第32話・賢者と発明家
家ソリの周りを走り回るのはカナンだった。逆に、カインは御者席にどっかりと腰を下ろしてエヴァになんでもかんでも訊ねている。どうやら、カナンは元気いっぱいでカインは好奇心旺盛であるようだ。
「ママ! あれは何!?」
と、カインが指差した先には緑豊かなオアシスがあった。
だが、アダムとエヴァは元々アフリカの緑地帯の住人。オアシスの語彙はなかったのである。
「あ、そういえば、あれ名前つけてない!」
だから、砂漠の水辺。なにか特別感すら感じるその場所には、単なる水辺ではなく特別なものをつけたかった。その特別感は、緑地帯出身のアダムとエヴァだから感じられるのだ。水に困ることが常識になっていると、水そのものがご馳走になってしまう。よって、そうではない場所がわからず、殊更オアシスに名を付けることもなかった。
「言われてみりゃ、誰も名前つけてなさそうだな……。よし! カイン! つけてみろ!」
「じゃあ……アブア-バー-キ!」
こういう時、子供というのは驚く程決断が早いことがある。事の重大さを分かっていないカインは、さらりと口に出した。
「おいエヴァ、カインってすげえ頭いいぞ!」
ただ、その単語の並びにはしっかりとした由来が感じられた。だから、
「ふふっ、アダムと私の子だもん!」
アダムもエヴァも自分に対する印象は少し変わった。
きっかけは、真逆に自信をくじかれたことだった。くじかれたから、自分を見つめ直す機会になったのだ。
水が分ける大地。それが、アブア-バー-キである。これがアッカド語の影響を受けると、アヴァロンとなるのだ。遠き理想郷は、最終氷期前のオアシスのことである。
「ん?」
カインは首をかしげた。
「いい名前って、スサが褒めてるの! カインは名前を付けるのが上手だね!」
自分より上手くなるだろう。そしたらきっとカインの子になるともっとだ。そう思えばこそ、エヴァは楽しみで仕方なかった。
サピエンスは受け継いできた、ありとあらゆるものを。それを発展させ、まるでリレーでもするかのように次へとつないだ。信じるからこそ、それができる。形骸化し起源が忘れ去られてなおも、サピエンスにだけそれができる。
知恵の有る人はサピエンスではない。サピエンスは信じる人なのだ。だからこそ、サピエンスという呼び名は我々にふさわしくないのかもしれない。ふさわしいとすれば、ホモ・クレデンティスだろう。信仰を持つ人という意味である。
「んへへ!」
カインは笑った。どんなもんだいと、勇ましく。
その頃、アダムはアダムで子育てを満喫していた。
「うはははは!」
「待て待てー!」
元気なカナンを追い掛け回して、カナンと一緒に遊んでいたのである。
「パパー!」
捕まえてみろと言わんばかりに、父を呼び大地をかけた。だが、砂地は足がわるい。こんなところで走り回るのを容認できるのは、神がそばにいるということが大きかった。
足を取られ、カナンは転びそうになる。
「捕まえたぞ! このわんぱく娘!」
その転びそうなカナンを
「うー! 土に足埋まる……」
まだ砂と土の区別はない時代だ。表現はどうしてもこうなる。
カナンは転びそうになったことを逆手にとって、捕まった言い訳をした。ちょっとだけ負けず嫌いな子である。
「カナン、足が埋まらない方法とか思いつくかい?」
「んー……あ! 足、おっきくすればいい!」
カナンはそのあるいはである。まだまだ言葉は未発達だが、子供特有の自由な発想を持っていた。
「ほぅ? だけど、足はすぐには大きくならないぞ!」
と、
「なんで!? 道具使えばいい!」
子供の発想はいつだって自由だ。自由すぎてたまに発明家にすらなってしまう。カナンはそんな子供として育っていた。
カナンとカインは全く違う。だけど、負けず劣らず賢者の種だった。
「何!? その手があるか!? 天才だ!!」
「カナン! その道具、パパと一緒に考えてくれないか?」
アダムは追いついて、聞こえた話に目を輝かせた。アダム
「ん! 一緒にやる!」
カナンは、
「くぅ……実父に勝てん!」
「ウカも一緒!」
だなんて言われてしまえば……。
「お前の子、かわいすぎるだろ!」
目から涙が溢れて止まらない、
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