13.虎徹の悲願
うち広げられた紙が、巻物が――虎徹
の自室に散乱していた。
ゆうに30畳はある虎徹の私室は、いまや足の踏み場もなくなり、紙の束で埋め尽くされていた。
人間と違い一つの魂で四桁はゆうに生きる妖や神の記述は追いつく暇もなく増え、その数は森羅万象に並ぶとさえ考えられているその量を虎徹は全て調べあげようとしていた。
龍蒼が王座についていた時の、関連資料だけを集めて複写していただけの業務とは違い、別の角度で資料を分析し、まとめる事を余儀なくされるこの作業を虎徹は存外気に入っていた。
虎徹は、龍蒼が呪いを受けた際に、対抗しようとして使ったという梵字とマントラについて調べていた。特に過去にも同じように未完成だったり、失敗してしまった場合どのような効果が発動してしまったのかというごく稀な記録を目を皿のようにして探していた。
時折、未完成同士の梵字とマントラが混じり合ってしまった事による別の効果を発揮した事例や、新たな呪いと言った気になる物は脇によけて一箇所にまとめておく。
後でこちらも議論材料として龍蒼に見てもらいたかった。
実験が大好きな男――奏雷や小さくなったとはいえ、世界が創設された時からずっと生きている聖蘭と手が空いた家臣達と、「ああでもない」「こうでもない」と紙を囲んで一ヶ所に膝を詰めて話合うのは虎徹にとって悪い時間ではなかった。
意見が食い違って大いに揉める事もあるが、大抵それは時間と共に折り合いをつけて丸く収まる。
物も言わない紙と日がな向き合う事が主の次に多い虎徹にとって彼らとの語らいはいい気晴らしだった。
―――時よ止まれ。
人を真似た神頼みを唱えるのは、いつしか虎徹の癖となった。神をよく知る虎徹にとって何よりも皮肉の効いたしゃれだった。
神はひとつを助けない。
それは妖物や神にとって当たり前で、揺らぐ事のない事実だ。
魂のバランス引いては世界のバランスを守る為だけに生み出された神にとって、ひとつに手を差し伸べることは神を辞める事と同意である。
強きものの力がひとつに向く事で、天秤は一気に傾く。世界はそれ程繊細で出し難い物でできていた。
月が沈めば日が昇り、また月が登れば人になった聖蘭の寿命は1日短くなってしまう。
心臓を取り囲む呪いは、日を追うごとに広がって、聖蘭の上半身はほぼ呪いで埋まってしまっていた。
何かのきっかけで今にも腰を覆い尽くし始めそうな気味の悪い呪いは間違いなく主の命を糧に成長していた。
悪夢はなにもそれだけではない。
月日が経てばたっただけ、己の欲のために手を組む神の端くれに龍蒼は狙われる事が増えていた。
元の姿で龍蒼に敵うものはと問われれば、敵うものは居ないと胸を張って断言出来る虎徹も、なれば聖蘭であればと、聞かれて終えば口をつぐむほかない。
いくら
――創造が座しておられる龍蒼様以外を王とすることは起こり得ない。
それは、龍王に長く仕える家臣の秩序でもあった。
状況は日を追うごとに不利に傾いていく矢先に見つかった新しい解呪への手がかりは、虎徹にとっては一類の望みをかけた言うべき手がかりだった。
何百年ぶりか、いや何千年ぶりか。
日にちを数えるのもすっかり辞めて目蓋の裏に描いていた元の姿をした龍蒼は突如として虎徹の前に現れた。腕に娘を一人携えて。実際に動き、話す龍蒼は、記憶の龍蒼と比べものにならないくらい美しかった。
なんとしても、龍王の座に解呪された龍蒼を充てがい、よからぬ事を考える者共を諸共打ち捨ててやる。――虎徹は聖蘭が現れてから一度は諦めた野望をもう一度胸に抱いた。
――そう、全ては我が王の為に
昇り始めた山間を登る太陽を区切りに、昨夜の成果ともいえる出来上がった一本の巻物をくるくると巻いて虎徹はそれを袖にしまった。
もうすぐ起床した聖蘭が、牙狼を伴って現れるはずだ。
眠気の抜け切らない幼い主の顔を存分に見つめて、世話を焼かせて貰おうと虎徹は心を踊らせる。
美少女然とした可愛い顔からまろびでる、声変わりの終えていない声で囀るように優しく一言労って貰えたなら……
虎徹は緩やかな笑みを浮かべて、自室の襖を音もなく閉じた。
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