SAVE.303:デート②

 クリスとの買い物に付き合って、どれぐらいの時間が経っただろうか。ため息と共に浮かんだ感想は、想像の倍以上疲れるだった。お忍びでミリアとの街に繰り出した事はあるが、それでもこんなに疲れはしなかった。


 露店街を楽しそうに見て回る彼女の目を盗んで、一つの店の近くに腰を下ろす。ついでに荷物も地面に下ろせば、指に血が巡り感覚が戻ってきた。


「お客さん、うちの店は休憩所じゃないですけど」


 と、ここで若い女の店主に叱られてしまった。顔を上げれば台の上には銀のアクセサリーが並んでいて、どうやら商売の邪魔だと思われたようだ。


「ああ悪かったよ……」


 立ち上がって首の後ろを抑えれば、女店主に顔を覗き込まれた。茶髪の癖っ毛でどこか猫を思わせる彼女のの顔がどんどんと近づいてくる。


「おや、おやおや?」


 流石に気づかれたか。


「これはこれはアキ」


 弱々しく伸ばした人差し指を自分の唇の前に当てれば、女店主が満面の笑みを浮かべて頭を下げた。ふっかけられそうだな、これは。


「失礼しました。しかしまぁ、お忍びなのに制服なのですか?」

「本当、なんでだろうな」


 至極当然の質問に思わず肩を竦めてしまう。


「あ、アキトいたいた!」


 と、ここでこの珍奇な買い物を提案した本人に思い切り背中を叩かれた。


「ふふん、このあたしから逃げられるとでも思った?」

「これはまた可愛いお連れ様ですね」


 クリスの顔を見るなり、意味深な笑顔を浮かべる女店主。


「でしょ?」

「……シャロン=アズールライト様と同じぐらい」


 やはりこの女に関わるとろくな事にならないようだ。


「すまない店主、女性の『友人』に贈るなら何が良いか教えてくれないかな?」

「そうですねぇー、『ご友人』への贈り物なら少々お高くなりますが」


 友人という単語を強調すれば、予想通りふっかけてくる店主。早い話が婚約者以外の女性と遊んでいるのを見逃してやるから色をつけろ、という訳だ。


「どれぐらい高いんだ?」

「やはりお客様のお財布事情を鑑みますと……三倍ぐらい、ですね」


 よくもまぁ隣国の王太子に口止め料を要求できるなと感心してしまう。先程の傘の一件といい、女商人という存在には余程嫌われているらしい。


「アスフェリアの女商人は商魂たくましいんだな」

「へぇ、他の女商人にもお知り合いが?」

「あ、うん。あたしそこのエルザさんの親戚なんだ。さっきもお店に行って来てさ」


 と、その一言で女店主の態度が一変する。


「はいっ、半額で大丈夫ですっ!」


 顔を青ざめ背筋を伸ばし、別人のような事を言いだした。エルザさんと何があったのかは知らないが、まぁ何かあったのだおる。


「だからその、先程のやり取りはご内密に……」

「普通に買い物するんだ、定価で構わないさ」


 これ以上踏み込まないという意味を兼ねて、『お互い何も無かった』と暗に提案する。


「ははーっ」


 受け入れてくれた女店主は臣下のように深々と頭を下げた。


「さて、どれにするかな」


 しかし女性の友人への贈り物とは骨が折れる。改めて商品を眺めれば、丁寧な細工が施されているアクセサリーが所狭しと並べられていた。態度はともかく腕は確かなようだ。


「あれ、アキトったらあたしに選んでくれるんだ」

「こういうのは男が選ぶものだって妹に言われてるからな」

「ふーん、教育の賜物ってやつだね」


 昔ミリアに好きに選んでくれと言ったら怒られた過去をつい思い出す。そういうのは男性が相手の女性を想って選ぶもの、だとか。


 そこでふと、一つの指輪に目が留まった。母が好きだった花があしらわれた指輪は、クリスに似合うような気がした。


 その辺に咲いていそうな所とか特に。


「これなんかどうだ? ヒナギクがモチーフなら素朴だし、友人相手なら良いだろ」

「さすがお客様、お目が高いですね……それはうちの自信作ですよ?」


 クリスの反応を伺う前に、女店主が商魂を発揮してくれた。


「何だ、全部自信作じゃないのか?」


 皮肉っぽく笑って見せれば、満面の笑みを浮かべる店主。製作者のお墨付きがあるなら、これで間違いないだろう。


「じゃあ、これを包んで」

「あの、さぁ!」


 クリスの少し大きな声が、俺と店主の動きを止めた。彼女の表情を伺えば、少しだけ苦しそうな、遠慮がちな笑顔を浮かべていた。


「……やっぱりあたしが選んでいいかな?」


 どうやらお気に召さなかったらしい。そういう意味でいいんだよな、その表情は。 


「ま、それが一番失敗しないか」

「そういうこと。そうだなぁ……これなんかあたしにぴったりだと思わない?」


 彼女は素早く身を乗り出すと、一つのアクセサリーを指さした。


「ネックレスか」

「チョーカーですよ」


 店員に訂正されるが、その違いがよくわからない。細く黒い革の首輪に、十字の形をした銀細工がぶら下げられている、というのはわかるのだが。


「どう? 似合う?」


 手早くクリスがそれをつければ、シャツの襟元を開いて俺に見せる。


「らしいかも、な」


 ふと、自然とそんな言葉が漏れていた。ここにいるクリス=オブライエンには、それがよく似合うような気がして。


「でしょ?」


 彼女が背を向けた隙を見て、店主に代金を手早く支払う。


「ヒナギクの指輪はさ……あたしには似合わないから」


 ぽつりと彼女が零した言葉には聞こえなかったふりをした。面倒だとか厄介だとかじゃなくて、随分と悲しそうなものに思えたから。


「さ、行こうかアキト」

「まだ続けるのかよこれ」


 振り返って彼女が笑えば、置いておいた荷物を再び持ち上げる。


「当然さ、なんせ念願の制服デートだからね」


 何一つ荷物を持たない彼女が、体を屈ませ俺の顔を覗き込んで。


「ちょっとぐらい、浮かれさせてよ」


 今日まで見た事の内容な、泣き出しそうな笑顔を浮かべた。







「いやぁ、遊んだ遊んだ」


 夕暮れ時、俺達は待ち合わせ場所だった噴水の前まで戻って来ていた。満足そうに背伸びをする彼女の足元には、大量の紙袋が転がっている。本に雑貨に小物に……支払いは全部俺だ。もちろん昼食の代金も俺だ。


「おかげでこっちは財布が随分軽くなったよ」


 俺の手元に残ったのは、空になった財布とあの青い傘だけだ。


「わかってるって、ちゃんとお礼はするからさ」


 自分が睨まれている事に気づいたのか、たじろぎながらも彼女は答える。それから人差し指をまっすぐと伸ばし、俺の鼻先に突きつける。


「何でも良いよ、アキト……君の質問に答えてあげる」

「答えられないって事は無いだろうな」

「まぁ……君が今知りたい事なら大丈夫かな」


 肩を竦めてクリスが答える。ようやく労力に見合った報酬を貰えるのかと思えば、自然とため息が漏れていた。


「なら、約束通り聞こうか。盟約の聖女とは何だ?」


 思えばこれを聞くためだけに、随分と金と時間を費やして来たものだ。古い文献にその単語を見つけて以来、気になっていたその言葉。それがこの現実と信託の乖離に関わっている……そんな確信が不思議と胸の奥にあった。


「主人公の事さ。この世界のね」

「……どういう意味だよ」


 主人公という単語がどういう意味かぐらいは知っている。だがそれはあくまで、物語の上での話だ。


「言葉通りだよ。知ってる? 凄いんだよ主人公ってさ……理想の結末に辿り着くまで、何度だってやり直せるんだ」


 悲しみが混じったような苦笑いを浮かべながら、作ったような明るい声で彼女が続ける。


「つまりね、アキト。この世界は主人公が散々やり直した後の世界なんだ。沢山悩んで、沢山迷って。主人公が辿り着いた理想の結末……それがこの世界だよ」


 夕日を背に、クリスは両手を広げる。世界なんて漠然とした言葉を、無理矢理にでも伝えるかのように。


「神託と違うのは、その主人公のせいって訳か?」

「せいじゃない……おかげだよ。君がアキト=E=ヴァーミリオンとしてここにいる事こそ、あの子の願いなんだから」

 

 あの子。彼女がそう語る存在が、無性に俺の胸を締め付ける。だがこんな痛みに囚われている暇はない、今の俺には立場と責任があるのだから。


「……その主人公ってのは、誰だ」

「クリスだよ、あたしじゃなくて本当のね……けれどもういないんだ。この世界のどこにもね」


 悲しそうに彼女が呟けば、また新しい疑問が湧いてくる。


「ならお前は……何でここにいるんだよ」

「あたしはその抜け殻に入り込んだ、代役みたいなものかな。クリスが主人公になれたのは……あたしの資格を使ったからなんだろうね」


 頭が痛くなる。知らない言葉の意味を聞いた筈なのに、次々と知らない言葉が増えていくせいだ。


「……主人公には資格が必要なのか?」


 クリスが小さく頷けば、淡々と語り始める。


「本来はミリアだけがその資格を持っていたんだ。当然だよね、だって本来の主人公は彼女なんだから。神託の内容だって常にミリアが中心でしょ?」


 その指摘は妙に説得力のあるものだった。いくら聖女が特別な存在とはいえ、俺達が躍起になって再現している神託の中心はいつもミリアだ。


「けれど、クリスの前世があたしだったんだ。あのゲームを主人公として遊んだ事のある、このあたしがね……だけどもう資格は使い切っちゃったみたい。ま、当然かな。あの子はほら、あの子なりのエンディングを迎えたようなものなのだから」


 そこで彼女の言葉が途切れた。俺はこめかみを押さえながら、今までの話を何とかまとめようとした。


「つまり何だ、神託の世界が正しかったのに、主人公である盟約の聖女が……本来のクリスがこの世界を作り変えた。しかし当の本人は不在で、お前にもその資格はないと」

「そういう事」


 間違っているのは現実だと突きつけられる。当たり前だと思っていた自分の立場が、他人から与えられたものだと教えられる。否定したい、冗談だろうと言うべきなのに。


 塵のように積もっていた今日までの違和感が、答え合わせのようにクリスの妄言を肯定する。


「……どうすればいいんだよ」


 自然と漏れたのは、縋るような、情けない言葉だった。


「あるよ、一つだけ方法が」


 それでもクリスは首を横に振る。


「新しい主人公が世界を変えれば良いんだ。誰もが望んだハッピーエンドに向かってね」

「……誰が出来るんだよ、そんな事。ミリアか、それともシャロンか?」

「ミリアもクリスと一緒で資格を使い切ってるんだ。シャロンは……そもそも資格がないんじゃないかな」

「だったら、誰が」

 

 当然の疑問を言葉にすれば、彼女がほんの少しだけ悲しそうな顔をした。夕日に照らされた横顔はここではないどこかを、過ぎた日を懐かしむようで。けれどすぐに、俺の目を真っ直ぐと見据えながら。

  



「君だよ、アキト……君が主人公になるんだ」




 冗談みたいな事を、真剣な顔で言い放った。


「……馬鹿言うなよ」


 絞り出した言葉は震えていた。


「主人公って、盟約の聖女の事なんだろ? 男の俺がなれるわけないだろ……」


 何を言っているんだこの女は。さんざん人を振り回しておいて、得られた答えは矛盾している。ふざけるなと怒鳴るべきだ。馬鹿馬鹿しいと呆れながらこの場所から立ち去るべきだ。それなのに。


「わかってるよ、当然の反応だ……でもね、君は『アキト』だから。資格があるんだ、絶対に」


 そんな簡単な事が出来なかった。凍りついたかのように、自分の体が動かない。そのせいで詰め寄ってくるクリスに、何一つ抵抗出来ない。


「何で言い切れるんだよ、お前が」

「言い切れるよ、だって」


 知らない言葉の筈なのに、そんな記憶は無い筈なのに。


「あのゲームを君に貸したの」


 彼女の囁き声だけが、遠い世界で鳴り響く鐘の音のように反響する。




「……あたしなんだから」

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