なーくん≫兄さん-02


「どういう風の吹き回しなんですか? なーくん」

「僕も考えるところがあったってことだよ、

「懐かしい呼び方ですね……あの頃とは、随分変わってしまいましたが。主になーくんが」

「そりゃお互い様だろ、僕だけじゃない。あーちゃんの見方が変わったって捉え方も出来る──じゃない。そういう話がしたいんじゃなくってだな……」


 あー、とか。うー、とか。唸って頭を整理して、言葉を考える。

 考えて、考えて、ついでに夜食は平らげてしまって、それから「まあ全部言うのが早いのか」という結論に達した。


「その……何だろうな。あーちゃんは今、僕の作ったラーメンを食べて、一応は美味しいって言ってくれた訳だけどさ、きっと、あーちゃんが同じように作ったものを、僕は食べられないんだよ」

「私の作った料理など、食べたくもないという意味合いですか?」

「そういうことじゃなくて、こう……何だ? 物理的にというか、精神的に、人の手料理を受け付けなくなっちゃったんだよ。言い方は悪いけど、口に入れただけで、戻しそうになる」

「それ、は──なーくんの、お父様とお母様が、亡くなってから、ですか?」

「まあ、そうなるな。時期的にそうってだけだけど」


 直接関係があるのかは、イマイチ自分でも分からない。いや、だって意味わかんないだろ。親が死んだら手料理食べられなくなるって……。


 因果関係が意味不明だし、そもそも隣席になったばかりの、頭の飛んだ女かんがたりの弁当は美味しくいただけたのだ。


 だから、他に要因があったのかもしれないし、無かったのかもしれない。

 けれども間違いなく、僕を家に寄せ付けない、分かりやすく大きな理由の一つではあった。


「こうして話したのは、別に同情して欲しいって訳じゃなくてさ、ただ……その、知って欲しかった。というよりは、知ってもらうべきだと思ったって、言った方が正しいな。僕を『兄』と呼んでくれて、好きだと言ってくれる人に、隠すべきことじゃないって思った──兄妹であろうとするのなら、なおさらな」

「……なーくんは、私達と家族になる気があったんですか?」

「まあ、あったって言えば嘘になる。でも、ただの他人のままでいるのは、無理だと思ってたし……あーちゃんが、兄さんって呼んでくれることに、応えたいとは思っていた」


 何故ならそれは、僕を家族として迎え入れていますよ、という証明なのだから。

 呼ばれる度にそれは理解できていて、だからこそ、考えるところが多かった。


「だから、その、何? 旭さんと、沙苗さんとはまだ、もう少し時間がかかると思うけど。あーちゃんと……愛華と、まずは兄妹になりたいって思った。だ、ダメか?」

「どうしてそう、最後の最後で不安になるのですか……それだから、なーくんは……兄さんはダメなんです。泣きそうな顔で、同情を誘っているのも減点ですよ?」

「ばっ、これは別に、狙ったわけじゃ──って言うか僕、泣きそうになってんの!?」

「ええ、それはもう。昔の泣き虫な兄さんに戻ったみたいで、可愛いですよ」

「だから、泣き虫だったのは、そっちだったろって……」


 途端、視界が歪む。


 言いたくなかったというよりは、言えなかったことを言えて。

 それを拒絶されずに、理解されたことに安堵して。

 やはり兄さんと呼んでくれる愛華に、優しを感じて。


 込み上げる熱を、気合で堪えてみせれば、その熱が移ったように、愛華が涙を零した。


「ほら、やっぱり愛華が先に泣く」

「兄さんが泣かせてるんでしょう……そういうことは、もっと早く、言ってください。何も言われずに、ただ避けられるのだけが、一番苦しいです……!」

「うん、悪かった。半端に自己中すぎたよな」

「ええ、本当に……でも、分かってくれたのなら、良いです。こうして話してくれたことが、何より嬉しいですから。神騙先輩の差し金なところは、やはり減点ですけれど」

「そこはお見通しなのか……や、ちょっと背中押されたというか、勝手に叱られた気分になっただけなんだけどな」


 でも、その程度だ。神騙に与えられたのは、しょせん切っ掛けにすぎない。

 逆に言えば、きっかけ程度しか与えられなかった。


「でも、こうして向き合ってくれたことは、何よりも加点ですよ、兄さん」

「それなら良かった。まあ、あんまり兄ってガラじゃないけど……頑張るから、よろしく頼むよ」

「ええ、こちらこそ。それでは今日は兄妹らしく、一緒に寝るとしましょうかっ」

「それは絶対兄妹らしい行為じゃないんだが!? え、何!? どうした急に!?」


 






 凪宇良邑楽という少年のことを、あるいは親戚のことを、もしくは、兄のことを。藍本愛華は、これ以上ないほどに好いていた。

 それはもちろん、異性に対するもの──ではなく、どちらかと言えば、憧れに近い感情。


 幼い頃から顔見知りで、けれども一つだけ歳の違う邑楽は、しかし愛華の目には、とても大人らしく見えていた。

 感情をすぐに表に出して、嘘は吐くのが下手くそ。何でも素直に話す癖に、どこか物事の見方はヒネている。


 そういう人としての、微妙なチグハグさを持つ彼を、愛華は好ましく思っていた。

 あるいはそれを、人によっては初恋だなんて呼ぶのかもしれない。


 故に、正直なことを言えば、愛華は邑楽が兄妹に……家族になることを、誰よりも受け容れていた。

 喜ばしいとすら思っていたと言って良いだろう──それはもちろん、その事実そのものが喜ばしいというだけで、彼の親が亡くなったことに関しては、これ以上なく心を痛めてはいたが。


 それでも、近くに入れるようになったということ、それそのものは嬉しかった。

 そうでなくとも、元より兄のように慕っていた人物だ。


 きっと上手くやっていけると、傲慢にもそう思っていた──そう、傲慢だ。もしくはそれを、子供であるが故の浅慮、と言って良いのかもしれないが。


『あー、えっと、うん。よろしく、あーちゃん……じゃないか。もう、妹なんだもんな……愛華。まあ、お世話になります』


 いつも通りの声音で、いつも通りの口調だった。

 何も陰を悟らせないような表情で、けれども愛華には、それが明確な拒絶だけで作られたものであると、言葉を通して理解した。


 凪宇良邑楽という少年は、これ以上なく藍本家わたしたちを拒絶している。そのことを、本質的に理解してしまい、同時に己の浅はかさも理解してしまった。

 しかし、それでも愛華が邑楽のことを、頑なに『兄さん』と呼んだのは、それが長くは続かないことまでも、悟ってしまったからに過ぎない。


 ──ああ、この人はいつか、近い内に潰れてしまう。


 元より、何でも抱え込んでしまいがちな人で。

 だけど、あんまり強引に寄ると、逃げてしまう人。


 それが分かっていたからこそ、愛華は家に寄り付かない邑楽を、敢えて『兄』と呼んだ──貴方の居場所は、ここにずっと作っていますよ、という言外の主張だった。

 近づきすぎず、遠ざかりすぎず。兄妹とは言えない、けれども遠い親戚と呼ぶには近い、これまで通りの距離感を意識して保ち、ただ待つことにした。


 何故ならそれは、彼自身が決めて、彼自身がこちらに踏み出してくれなければ、意味が無いと思ったから。


 そうなるまでの間くらいは、少しでも……この家の居心地が悪くとも、せめて私の傍にいる時くらいは、安心できるように愛華は最善を尽くしたと言って良い。

 凪宇良邑楽という少年が潰れなかった理由の一端を、愛華は担っていた──まあ、結局のところ、それは現状維持に他ならず、邑楽が神騙に背中を押されたお陰で、全ては前進したのだが。


 それがほんの少しだけ腹立たしくて、妬ましくて。

 同じくらいの感謝と、それらすべてを凌駕するほどの歓喜が胸に湧き上がっていた。


「ええ、こちらこそ。それでは今日は兄妹らしく、一緒に寝るとしましょうかっ」


 だから──そう、、仕方ない。いつもは冷静に抑えている感情が、愛華なりに爆発してしまって。

 いつもなら言わないような恥ずかしいことを、口走ってしまったのは、仕方のないことなのである。

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