸気機関——このような機械達の動力源として、精霊資源は我々の日々の生活を支えてくれています。石炭1t分もの仕事を、たった1㎏でしてしまう精霊資源は、理想のエネルギー資源として、すぐに石炭や天然ガスなどの燃料資源に取って代わる事となったのです」


 その先にあったのは、シュウ、シュウ、ポウ、と。一定のリズムで蒸気を吐き出す小型の機械——四ストローク三段膨張機関エンジンの小型モデルだった。


 「この通称四ストエンジンは、未だ大掛かりの機械にしか搭載されていない最新技術ですが、いずれは生活の中でも見かける存在となるでしょう。この時代は、そのようなにわかには信じがたい発明史の移り変わりが、当たり前に見られる時代でございます」


 「……勿論、それは決していい事ばかりでありません」、と。老人は前置きし、話を続ける。


 「機械の登場にと精霊の様々な恩恵により、手工業者による手動・・から、機械による自動・・に変わる過程において、多くの産業が失われました……ですが、皆様もご存じの通り、その代償として我々が得たものは、失ったもの以上に大きいものでした」


 話を締め括るように語調が和らげられると、職員達が四ストローク三段膨張機関エンジンの小型モデルを停止させた。

 

 しん——、と。雑音の一切が無くなった大広間に、老人の声だけが響き渡る。


 「このキングス・ワポル機械博物館は失われた物を忘れない為に、また、その代わりに得た物の使い方を誤らない為に設立されました。

 未だ貧民層プロレタリアート富裕層ブルジョワジーの間に横たわる溝は深く、共に進むことは非常に難しい……ですが、いつの日か多くの人たちが平等に笑い合う日が来るのを信じ、私を始めとした職員一同、ここに保存された歴史の一端を後世にまで伝えて行く所存です」


 「……さて」と、一度言葉を区切り老人は話の終わりに入った。


 「少々長くなりましたが、以上でキングス・ワポル機械博物館の開館を記念した講演会を終了します。ご清聴ありがとうございました。あとは皆々様方ごゆるりと、ご自由に館内を見回り下さいませ」


 クイっ、と。丸眼鏡の位置を直した隻腕の老人。


 彼の堂に入った所作による一礼を合図に、乾いた拍手の音が静寂を破った。


 おおかた講演会をつまらなく感じていた者も多かったのだろう。老人が壇上から降りてすぐに雑踏と話し声が満ちて行き、あっとういう間に館内は、娯楽施設としての様相を見せ始める。


 しかし、子供連れの家族、学区の学生たち、年若い男女の連れ合いから、学者風の服を身にまとった中年まで——。客層がバラバラにも関わらず、一般客たちの表情は皆一様に、物珍しさから来る好奇の感情がそのまま溢れている。


 一目で満喫していると分かる館内の様相は、博物館としての威厳は保つことは出来ないかもしれないが、『いつの日か多くの人々が自らの肩書を忘れて笑い合う日が来るのを信じ——』という館設立の信念には即していると言える。


 きっと、この場所はこれからも多くの人の憩いの場として、平和な日常を切り取ったような光景がほのぼのと描かれて行くのだろう——。


 「——残念ながら、そんな甘えた日々は永遠に来ない」


 そんな時であった。


 怒りに打ち震えた言葉と共に、平和を撃ち殺す一発の銃声が響いたのは。


 「きゃぁぁぁぁぁ~~……!!」


 銃声でパニックになった女性が絹を裂くような叫び声を上げた。


 その悲鳴を皮切りにざわめき始める一般客たち。平和の様相を成していた光景が、一瞬にして暗澹あんたんとした混乱の坩堝るつぼに変貌した。


 「……博士、これは……」

 「……あぁ、機械打ち壊しラダイト運動だ。君たちは下手な真似はするな。まずは大人しく彼らの言う通りにするんだ……」

 「……わ、分かりました」


 恰幅の良い職員が不安そうな表情で老人へと駆け寄った。


 彼らの視線の先——館の入り口へ繋がる道から、殺意を湛えた目でピストルとスレッジハンマーを持つ数十人の男達が、ゾロゾロと歩いて来る。


 皆一様に貧民のボロい服装に身を包んでおり、ここにいる一般客たちとはかなり毛色の異なる空気感を身に纏っていた。


 その異様な姿を見て、ここにいる誰もが男達の正体にピンと来た。


 ——『機械打ち壊し運動』。


 ラダイト運動とも呼ばれ、機械を打ち壊す事を目的とする労働運動の総称である。おそらく男達は、その支持者だろう。


 蒸気機関の登場によって機械に仕事を奪われた手工業者が起こしたその運動の目的は一つ——この世から機械を完全に消し去り、人間の手によって産業品が生み出されていた時代を取り戻す事である。


 「『失われたものを忘れない為に』だと? ……そんな必要はない! 我々が忘れさせないからだ!」


 彼らのリーダーらしきハンチング帽の男が、恐怖心を煽るように芝居がかった身振りで叫ぶ。ダメ押しとばかりに、天井へ向けて銃弾を撃ち込んだ。


 パニック寸前の館内が恐怖のあまり沈黙すると、ハンチング帽の男は満足したように「……ふん、それでいい」と鼻を鳴らす。


 人質を一ヶ所に集める為だろう。


 取り囲むように迫って来る支持者達に怯えて、一般客達が講演台の前へと後退りして来る。いつの間にか出来上がった人間の檻の中央に立ち、ハンチング帽の男は「聞け!」と叫んだ。


 「——我々はキャプテンラッドを支持する有志の徒である! 卑しくも機械の栄光を広めるこのような悪徳の巣窟そうくつに、我等が指導者の威光を示す為に馳せ参じた! 怒りを知れ! 悔いるがいい! 近代文明に鉄槌を!」


 『近代文明に鉄槌をっ!』——と、言葉を反芻する支持者達。


 数人が一般客達を脅す為に残ると、残りの数十人が館内に展示された機械へと、スレッジハンマーを振り降ろす。


 一度、二度、三度、何度も降り降ろされるハンマー。


 ガキャンッ、ギャリィン……ッ! と、金属同士がぶつかり合う衝撃音と共に火花が散り、博物館に展示された機械が破壊されて行く。


 「種をまけっ、しかし地主の為でなく!」

 「富を築けっ、しかし馬鹿者の為でなく!」

 「衣服を織れっ、悪漢に着せる為でなく!」

 「武器を鍛えよっ、我々が我々である為に!」

 「そうだ! 打ち壊せ! 我々から仕事をっ、平和な生活をっ、人としての尊厳と誇りを奪った機械を打ち壊せっ! そして証明するのだ! 地主やブルジョワ共に! 我々は・・・本気で怒っている・・・・・・・・のだと・・・!」


 きっと彼らの掛け声なのだろう。まるで呪文のように同じ言葉を反芻しながら機械を破壊して行く常軌を逸した光景に一般客達は身を寄せ合いながら怯えるしかなかった。


 しかし、それが気に食わなかったのだろう。


 苛立ちで眉根を寄せたハンチング帽の男が、天井へ向かって銃撃する。


 「おいっ、眼を背けるな! 見ろ! しっかりとその眼に焼きつけろっ! お前たちのような金持ちや民衆が俺たちにやったことの意味を、骨の髄まで思い知れっ! そうでなければ、苦痛の帳尻が合わないだろうが……っ!!」


 歪んだ怒りを叫びながら、ハンチング帽の男は銃口を一般客達に向けた。


 まだ若干の理性を残している為か、その引金を後ろに引くような事は無いが、次の瞬間、誰かが血塗れになってその場に倒れていたとしてもしたる驚きはない状況である。


 「おいっ! 止めないかっ!」


 それを見て、もはや我慢し切れないといった風にと老人は声を上げた。


 「……博士っ、ダメです……!」と、自分を制止する職員の声さえ振り切って立ち上がった彼は、一般客達の盾になるように銃口の前に立ち塞がる。


 「どけっ、クソジジイ! 我々の大義を邪魔するな……っ!」

 「有産階級ブルジョワだけならまだしも……ここには関係のない一般人もいるっ。君たちの怒りはもっともかもしれないが……何一つ関係のない人間を巻き込む事のいったいどこにっ、大義があると言うんだ……!?」

 「黙れっ、関係のない人間などいない! この社会は民主主義だ! 民意によって形作られた社会では全員が共犯者だ……! 我々を悪とののしり、ゴミとさげすんで来た民意の側に立つ貴様のような奴がっ、我々の大義を語るな!」

 「……っ」


 必死の説得も虚しく、興奮した様子でハンチング帽の男は銃の撃鉄を下ろす。


 次の瞬間に撃ち抜かれている自分を想像したのか、老人は恐怖で眼を見開いた。しかし、ギリリと歯を食い縛って再び勇敢に口を開く。


 「落ち着けっ……君たちがやっているのはただの復讐じゃないか……っ!? そんな事をしても何も変わらないぞ……君たちが生きた時代はもう戻ってこない……! ここで踏み止まれっ、踏み止まるべきだ……!」

 「っ~~~! 黙れぇぇ……っ!!?」

 「……がっ、ぁっ……!」


 上から目線の正論ほど鬱陶しいものは無い。それが図星であったのならば尚更なおさらだ。だからこそ、老人の言葉が余程に響いたのだろう——、怒りに身を任せて引金を引き絞った銃口から、耳をつんざく銃撃音が響いた。


 銃弾は老人の左肩に直撃。短い悲鳴と共に片膝を着いた彼は、ダラダラと溢れて来た流血を止める為に傷口を押さえる。


 だが、ハンチング帽の男が追撃の手を休めることは無かった。


 その瞳の奥に仄暗ほのぐらい苛立ちをたたえながら、老人の胸倉を掴み上げる。そのまま彼の額に銃口を突き付けると、引き金に指を掛けた。


 「思い知れっ、近代文明に迎合した豚共がぁ……!!」


 悲痛な叫び声を上げた彼の目に理性は無く、ただ激情に血走っている。


 もう駄目だ、間に合わない。誰しもがそう確信した、次の瞬間——。


 「——お年寄りを大事にしないと、歳をとってから同じ目に遭うわよ。おじ様方?」

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