5
演奏が終わった。
ピチカートあり、歌唱ありの変化球二段構えのような演奏だったが、居合わせた人々は揃って掌を叩いた。
「どもー☆」
彼女、ハンナマリは手を振りながら舞台袖へ消えていく。
続いて人が出ないのを見て、知樹は隣人に語り掛けた。
「文華先輩の番終わってたのか?」
「あれっ。そんなことなかったと思うんだけど」
沈黙が長すぎるせいか、周囲の生徒達も席を立ち始めた。
なにか予定の変更でもあったのだろうか。慶太は少し不安になった。
「どうしよう?」
「会いに行ってみるか? 終わりなら終わりで、挨拶しときゃいいだろ」
何も難しい話ではない。準備に手間取っているならそれでよし、トラブルで中止でもよし。
結局のところ、今回は練習に過ぎないのだから。
決まれば早々に知樹と慶太は席を立ち、舞台裏へ向かった。
◇ ◇ ◇
一曲歌い終えて満足したハンナマリ・ヒルヴィサロは達成感溢れる笑みと共に舞台を去った。
そんな彼女を迎えたのは、敬愛する上級生にして親愛なる友人である菅原文華だった。
「ハンナ?」
「なぁに、フミフミ?」
彼女が浮かべる表情は明らかに怒りを抑えていた。
理由は明白。全く予定にないアドリブ全開の演奏を披露したために違いない。
「あの演奏は?」
「ちょーっと気持ちが……昂っちゃって」
これは嘘ではない。
本来ならば予定通り、楽譜通りの演奏を披露するつもりだった。
しかし幻覚か。いや、演奏中もずっとそこにいた彼。
忘れもしない、三日前に幕内知樹と名乗った少年がそこにいたのだから。
有り体に言えば、彼にいいところを見せたくなってしまったのだ。
「あのね。これは学園生コンクールに向けた練習だって言ったでしょ?」
「ほら、練習でここまで出来るんだから。本番もヨユーヨユー」
「本番であんな演奏したら失格よ……」
本番の練習は本番と同じことをするから意味がある。
もしこれが彼女個人、または演奏者そのものを観客に見せる場であれば許されるだろう。
しかし、彼女達が目指しているのはあくまで一定年齢層の奏者としての腕を見せる場なのだ。
「そう、失格よ」
二人の会話に入る者がいた。三年生を示す緑色のネクタイ、上級生だ。
彼女は背後に三人、いかにもな取り巻きを引き連れていた。
「部長、いついらっしゃったんですか?」
「今さっきよ……それにしても、何を考えているのかしら。あんな演奏して」
部長とハンナの関係は、端的に言えば険悪だ。
留学生で人の興味を惹く容姿をしているハンナを、部長は気に入らない。
明らかに歓迎されていない態度を受けて、気分が良くなる者はいない。
もしハンナが母国でバイオリンを弾かず、最初の世話係に文華が選ばれていなければ。
今ごろ彼女はこの部に属していなかっただろう。
「もちろん、聴いてる人を考えてます」
負けじとハンナが反論するも、今回は筋悪だ。
論点はコンクールについてなのだから。
「それは大切だけど、ちゃんとコンクールについて考えているのかしら? 顔がいいからって、いい評価はもらえないわよ。枕するなら……どうかしら?」
いやだわー。小声で取り巻きが囁く。
いつもこうだ。彼女らは証拠が残り得る直接的な嫌がらせはしない。
なのでこのように
今回はハンナにも非があったが、非を誘発するために紛らわしい表現や、伝え忘れはザラだ。
「部長、それは言い過ぎですよ」
「あら、ごめんあそばせ」
文華はハンナを積極的に庇ってくれる数少ない人間だが、やはり問題を根本的に解決出来るほどの力はない。
一方で、文華が嫌がらせを受けることはない。疑心暗鬼を誘っている側面もあるが、
ろくでもない人間だが、考える頭がある分性質が悪い。
もっとも、それ以上踏み込んだ真似をしてこないのなら、ハンナも深く関わるつもりはなかった。
嫌味程度なら、かわいいものだ。
「はいはい。私が悪かった。次は気をつけます。これでいいですか?」
ふん。彼女は鼻を鳴らした。終了の合図である。
言葉もなしに踵を返すと、見慣れない服装の二人組とすれ違った。
「え? なんで男子がここにいんの?」
取り巻きの一人が発した。もちろん、知樹と慶太のことだ。
少々不躾な発言とはいえ、これは事情を知らなければ当然の反応である。
部長は足を止めると、先頭を歩く知樹に一礼した。
「
「うっす。こいつの従姉妹の演奏聞きに来たんで」
知樹は背後の慶太を指差す。すると、彼女は優しく笑みを浮かべた。
「菅原さんの従兄弟さんですわね、聞いてますわ。
彼女、美濃挙母は部長である。当然文華が二人の見学を申請し、顧問と彼女が許可を出している。
他校生徒との交流に反対する理由はなかった。
立ち去る一団に一礼すると、知樹が呟く。
「いけすかねー女。匂ってきてるぜ」
「えっと、香水? いいの使ってるし、量も丁度いいね」
「……ああ、それもそうだな」
知樹に香水の良し悪しはわからない。
しかし、彼が言っているのは慶太の指摘するそれとは、違う“におい”だった。
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