私は、貴方につくすと決めました
さち姫
第1話 姉の代わりに
「リーン、お前が婚約者になりなさい」
お父様が、冷ややかな声で威圧的な感情を滲ませながら、私に突き付けた。
直ぐにはお父様が何を言っているのか理解が出来ず、戸惑い、ソファに並んで座るお父様とお姉様を見つめた。
だが、お父様はいつもと同じ無関心な表情を浮かべるだけで、同様にお姉様はいつもと同じ意地悪な笑みを浮かべるだけで、答える様子には見えなかった。
夕食後お父様の執務室に呼ばれた。その瞬間お母様がいたたまれないように下を向いたのを見逃さなかった。
お父様から呼ばれる事自体、良い話しではないのは百も承知だが、お母様の様子から余程の事なのだ、と覚悟を決め扉を叩き中に入ると、先ほどの言葉を唐突に投げかけられたのだ。
「私が、どなたの婚約者になるのですか?」
入口のドアの前で直立不動し、噛み締めるように、疑問を口にした。
私は座る事を許されていない。
「セイレ男爵様よ」
お姉様が優雅にお茶を飲みながら、蔑視の感情を露わな声での内容にぎゅっと唇を一瞬固く閉じた。
「その方はお姉様の婚約者ですよね」
「レーンは病を患ってしまった。医師からも静養を勧められたのだ」
お父様が哀れみの声でお姉様を見たが、明らかに嘘だ。
何故なら、一昨日、誰かの夜会に参加してとても楽しかった、とお姉様が自慢気に説明してくれ。
それに、先程の夕食も残さず食べていた。むしろ、食材が悪いと文句を言ったほどだ。
食欲も、味覚も失せていないその姿から、どこに病があるのだろう。
「あげる、ではないわ・・・ごめんなさいなさいねえ、私がこんな体に・・・ゴホッゴホッ・・・。ああ、でも心配しないでえ・・・ゴホッ・・・セイレ男爵様は素敵な人よ。お金も持ってるし、顔もいいし、私よりもリーンに相応しいと思うわ」
ハンカチををとり出したかと思うとまるで悲劇のヒロインかのように急に咳をしだし苦しみ出した。
また、嘘だ。
婚約が決まってから半年、1度もそんな褒め言葉を聞いた事ない。
「ああ・・・ごめんなさいねえ・・・私が・・・ゴホッゴホッ」
わざとらしい咳を、そんな血色のいい顔でされても、全く信じられない。
それに始めの、あげる、と言う言葉がお姉様の正直な気持ちなのだろう。
まるで品物だ。
一瞬の前が真っ暗になり、よろけそうになるのを我慢した。
「あの男はレーンを気に入らなかった。このレーンをだぞ。それのせいでレーンは精神的におかしくなったんだ。だが、この婚約に解消は絶対に有り得ない。それならば妹であるお前が婚約者になればいい。向こうには伝えてある。問題ないそうだ」
あまりの身勝手な内容に言葉を無くしてしまった。
お姉様が気に入らないから、次は、
私。
私の方が品物みたいだ。
それに、気に入らなかったのは相手、では無くお姉様の方でしょ?
「はい、お父様」
すっと背筋を伸ばし
だが、私に拒否権は存在しない。
当主の言葉は絶対だ。
様々な感情の痛みが胸を、嵐のように襲い息苦しえ感じた。
「レーンの代わりを必ず務めるのだ」
有無を言わせない言葉と態度で、突き刺すように私を見る。
そのような事、無理に決まっている。
お姉様の代わりに私がなれるはずが無いことを、お父様が最もよく理解している。
「はい、お父様」
それでも私は、
「お前がこの家の再興のために」
お姉様の、
「努力を」
代わりになれるように、
「惜しむな」
役に立つように、
「はい、お父様」
尽くします。
一礼し微笑む私に、お父様は、苛立ちながらも引き攣る笑みを浮かべた。
ぎゅっと胸がまた、痛くなる。
お父様の心を満足出来ないのは知っている。
「お前がレーンの変わりならないのは分かっている。このレーンを気にいらない、偏屈なヤツだ。どうにか少しでも気に入られるんだ」
忌々しそうに雑にカップを持ちお茶を飲み干した。
理解しています。
お姉様に、私は勝てない事を。
それならなぜ私を、とは口に出せなかった。
当主の言葉は絶対的だからだ。
そんな口答え当主に許さえれるのは、お父様に気にいられている、お姉様だけだ。
「あらあ、そんな事ないわよお父様。レーンだって努力したら少しは可愛がられるわよ。それに、リーンが失敗しても私がいるわぁ、良い方達ばかりがいる夜会に招待して貰えるように、約束をしているの」
うふふ、と今度は1つも咳をすること無く滑らかな言葉を紡ぎ出し、可愛らしい声で優雅にお茶を飲んだ。
それなら、私が婚約する意味などないし、お姉様を気に入る方に援助して貰えばいいと思う。
それに、病はどうなったの?
夜会?
いえ・・・もう何だか疲れた。
「それは喜ばしい約束だな。後はセイレ男爵に追い出されなければそれでいい。お前の婚約支度金をもう貰っているんだ」
つまり、その支度金はもうないのね。それに娘を嫁がせる方を呼び捨てとは、既に見下している。
「そうねえ。でも、レーンにとっては良かったかもしれないわよお父様。こんな陰気で、ぱっとしない令嬢を誰が欲しがるのよ。余るよりも貰ってくれる人がいるだけでもマシよ」
「お前の言う通りだ。こんなぼんやりとした娘、どこぞでも出ていけば清々すると前々から思っていたが、こんな所で役に立つとは、思ってもいなかった」
「うふふ、良かったわ。私も、あんな男嫌だもの。あ、ゴホッゴホッ・・・ああ・・・目眩がするわぁ」
思い出したように、ハンカチで口を押え席をしながらお父様に寄りかかった。
「大丈夫か?あんな男の為にそんな心労になっていたと知るのが遅くなってしまって、親として失格だな。だがもう心配入らない。お前は自分の身体だけを考えたらいいんだ」
私には1度も見せた事のない子を思う優しい声でお姉様の肩を摩るお父様の姿に、まだ、羨ましいと思う自分がいた。
「本当よ。人を馬鹿にしたようなことしか言わないし、何様のつもりよ!私が優しいから半年も我慢したけど、あれじゃあ誰も妻になんてなりたくないわ。あ、ゴホッゴホッ。」
「社交界にもまったく顔を出さないとは、思っていたが、そんな酷い男だと知っていたら、初めからリーンを勧めるれば良かった」
胸の痛みよりも絶望感で、息が苦しくなる。身体の前で、重ねた手に力が入る。
「明日からセイレ男爵の屋敷に住みなさい。セイレ男爵も納得されている」
吐き捨てる言葉に、少しでも私に期待を感じる感情があれば救いだったが、それを期待する自分に悲しくなった。
馬鹿ね。
何を期待しているの?
お父様は、いつだってお姉様が1番。
「はい、お父様」
分かっていた。
「意味は理解しているな?」
「はい、お父様」
意味深な言葉の裏を分かっていても、そんなすぐに受け入れる事など出来ない。
でも、私には受け入れるしが出来ないわ、と言い聞かせる。
「それなら宜しい。部屋に戻りなさい。荷物をまとめておきなさい」
「はい、お父様」
もう私には興味が無さそうに、顔を背けた。
もう少し、
もう少し、
お姉様程はなくとも、
もう少し、
私を見て欲しかった。
「では、失礼致します」
微笑むとお父様に苛立ちの顔で舌打ちされた。
「リーン、頑張ってね」
「はいお姉様」
頭を下げ部屋を出た。
いつの間に覚えた諦めの微笑みにお父様は気づき、嫌悪感露に私を睨み、幾度かその笑いに対して無礼だ、と憤っていた。
その言葉を聞く度に、その顔を見る度に、微かに心が踊るのは、私なりの些細な抵抗から生まれた表情なのだろう。
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