第8話・旅の憧憬

 宇迦之御魂うかのみたまは苦心していた。やはり人類の肉体というのは利便性が高いのだ。

 直立二足歩行、器用な手指。この時代の人類はまだ、持久力を獲得していない。持久力はこれから炎が人類に与えてゆくものだ。


「あー! クソッ! アダム! エヴァ! なんでそんなにうまくできるんだい!?」


 アダムとエヴァの作った木の穴には、はめ込むために削った木がきれいに接合された。屋根の骨組みを簡単に作ってしまうのだ。

 だが、宇迦之御魂うかのみたまはうまくいかない。やはり、人類の観察量が、まだ足りない。


「てっても、俺たちも二人でやってるからな……。俺だけじゃ、多分うまくいかない。俺が大雑把に作って……」


 そこまで言って、アダムはイブを見る。


「私が細かく削ってるねー。でも、ウカ、できないことなんてあったんだ?」


 食べ物を作れる。そして、炎の作り方を教えた。宇迦之御魂うかのみたまは、原始人類にとってまさに神と思うに相応しかったのだ。


「あるに決まってるだろ! 私のことなんだと思ってるんだい!?」


 宇迦之御魂うかのみたまは、憤った風の口調で笑う。お互いに尊重しあうこのサピエンス族の居心地は、少し宇迦之御魂うかのみたまの故郷に似ていた。


「てっきり私は、なんでもできるんだと思ってたなぁ……。そっか、ウカもできないことあるんだ?」


 と、エヴァは嬉しそうに言った。

 そう、自らが恩を返せるかもしれない部分を見つけたのだ。なんでもできてしまうのなら、本当に気持ちにしか喜んでもらえない。だが、できないことがあれば話は別だ。


 この頃の人類は、どこまでも善性である。そうでありすぎて、死ぬことも少なくない。なにせ、宇迦之御魂うかのみたまの種は雑食。人間の肉も当然、食料として数えることができる。そんな宇迦之御魂うかのみたまと初見で調和を試みるような種族なのだ。


「とびきり器用なのを呼んでやろうか!?」


 と、宇迦之御魂うかのみたまは少し脅すような言い方をした。

 この時代、神はいろいろなところに居る。ホモ・なんちゃらも、その他の種族たちもだ。あっちこっち飛び回って、それぞれの種の幸せな生き方を考える協力者こそ神である。

 その中に、宇迦之御魂うかのみたまが協力しているサピエンスとは別種の人類、ホモ・エレクトロスの協力者をやっている神がいる。それこそ、後の猿田彦さるたひこである。それが、神々随一の器用さを持つとの噂がある。


「えー!? 呼ばれたら、私たち出番無いじゃん!」


 エヴァは焦った。自分たちの役割がそれに奪われると思ったのだ。


「そいつはどんなの作るんだ!? 組んだらスゲェもん作れるんじゃないか!?」


 だが、アダムは目を輝かせた。

 雄性とは、競争と共栄の性である。特に共栄の中では、言葉にする時間すら惜しいこともある。ゆえに、阿吽の呼吸を好むのだ。


「お、おう……。さっきはああ言ったけど、呼ぶのは多分無理だ。アレも忙しい」


 この地球で、石器先進種族であるホモ・エレクトロスは、器用さタイプのビルドを組んだ人類である。故に、猿田彦さるたひこも学ぶことが多く、かかりっきりである。

 そんな神だ、いくら宇迦之御魂うかのみたまといえど呼ぶことができない。


「んじゃ! そのうちそいつのところに行く!」


 アダムは心に決めた。この時から、アダムは果て無き旅路への憧憬しょうけい※あこがれを覚えたのだ。


「えー!? ご飯ないかもよ?」


 とはいえ、エヴァは不安だった。子育てに十分な資源が有り、社会を築いたこの場所を離れるのは不確定要素が多いからだ。


「あんたらは、食物の何を知ってるんだい!? いいかい? あっちにはあっちの美味いものがある! むしろ、ここよりだ!」


 そう、目指すは北東。このアフリカより涼しく、そして生物の生存に適した東アジアだ。

 だから、宇迦之御魂うかのみたまはこの時サピエンス族に対する憤りを顕にした。


「え!? 美味しいものあるの!?」


 エヴァは食の探求者だ。それを聴き逃せるはずもなかった。


「腰抜かすんじゃないよ?」


 それにその果てには、宇迦之御魂うかのみたまの実験農場がある。


『今行く!!』


 遠くから、宇迦之御魂うかのみたまの顔なじみである狼の声が聞こえた。

 宇迦之御魂は、彼女に少しお使いを頼んでいたのだ。


「怖い子の声……。あ、あの子?」


 エヴァは宇迦之御魂うかのみたまがいるここだから、そうなのかと思った。


「あぁ、あいつがくる! 少し遠くの食べ物をとってきてもらったのさ!」


 宇迦之御魂うかのみたまはニヤニヤとしている。宇迦之御魂うかのみたまが考える、今の人類に足りないものである。それは、タンパク質。小動物の獲物ですら極稀、虫は高エネルギーだが小さいしキチン質はこの時代のサピエンスにも消化が厳しい。そこで日本から大豆の原種を取り寄せたのだ。

 大豆とは革命だ。宇迦之御魂が認める、万能作物だ。大豆は日本人ではなく、日本神にほんじん発祥なのだ。大和民族より先輩であり大和民族は関係ない。


「楽しみー!」


 エヴァはもう、その狼だけは怖くない。


「気が変わって急に俺たち食われちゃったり……」


 アダムは危機感が再燃した。異種族、特に狼に食べられてしまったサピエンスは少なくない。


「あー、確かに。あんたらの肉はうまい方に属するかもね!」


 草食動物の肉は美味しいのである。この時代の人類の食べ物の実に九割が植物だ。肉は貴重なのだ。


「ひえ……」


 アダムはおののいた。


「もう、食べるつもりだったらとっくに食べてるでしょ?」


 ただ、ここだけはエヴァが賢かった。宇迦之御魂は最初大きな狐の姿だった。その気になれば、ひとたまりもない。よって、食べる気がさらさらないと感じていたのだ。


「気づかれちゃしょうがない。あんたらは特にお気に入りだ! 食ったらもったいない!」


 それに、アダムとエヴァに関しては野生の獣からも守っているくらいだ。襲おうとする者には、宇迦之御魂うかのみたまが全力の威嚇をする。獣達、お気の毒様である。

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