SAVE.305:乙女ゲーム世界のセーブ&ロード④
「おはよう、アキト」
目を開ければ、彼女の顔がそこにあった。相変わらずの悪戯っぽい笑顔を浮かべて、掌に見覚えのあるナイフを刺して遊んでいた。
なんてことはない、それは玩具のナイフでしかなかった。手品で使うようなバネ仕込みのそれが、何かを傷つけられる筈もなく。
「だらしないなぁ、こんな玩具で気絶するだなんてさ。そんなんじゃ王子様の名が泣くよ?」
慈しむような目をしながら。彼女がそっと俺の髪を撫でる。
「……思い出した?」
彼女の顔がそこにある。手を伸ばせば触れられる距離にある。
「何度目だろうな」
そんな当たり前の日常が、いまは遠いところにあって。
「こうやって目を開ければ、クリスの顔がそこにあるのって」
視界が滲む。目の端に熱いものが流れてようやく、自分が泣いていた事に気づいた。
「良かった、思い出せたんだ」
彼女はいつもの笑顔を浮かべながら、安堵のため息を漏らしていた。きっとこれが、俺が記憶を取り戻す事が彼女の目的だったのだろう。
「本当だったんだな、前世のクリスって話は」
「そうだよ、お陰でここまでこれましたよっと。今日ほどファンブックまで買っておいて良かったと思う日は無いだろうね」
「……俺の記憶が無いっていつ気付いたんだ?」
「子供の頃かな。前の週で迎えに来た人が来ないんだもん、そりゃあ何かあったんだなって思うよ」
今ならわかる、今回の俺は前回の行動とあまりにかけ離れていたと。自分の立場に甘んじず、その責任を全うしようとしていたんだ。
「君が王子様のおかげでさ、動向を探るのは難しく無かったよ。まぁ調べるのにお金は結構かかったけどね? エルザさんに稼いでもらったお金、全部使っちゃった」
あの前世の知識を利用したのも必要だったんだろう。バニーガールはやり過ぎだと思うけどな。
「ま、結局最後の最後はショック療法だなんていう力技だったけどね。いやー良かったよ、ぶっつけ本番で成功して」
両手を広げて彼女が笑う。あっけらかんとしたその態度は、あいつが――前世の俺が大好きだったそれだった。
「立てる?」
「ああ、大丈夫だよクリス」
「クリス、か……残念。あたしは君の想い人じゃありませんでした」
「わかってるよ……っと」
起き上がり、親指で涙を拭う。
「どう? 自分が主人公だって自覚した感想は」
肩を竦めて軽い口ぶりで彼女は尋ねてきた。
「……俺、最低だな」
感想はすぐに言葉にできた。突きつけられたのは、俺は最低の人間だったという事実だった。
何もせずに漫然と日々を過ごし、彼女と向き合おうとしなかった。今だってそうだ。彼女がどんな想いでここにいるのか、どんな記憶と感情を抱えながら俺を導いてくれていたのか、今しがた思い出したばかりの情けない人間なのだから。
「まぁね。それはあたしが保証してあげる」
あっけらかんとした態度の彼女に、思わず謝罪の言葉が出そうになった。けれど彼女の手が俺を塞いで、ゆっくりと首を横に振った。
「謝らないで。あの時はあたしも悪かったんだから」
「だけど」
――俺の不甲斐なさが君を殺してしまったのに。
許される事じゃない、死をもって償える事でもない。それなのに俺は、ずっと君の優しさに甘え続けていて。
「いいの。だってさ……あたしもあれで楽しかったんだよ? 君はあの人じゃないけれど……それでも一緒にいられたんだから。それに」
彼女が俺の背を強く叩いた。痛みすら伴うそれが、激励のものだとわかった。
「もうわかるよね? 君がどこでロードして、どこからやり直さなきゃいけないのか」
「……ああ」
彼女の言葉にゆっくりと頷く。
大丈夫、もうわかっている。俺はクリスを迎えに行かなければいけないんだ。誰でもない俺自信が、やらなくてはいけない……いや、やりたい事なのだから。
だから、もう一度始めよう。
俺とクリスの物語を、何度だって。
「だからさ、必要だったんだよ。今日までの事が、全部」
彼女が笑う。少しだけ寂しそうな顔をして、その瞳の奥にいつか過ごした日々を慈しみながら。
「君がアキト=アズールライトだった事も、アキト=E=ヴァーミリオンだった事も、あの人だった事も、全部」
何度繰り返したのだろう。
彼女との出会いと別れを、彼女との毎日を。
「……そう思ってよ。じゃないとあたし、報われないんだから」
彼女の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。それを拭う権利は……俺にはないとわかっていた。
それはきっと、前世の俺だけが出来た事なのだろう。おぼろげな記憶しかない、俺と同じ名前をした男だけが。覚えている、彼の事は。おぼろげな記憶の中で、彼女と過ごした日々は記憶の片隅にあるけれど。
俺は、その男じゃないから。ただ拳を握りしめる事しかできなかった。
「ああ、そうだな……絶対に無駄になんかしない」
だけど、その涙に報いる方法はある。それは目の前にいる彼女の望みを叶える事だ。
大丈夫、もう迷わない。最低な俺を、情けない俺の事を、君がここまで連れてきてくれたから。
「だから、ありがとう」
謝罪の言葉は口にしない。言ってはいけないんだ、俺は。その罪を自覚して、背負っていかなければならない。
だから、感謝の言葉を。大切な事を思い出させてくれた君に。
「うんうん、わかればよろしい」
彼女は相変わらずの偉そうな態度で――それが虚勢だと今まで気づかなかった俺は間抜けの大馬鹿者だ――満足そうに首を縦に降る。
「ん」
それから両手を広げて、顎を小さく上げて、何かを彼女は要求してきた。
何となく、どうして欲しいのか俺は察した。これでいいのかと思いながらも、恐る恐る彼女に抱きついた。
耳元から彼女の安心したような吐息が漏れた。どうやら正解だったらしい、彼女が俺を強く強く抱きしめて来る。恋人のそれじゃない、親愛なる友人としてのそれを。
「よしよし、わかってるじゃないか。あたしにもこれぐらいの役得がないとね」
そのまま二人で無言で抱き合っていると、彼女が小さくすすり泣く声が聞こえた。
「ねぇ……これでいいんだよね。これで君は……あたしを許してくれるかな」
わかっている、これは俺に向けられた言葉じゃないって事ぐらいは。だけど俺は知っていた。彼が彼女に対して、どんな勘定を抱いていたのかを。
「なぁ、あいつは……お前の事が」
「わかってるよ、それぐらい……わかってたんだけどなぁ」
彼女は俺の背中を数度叩いてから、ゆっくりと体を離す。それから涙を自分の手で拭ってから、俺の鼻先を人差し指で突いてきた。
「君はさ、ちゃんと彼女に伝えるんだよ? あたし達みたいにならないようにさ」
「ああ、任せておけって」
俺が笑ってそう答えれば、彼女は笑顔を返してくれた。お互いに虚勢かもしれないけれど、大丈夫。もうやるべき事はわかっているから。
「ぅうん……」
横たわっていたミリアが、寝ぼけたような声を上げる。急いで体を抱き上げれば、ゆっくりと瞼を上げた。
「あ、兄さん来てたんですね……ごめんなさい、ちょっと眠ってたみたいで。クリスさんったら夜中に突然来るんだもん、眠たくて眠たくて」
「いやお前、殺されそうに」
なってたんだよな。なってなかったのか?
「何言ってるんですか、再現なんかで人が死ぬわけないじゃないですか……そりゃあ私だって、兄さんが死ぬだなんて言葉にもしたくなかったですけど」
「いや、それは」
そうだろうけどさ。
「クリスさんから段取り聞いてませんでした?」
思わず彼女に視線を向ければ、明後日の方向を見ながら舌を出していた。わざとやったな、これ。やっぱり謝る必要なんてないんじゃないか?
「ミリア!」
シャロンの声と共に、慌ただしい足音が響く。一人どころじゃない、皆来てくれたみたいだ。
「良かった、攫われたって聞いたから……心配で」
肩で息をしながら、シャロンがそんな事を言い出す。後ろにいるルーク殿下もダンテは額に汗を浮かばせながら、皆心配そうな顔でミリアを見つめていた。
視線を一身に受けながらも、ミリアは不思議そうに首をかしげる。
「え? クリスさんが皆には言っておくって」
今度はクリスに視線が集まる番だった。流石に誤魔化すのも限界だと感じたのか、彼女は随分な言い訳をしてくれた。
「だーって、仕方ないじゃないか! アキトが演技なんて出来る訳が無いから、ちょっと必死になってもらおうと思ってさ!」
その言葉に一同が首を縦に振った。ひどい言われようだが、事実だから言い返せない。きっとそうでもしなければ、俺は全てを思い出す事が出来なかったのだから。
「……あれ、だったらどうして皆はここにいるんですか? だってこの場所、クリスさんが教えてないなら誰も知らないはずなのに」
ミリアの言葉で、互いが互いの顔を見合わせる。そうだ、ミリアの言う通り今回の俺達はここに二人がいるだなんて知らなかった筈だ。
けれど、きっと覚えているんだ。互いが共に過ごした日々を、何度も繰り返した時間の事を。
「それなんだけどさ」
俺は彼女のところにいかなければならない。けれどここで何も言わずに去ってしまえば、それは今までと一緒だから。
「皆に話があるんだ」
話をしよう。
今日まで共に過ごした仲間に、別れの言葉を告げよう。
それが俺の、俺にできる――唯一のけじめの付け方だから。
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