第4話 王女の想い、騎士の想い
その夜、王宮の牢番たちは、暇を持て余していた。
牢にはいっているのは、紅い甲冑を着た女一人だけであったし、その女も別段暴れるだの出せと叫ぶでもなく、先ほど薄い豆のスープと黒パンの夕食を大人しく食べ、静かにしているだけだったからだ。
しかしそんな緩んだ空気の中、牢番たちが白いドレスの女の人影を認めるや、一斉に起立し、緊張した面持ちでその女性を出迎えた。
「これはこれは王女様、こんな夜更けに牢におこしとは何事でしょうか」
王女は微笑み、お勤めごくろうさま、と言ってから、牢番長に言った。
「牢の女を釈放することにしました。鍵を貸してくれませんか?」
「釈放ですか。それでは王女様お手ずからなされずとも、我々にお任せ下さればよろしいのに」
しかし白の王女は首を横に振った。
「いえ、その前に彼女にたずねたいことがあるのです。それは国の秘密に関することですから、あなたたちは控えの部屋に戻っておいてちょうだい。そして、私がいいと言うまでは、決して牢に戻って来てはいけませんよ」
牢番たちは王女の武芸の腕前を知っていたので、危険はなかろうと素直に鍵を渡し、牢の女の釈放は王女に任せた。
紅の騎士は食事も終わり、ぼんやりと座り込んで牢の窓から見える夜空を見上げていた。
すると足音が聞こえた。
誰かと思えば、それは自分を牢に入れた白の王女であった。
しかし、牢の外から済まなさそうな顔をしてなかを覗きこんだ王女は、驚いたことに自ら鍵を開け、牢の中に入ってきたのだ。
紅の騎士は牢に入れられたのも初めてだったし、牢がどういうものかも知らなかったので、特に疑問に思うこともなく、王女を迎え入れた。
「どうかなさいましたか」
すると王女は自ら頭をたれて紅の騎士に謝罪した。
「私としたことが、あなたの記憶がないと知りながら、無体な命を下してしまいました。二度とこのようなことは致しませんから、どうぞ許してください」
すると紅の騎士はにっこりと笑った。
「許すも何も、私は騎士と言うものは、この牢という場所で寝泊まりするものだと思っていたのです。しかしそうではないのですね? ひとつ勉強になりました」
すると王女は、くすくすと笑い出した。
「あなたは、本当に何も知らないのですね。それではこれから、ゼロから色んなことを教えて行かねばなりませんわね」
すると騎士はまた笑みを浮かべてこう答えた。
「いえ、ゼロからではありません。私は王女様にすでにひとつ、教わっています」
「あら、それは何?」
紅の騎士は胸を張って、自慢げに答えた。
「王女様の唇というのは、柔らかく甘い香りがして、そのうえ何か懐かしい感じがするものだということです」
すると、王女は頬を赤らめ、何を言うのですか、と恥じらった。
しかし騎士はその王女の姿を見て、不思議そうな顔でにたずねた。
「ひとつ、教えていただきたいことがあります。
私は先ほど牢番から、王女様は白の王女と呼ばれているのだと聞きました。
私が何故そう呼ばれるのだとたずねると、牢番は、肌の色が透き通るように白く、また白いドレスがお似合いになるから、人は皆、王女様をそう呼ぶのだと答えました」
王女は怪訝な顔をしてたずねた。
「確かに皆は私をそう呼んでいますが、何かおかしいですか?」
「ええ」
王女はどうして? と首を傾げた。
「だって、先に口づけというものをしたときも、それに今も、王女様は頬を朱に染められたではないですか。朱は白ではありません。ならば民人たちは、王女様のそのようなお姿を見たことがないのかと思いまして」
「あ、あれはあなたがいけないのですっ! あんなことをされれば、頬が赤くなるのも当然ですわ!」
すると紅の騎士はしょげかえってしまった。
「やはり私がいけなかったのですね。では、以後決してあのようなことはしないと誓います」
「いえ、違うの。ああ、嫌だわ。何も知らないあなたを責めまいと、こうして謝りに来たというのに……」
同じようにしょんぼりとした王女だったが、しかし逆に顔を輝かせたのは紅の騎士だった。
「では、あれでおしまいではないのですね?」
「どういうこと?」
「ですから、その……」
今度は、紅の騎士が頬を赤らめた。
「実は、王女様とのあの口づけというものがとても心地よく、もう一度してみたいと思っていたのです」
王女はまた頬を染めたが、しかし紅の騎士の様子を見て、いたずらっぽい笑みを浮かべて言った。
「あら、あなたの頬も赤くなっているわよ」
「ほんとうですか?」
「ほんとうよ。ほら、こんなに熱くなってるじゃない」
王女が両手のひらで、紅の騎士のほほをはさんだ。
騎士の頬はますます赤くなり、そして王女の頬もまた、ピンク色に染まった。
そして二人は、二度目の口づけをした。
唇が離れると、白の王女は紅の騎士の胸に飛び込んだ。
「どうされたのです?」
「私もあなたから懐かしさを感じたわ。お願い、少しでいいから、私の肩を抱いてくださらない?」
「こ、こうでしょうか?」
紅の騎士に抱きすくめられた白の王女は、身体の重みを騎士に預けて、安心しきった表情でこう言った。
「不思議だわ。こうしてあなたに抱かれていると、父さまを思い出すわ」
「病に伏せられている国王様を、ですか?」
すると白の王女は首を小さく横に振った。
「いえ、実の父親をです」
「実の?」
「子供が出来なかった国王陛下ご夫妻は、年の離れた弟である騎士団長の娘だった私を、次の女王にするべく養女にしたのです。ですから私は、育ての親が国王陛下ご夫妻。そして実の親が、騎士団長夫妻なのです」
「騎士団長……」
紅の騎士は、何かを思い出しそうになったが、そこには深く、底知れない哀しみが横たわっていて、ただぼんやりと哀しみの中にある優しさが、ほんのりと香ってくるように思えただけだった。
「騎士団長様とは、どんなお方だったのですか?」
「とても厳しく、しかし優しい父でした。父は女にも身を守るすべは必要だと、幼い私に武芸を教えてくれました」
「王女様の剣の腕前は、お父様の教えによるものだったのですね」
「ええ、稽古はとても厳しかったけれど、稽古が終われば疲れ果てた私を抱きかかえ、おいしい夕食が待っている家へと連れて帰ってくれたわ」
王女はそこで顔をあげて、紅の騎士を見上げた。
「でも不思議ね。あなたは私と変わらないくらいの背丈で、しかも女性であるのに、体格が良くて偉丈夫だった父に抱かれているのと、同じような感じがするだなんて」
「私も不思議です。なぜ出会ったばかりの王女様を、懐かしいと感じられるんだろうって」
紅の騎士は、白の王女をじっと見つめた。
白の王女も、騎士を見つめ返した。
「もしかすると、父上が私たちと引き会わせてくれたんじゃないかとさえ思うわ」
「そうかもしれませんね」
「……じゃあ、試してみましょう」
白の王女が、紅の騎士に三度目の口づけをした。
紅の騎士は、口づけが終わると白の王女に言った。
「またひとつ、わかったことがあります」
「何がわかったの?」
「……口づけと言うものは、王女様とだけしたいものだということが」
すると白の王女は優しく紅の騎士の頬をなでた。
「私と口づけをすると、どんな風になるの?」
紅の騎士は、両の掌で心の臓あたりを抑えた。
「胸の奥がキリキリと痛むような、けれども決して不快ではなく、優しく、切なく、涙がこぼれそうな想いがします」
白の王女は微笑み告げた。
「じゃあ、教えてあげる」
「何をですか?」
「今、私とあなたの心の中にあるもの」
紅の騎士はわからず、なんなのでしょう、と尋ねた。
白の王女は、じっと紅の騎士の瞳を見ながら答えた。
「これが、恋よ」
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