第3話 臣下の礼

 白の王女の周りの侍女たちは、そのあまりに猛々しい騎士の気迫に圧されて、知らず一歩、二歩と後ずさった。

 しかし、王女はむしろ嬉し気に微笑んだ。


「それは心強いことを。しかしあなたは、あの竜の恐ろしさを知らないからそんなことが言えるのです。まったく、無知とは恐ろしいものですわね」


「……では姫君は、ドラゴンの恐ろしさを知っていると?」


「この国の誰よりもそれを知っています。なぜなら父君が病に倒れてから、兵を率いてドラゴンからこの国を守り続けたのは、わたくしだからです」


「ほう、姫君が兵を」


 紅の騎士がそう言った瞬間だった。

 騎士は王女がさやを持つ剣のつかを、いましめられたままの両手で取るや、身体を回転させて剣を抜き、そのままの勢いで王女の首元めがけて刃をふるったのだ。


「……あら、剣なら少しはお出来になるようね」


 白の王女は首元すぐ近くにある剣の刃を気にもせず、平然と紅の騎士に言った。

 紅の騎士も、片方の口端をあげて答えた。


「そちらもなかなかの腕前と見受けました。まるで、私が斬らぬことを見抜いていたかのよう」


 衛兵長と衛兵たちは、紅の騎士の狼藉ろうぜきを見ていきりたったが、しかし王女の首元が危うい今の状況では、何も出来ない。

 しかし王女は衛兵長たちの心配をよそに、首元を刃にさらしたまま騎士との会話を続けた。


、とは言ってくれますわね。どういうことか説明してくださるかしら?」

「剣筋など見えてはおらず、ただ棒立ちになっていただけ、ということもありうるかと」

「あら、面白い空想ね」


 白の王女はそう言うや、手に持った剣のさやで紅の騎士の剣をはじき、逆にさやの先で騎士の左の眼玉に向かって突きを放った。

 騎士は素早く剣を持ち替え、つかで王女の一撃を防ぐと、いましめられたままの両手で剣をふるい、王女に二撃目を加えた。

 しかし王女は、今度は騎士が本気で斬りに来たことを悟り、すんでのところで剣をかわすや、剣のさやで騎士の足を払いに行った。

 だが紅の騎士は跳んで逃げ、今度は近距離で王女と剣とさやを合わせる。


 騎士は両手にいましめを。

 王女は剣ではなくさやしか持たない。


 双方が不自由を抱えながらも、剣戟けんげき戦は続いた。

 二人の女性とは思われぬほどの速さと力強さをもつ戦いの前に、衛兵たちは止めに入ることすらできず、この見事な戦いを見守るしかなかった。


 そしてもう幾合いくごう、剣とさやをあわせただろうか。

 紅の騎士が大きく後ろへ飛び、双方が間合いの外に立った状態で白の王女に言った。


「姫君。あなた様は剣を持ち、ドラゴンと対峙たいじしたことがおありですか?」

「……ないわ」

「これほどの腕を持ちながら、なにゆえにですか?」

「……国王陛下が病に倒れたからよ。私は将を任された。それゆえ前線に立つことはできず、兵たちが竜に倒されるのを、高見から歯噛みして見ていることしかできなかったわ……」

「もし姫君が、ドラゴンと戦えば、勝てるでしょうか?」


 王女は柳眉りゅうびをさかだて怒った。


「負けようものですか! かならずやかの暴竜を仕留めてみせる!」

「では、私が戦えば、どうなりましょうか?」


 王女はぷいと横を向いて、少し悔し気に言った。


「……少なくとも、よい勝負は出来るでしょう。私とこれだけ剣を合わせることが出来たのは、あなたが初めてですから」


 すると、紅の騎士は立ったまま王女に告げた。


「私は一対一ならドラゴンを倒せるでしょう。しかし問題はドラゴンの手下の魔物どもです。竜めはかつてと違い、人間のように魔物を兵として用い、陣を作り、我が身を守りつつ戦うようになったと聞き及んでおります」


 紅の騎士の言う通りだった。

 ドラゴンは騎士団長が兵法を用いてドラゴンを囲み攻め立て、あと一歩のところまで追い込んだことを忘れてはいなかった。

 その手痛い思いを二度とせぬように、兵法には兵法をとばかりに、魔物を手下にして人間のように戦をさせるようになったのだ。


 紅の騎士は続けた。


「私をあなたの兵にしてください。魔王の手下どもをあなたの指揮により私から遠ざけ、無傷でドラゴンの元に行くことが出来れば、必ず討伐は成ります」


 侍女たちから、くすくすと笑い声があがった。

 なぜなら、紅の騎士は王女の臣下にしてくれと頼んだも同然であるのに、ひざまづきもせず、忠誠を誓う言葉もなかったからだ。

 しかし王女は苦笑しつつ、侍女たちをたしなめた。


「これ、笑ってはいけませんよ。この者は十日十夜の前のことは、何も知らないと言っているではないですか。臣下となる作法を知らないのも当たり前のこと」


 そして白の王女は紅の騎士の方へ向かって言った。


「しかし、臣下となるのに何の儀礼もないというのは、あとでそなたがそしりを受けることになるやもしれません。

 しかしあなたでも、口づけなら出来るでしょう? 簡易なものではありますが、臣下となる儀礼はそれでよしとしましょう」


 王女は手袋を脱ぎ、右手の甲を紅の騎士に差し出した。

 すると騎士はきょとん、とした顔をして、王女の右手をとって握手をした。

 また侍女たちから、笑い声が起きる。

 王女がたしなめようと、紅の騎士から目を離したときだった。


 紅の騎士は王女の手を引き、もう一方の手で肩を抱くと、自らの唇と王女の唇をあわせたのだ。

 驚いた王女は、紅の騎士を突き飛ばし、口元を手でぬぐいながら叱責した。


「何をする! この無礼者!」


 しかし、紅の騎士は突き飛ばされ座り込んだままの姿勢で、首をかしげた。


「口づけと言われましたので、口と口をつけました」


 侍女たちはまた、くすくすと笑い出したが、しかし一人が人差し指をたてて皆をたしなめた。


「やめましょう。先ほど王女様があの赤い鎧の騎士は、十日十夜より前のことは何も知らないのだから仕方がないとおっしゃったではありませんか」

「そうよ、また王女様に叱られてしまうわ」


 しかし、当の王女は顔を真っ赤にして騎士から剣を奪い、衛兵長に命じた。


「この不埒者を、牢屋に入れておしまいなさい!」


 侍女たちが王女の予想外の言葉に驚いていたが、しかし衛兵たちは命じられたとおり、紅の騎士を取り囲み、せいを頼んで取り押さえた。


 しかし紅の騎士は抵抗もせず、衛兵たちにひっとらえられながらも、しかしまだ何度も不思議そうに首をひねっていた。


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