15

 前回と同じく、舞台は学園の講堂。

 並んだパイプ椅子と生徒達。そして、異質な存在がひとつ。


 大きな肩幅に、背後からでもわかる歪んだ外耳がいじ。所謂餃子耳だ。


 知樹は瞬時に格闘、あるいは衝突の多いスポーツ経験者だと分析した。

 例えば柔道なら、組み付いている最中に頭部の両側面にある柔らかい耳は圧力を受けやすい。

 長年そういった組み手を続けるうちに、耳の形はいびつになる。


 知樹は自身の身をもって理解していた。


 空席を目指して歩くうちに、件の社長らしき人物が真横に位置する。

 横目に伺うと、落胆した。


 恐らく、スポーツをしていたというのは過去の話。

 出張った腹と垂れた顎は現状のたるみ・・・を表していた。


───どんな奴かと思ったら、ただのデブか。


 この視線に気付いたのか、社長が知樹達に視線をやった。


 慶太はそっとスマホへ逸らしたが、知樹は睨み返した。

 深い理由はない。ただ、先に逸らした方が負けた気がするという意地である。

 もちろん相手がそんな意味のない勝負に乗るはずもなく、社長は表情を歪めたまま視線を壇上に移した。


───うっし、勝った!


 何に勝ったというのか。

 もちろん答えるものもなく、本人もすぐに飽きた。


 それよりも、演奏である。

 音楽が縁遠い知樹にとって、なんだかんだ演奏会は新鮮な経験だった。

 鼓膜を破壊する爆音以上に、心が震える音。


 時間が来た。

 開始時刻になると、ハンナが舞台袖から姿を見せた。

 今回の司会役は彼女というわけだ。


「ご来場いただき、ありがとうございます。本日最初の演奏はスペイン交響曲第六楽章※実在しない。奏者、菅原文華」


 紹介と共に舞台袖から彼女が姿を見せた。

 心なしか動作は固く、ぎこちない礼をすると楽器を構えた。


 弦が音を奏でる。


「あれ?」


 慶太が漏らした声の真意は知樹にはわからない。

 しかし、違和感は覚えた。


───あれ、この前はこんなだったっけ?


 うまい、といえばうまい。しかし、それだけだ。

 以前聞いた演奏と違い、心震わせる何か・・がないのだ。

 言うなれば、普通。安全を求めて線を辿っているだけ。


 そこに、楽しむ心や自分は存在しなかった。


◆ ◆ ◆


 彼女の表情が硬いまま、楽曲は終わった。

 演奏を終えると文華は足早に退出していく。


 その背を追うように、慶太が立ち上がる。


「演奏会の最中に離席とはねぇ」


 左手から声が上がった。

 加賀津谷。きな臭い社長。


 演奏会は未だ終わらず、ハンナが次の奏者を紹介しようとしていたところだった。

 従姉妹が心配な気持ちは恐らく誰もが理解したが、公然と嫌味を言われては着席せざるを得ない。


───けっ。こんな奴の言うこと聞く必要ねぇのに。


 先ほど、メンチで負けた腹いせか。

 友人慶太の意思を尊重して介入はしなかったが、見た目だけでなく性格も癪に触った。


 少々不安げな表情を浮かべるハンナが頃合いを見て口を開いた。


「次の演奏はバッハバイオリン協奏曲第三番第一楽章※実在しない奏者、美濃挙母」


 以前、ハンナと揉めていた上級生だ。

 舞台袖から出て早々にすれ違うハンナへ意味ありげな視線を送ると、優雅な所作で位置へ向かう。


 この時点で格が違った。

 その表情、その動きに緊張などは一切感じさせない。

 弦が奏でる音色も自ら進む意志に溢れ、聞くだけで力強さを感じさせる。


 相手に良い印象はないが、心が震えた。

 どうしても直前の演奏と比べてしまう分、その差は顕著なものとなる。


 実力の差。少なくとも、第三者にはそう映っていた。

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